第34話
昼食を食べ、のんびりと帰り道を歩いていく。
すでにバスで戻ってきているので、あとはマンションまで歩いていくだけだった。
そんな時だった。ぽつぽつと雨が降り始めた。
治は手の平を空へと向けるように伸ばし、その平を濡らす雫を眺めていた。
隣では咲が諦めたような顔で空を見上げていた。
「わっ……降ってきてしまいましたね」
「そう、だな」
本格的に降り始める前に治は鞄から折りたたみ傘を取り出し、広げる。
そして、隣にいた咲を見て、
「使うか?」
傘を彼女に差し出した。近くにコンビニはなく、このままでは咲が雨に打たれてしまう。
咲に万が一があっては大変だと治が申し出たのだが、咲は首をぶんぶんと横に振った。
「え? い、いいですよ! 私が忘れたのが悪いんですから。島崎さんが使ってください」
「……さすがに、隣を歩いている知り合いがびしょびしょになるのは見ていられないって」
「いいですよ! それで島崎さんが風邪をひいてしまったら悪いですから……っ」
治はぐっと唇を噛んだ。その言葉を言うか言うまいか迷った末――
「それなら、一緒に行こうか」
治は傘を広げながら、咲のほうに傾けた。
その行動には、とてつもない勇気が必要だったのは言うまでもなかった。
(き、嫌われてはいないと思うし……こ、このくらい近づいても大丈夫、だよな? ……お願いだから、これで嫌われたくない! これでセクハラとか言われたらもうどうしようもないよな……っ)
相手の気持ちが見えないため、咲が今自分にどのような感情を抱いているのかさっぱりだった。
そんな不安な中での行動だったが――咲が突き返すことはなかった。
「……あ、ありがとうございます」
ぴと、っと咲は治の腕に当たるように近づいた。身長差もあり、咲は自然上目遣いとなる。緊張と照れが混ざったその上目遣いに、治の動悸が激しさを増したのは必然だった。
「……あ、ああ。行こうか」
治はすっと、普段よりも小さな一歩で歩いていく。
折りたたみ傘であるため、二人が入れるほどは大きくない。
治はできる限り咲が濡れないように傘を彼女のほうに向けていたせいで、治の右半身が雨に打たれていく。
それに気づいたのか、咲が声をあげた。
「し、島崎さん、濡れてしまっていますから。島崎さんが濡れないようにしてください!」
「……大丈夫だって。俺は体が案外強いほうだから。ここ数年、風邪とは縁がないんだからな」
それは強がりでもなんでもなく、中学から一度も体調不良で学校を休んだことはなかった。
とはいうが、咲は未だ心配そうに治を見ていた。
彼女の心配げな顔に見つめられ、治が顔をそらした時だった。すっと、治の身体に柔らかな感触が触れた。
さっきよりもさらに近くなる。左腕に感じる柔らかな感触に、治の意識は覚醒していた。
「……ち、近づいてください。できる限り、雨でぬれないようにしてください」
「……わ、分かった」
ぎゅっと咲が腕に抱きついた。
「濡れないため」、「濡れないため」、と治は心中で呪詛のように唱え続けていたが、それでもこみ上げる恥ずかしさはまったくもって抑えることはできなかった。
心臓の音が咲に伝わっていないかどうかそればかりを考えていた。
咲とともにマンションまで歩いていった治は、マンションへと着く頃にはだいぶ疲弊していた。
呼吸が乱れそうだったが、今この場で息を荒々しくしていれば変質者に思われかねなかった。
咲が建物内に入ったところで、離れた。振り返った咲がニコリと微笑んだ。
「島崎さん、ありがとうございました」
その頬は僅かに赤みを帯びていたが、きっと自分ほどではないだろう、と治は思った。
「ああ……体、冷えているかもしれないし、早めにシャワーとか浴びろよ?」
「そ、そうですね……」
「それじゃあ……またな」
「はい、また今度、一緒に出掛けましょう」
「あ、ああ」
治はそう答え、一度手をあげてからアパートへと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます