12 仲直り

012


就寝の身支度を済ませたメイドがライラがベッドに入るのを見届けた去った後、ライラはベッドから抜け出した


ライラは完成した絵を持ちドアをそっと開けた

静まり返った廊下は見渡しても誰もいなさそうだった


部屋、合っているといいけれど


主人の部屋がどこなのか、少しうろ覚えだった

絵は早くに完成していたけれど、どうしてもこの部屋に来る勇気が持てずに何日も持て余した


たぶんここなのよね


ライラはらしき扉を見上げ、緊張で震える手を握りしめた

ノックしなくちゃ

そう思うのに、ばくばくと煩い心臓が邪魔する


〈ねえ、いない……?〉


ライラの小さく囁く声はまるで重たい扉が阻むように吸い込んでいった気がした

直後、バザバサと何か紙の束が落ちたような音が部屋から聞こえて静かな廊下に響いた


〈……?〉


もしや誰か違う人の部屋で主人ではない人を驚かせてしまったのかもしれない

ここではないのなら、主人の部屋は一体どこなのだろう

中を確認するのは躊躇われてライラは諦めて別の部屋に足を向けた


すると、背後でバタンと大きく扉が開く音がした

「どうしたのっ?何かあった?!」

慌てた様子で足を縺れさせながら主人が部屋から出てきたのだ

その黒い姿が視界に入った時、こみ上げるものが喉をつっかえて耐えるように嗚咽を飲んだ

何度ひとりの食事をしただろう?

一日中彼のノックを待って、それがなくて落胆して心細くて泣きながら眠る

たぶん1週間くらいしか経っていない

だけど、もうずっとこんな寂しい日々を過ごすのかと思ったら足元から崩れそうな底知れない強い不安が襲った

恐ろしくて怖い顔なのに、ライラにはもう怖くて優しい彼しか頼る人がいないのだ


〈う……ごめんなさいっ、くっ、ごめんなさい……ううぅ…〉


「……っ、どこか痛いの?」


自室で煙草を吹かしながら書類に頭を抱えていたサフィールの耳に届いた少女の声

あまりに恋しく思いすぎて幻聴でも聞こえてきたのかと思ったが、

確かに聞こえたはずだと慌てて破るように扉を開くと、愛しの人の後ろ姿があった

夜に、しかも普段寄り付いてもこないサフィールの部屋に訪れるなんていったい何かあったのかと盛大に狼狽えながら、しゃくり上げる彼女に駆け寄った

廊下に膝をついてべたべたと体を確認するが、脛に怪我の跡が見られただけで特に何もなさそうだった


「 お腹が痛いとか? とにかくおいで、中に入ろう」


立ち上がり手を引いて自室へ案内しようとすると、彼女は持っていたスケッチブックを投げ出してサフィールにぶつかるように抱きついてきた


〈やだ、行かないで!〉

「うん、わかってるよ。大丈夫、大丈夫だよ」


何があったのかはわかってないが、取り乱してひくひくとしゃくり上げる彼女の背中を撫でてあやした

離れようとしない彼女をそのまま抱き上げて、自室のノブを捻った

部屋は二つに別れていて、仕事部屋とその奥に寝室がある

仕事部屋はひどく荒れていて、書類と本のジャングルになっていて一応ソファはあるも、落ち着けそうにはないので寝室に向かう

寝室はベッドとサイドボードあるくらいのシンプルで殺風景な部屋だ

仕事部屋がごちゃごちゃしている分、ここには何も置かないようにしていた


椅子もソファもない為、ベッドへ腰掛け隣に彼女をそっとおろした


「どこも痛くないね?」


隣におろした際、ひっつく彼女の顔を覗こうと引き剥がそうとしたが、彼女はいやいやとかぶりを振って胸に顔を埋めた

唸るように泣き声を漏らす彼女に胸を痛めながらつむじを見下ろし、背中を緩く叩いて落ち着くまで待った

しばらくすると、しゃくりあげていた彼女は涙が引いてきたようで、声を出さずグズグズと鼻を鳴らしている

今まで泣いているのは殆ど自分のせいで、彼女は自分を嫌がっていたので、こうして縋られて泣かれると逆にどうしていいか分からない


顔を上げて涙を袖で拭った彼女はサフィールが拾ってきたスケッチブックを手に取った


〈泣いてごめんなさい……。あの、仲直りしてください〉


彼女は描いた絵を見せて、まるで叱られた子のような視線を向けてきた

涙に濡れたくりんと丸い瞳が向けられて単純な自分の胸がいちいち反応して甘く締めつけられた

その視線の意味は、おそらく謝られているのか、それとも何か懇願されているのか

サフィールはなんとか彼女の気持ちを汲み取ろうと彼女の持つスケッチブックに目をやった


彼女が見せたその絵はブラウンなど暗めの配色で描かれた女の子らしき絵と――


(―― なんだこれは)


黒で塗りつぶされた女の子よりも大きな塊。いや悪魔?

顔のパーツは灰色で描かれている

彼女が描いていた他の絵より暗い絵で、正直感想としては薄気味悪い

もしや彼女の悪夢でも見せられているのだろうか

彼女の雰囲気から醸す印象とは程遠い暗澹として深淵を垣間見るような絵に瞠目した


〈これは私、これはあなたよ〉


彼女はブラウンの女の子を指さし、そして自分の顔を指さした

そして黒い悪魔を指さし―― 私の顔に人差し指を向けてきた


まさか、これが私だっていうのか?


よく見るとブラウンの少女と悪魔は手を繋いでいた

彼女を見やると、捨てられた子犬のような頼りなく心細そうな瞳で見つめている

これはやはり謝られているのだ

この絵はサフィールと彼女で、彼女は仲直りをしてほしいという意味が込められているのだろう

まさか悪魔のように恐ろしいという存在だと知らしめるため当てつけのように黒い化け物を描いているなら、

わざわざ恐怖する主の部屋へ来たりしたりしないだろう

よほどサフィールのことを悪魔だと蔑みなじりたいのならまだしも、彼女の普段の様子からはそのような攻撃的かつ積極的な行動は考えにくい


おそらく彼女はずっとサフィールの姿がおどろおどろしい怪物に見えていたのだろう

彼女が怯えているのは異世界人で言葉もわからずに周りの人間への警戒心がなかなか溶けないからだと思っていた

使用人は今でも彼女のことを宵の民だと侮蔑を込めた目で見ていて、それを肌で感じ取って忌避されているのだと

もしかしたらサフィールだけではなく周りの人すべてがその化け物に見えていたのかもしれない


黒い悪魔に見えているなんてそんな事想像できるか?


サフィールは情けないやら悲しいやらで苦笑いを禁じえなかった


「君は悪くない。謝らないでいいんだよ」


ライラは小さな笑い声と共に優しく頭を撫でられて、許されたんだと思った

〈許してくれるの? ありがとう〉


薄く笑んだ彼女は少し眠そうに瞬きした

時計を見ると子どもが起きているには遅い時間だった


「今日はここで眠っていいよ。たくさん泣いて疲れただろう」


スケッチブックをナイトテーブルに起き、彼女を横たわらせ自分もその隣に横になり掛布を掛けた


〈ここで寝ていいの?〉

「おやすみ。明日は一日中一緒にいようね」


しばらく背中を撫でていると、彼女から穏やかな寝息が聞こえてきた


(……私も寝よう)




**********




「起きて。朝だよ」

〈……?〉


ライラは優しく体を揺すられて目を覚ました

起こし方がいつもの横暴なものでない事に違和感を覚えながら目を開ける


「おはよう」

〈ん……〉


(あれ……?)


ライラの隣にいるのは、あの前にも見た滲むようにぼやけた輪郭のあやふやな人間だった

髪は黄色のような茶色のような色で白いシャツらしきものを着ている

だけどやはり顔は分からない

ぼやけすぎてパーツは分からず殆ど肌色ののっぺらぼうだった


寝ぼけていた頭が覚醒してきて、その姿が影の人にじわじわと戻ると、今見ていたものが夢ではなかった事に気付いた


(貴方だったのね。私、また変なもの見ちゃったわ)


「眠そうだ。寝てもいいけど、できたら起きて一緒に食事しようよ。

久しぶりだし、ゆっくりしようね」


主人の声が聞こえてきて、昨日主人と仲直りできた事を改めて実感したライラの心に温かいものが溢れた

彼が体を起こしたので、ライラも目を擦りながら体を起こす


「一度部屋に戻るといい。おいで」


涙で濡れたまま眠った為、触れた頬がひりつくような違和感があった

目元も重く感じ、おそらく腫れている


ライラは主人に手を引かれて彼の部屋を出た

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