10 郷愁と執着

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〈はあ……〉

ライラはベッドの上で足を三角にして座り、長めの靴下を踝まで下ろして足を眺めていた

先程、メイドに足を引っ掛けられた時少しぼうっとして気が緩んでいたので、盛大に転んでしまい足に痣と傷を作ったのだ

肌の青黒さを見つめているとだんだん痛みが増した気がして、さっと靴下を上げて自分の目から隠した

(ちょっと気持ち悪いし、じんじん痛い)


最近あるひとりのメイドの嫌がらせが酷くなった気がしていた

昼の食事に虫の死骸やゴミを入れられていたり、何か腐ったものを入れられていたり

ベッドに虫やネズミの死骸が置かれていたこともある

なるべく気にしないようにしていたがやはり胸に黒い雲が漂うように気が塞いでしまう


あのメイドと2人になるのがとても苦痛だった

その度に、嫌な思いをするから


(あの熊のぬいぐるみ、好きだったのに·)

先日、そのメイドに気に入っていたぬいぐるみを壊されてしまったのだ

主人は壊れてしまったんだねと、落ち込んでいるライラの頭を撫でてそれを回収していった



トントン


(主人だ!)

ぱっと飛び上がるようにソファから降りたライラはたっとドアに駆け寄って扉を開けた

扉の前には、予想通り主人が立っていた


「可愛い人、ご機嫌いかがかな?」


サフィールは期待を滲ませてこちらを見上げている愛しい人に微笑みかけた

最近彼女が自ら扉開けてくれるようになって、それが毎回嬉しい


二人は自然とソファへと向かった

窓辺のソファは彼女がよくいるお気に入りの場所だった

その理由はたぶん窓の外が見えるからだろうから、サフィールにとっては複雑だったけれど、何となくここに座ってしまう

テーブルと椅子はあるのはあるが、彼女は昼食時しか使っていないようだった


今日は魔術絵本を持ってきた

自分の魔術を込めると組み込まれている立体的な絵が現れて動かす事が出来る

魔法を使えるようになった初等生くらいから使えるので、教科書にもこうした仕組みが組み込まれている

この手の絵本は最近ちょっと遊びのネタが切れてきたサフィールの強いお供だった

彼女はこの魔術絵本を見せると何を見せても喜んでくれるので、正直有難い



****


「すぅ……すぅ……」


寝息を聞きながらライラは今日の絵本のお姫様と龍の話を絵に描いていた


隣にいる主人は絵本を見せ終わった後、何かぼそぼそ話してくれていたが、そのままソファでうたた寝しはじめた

顔を見てもライラには判別しづらいので分からないが、ぐったり動かなくなって規則正しい深い息遣いが聞こえているのでたぶん寝ているのだと思う

寄りかかられているので重いが前ほど触れられるのが嫌でないのが不思議だった


顔を直視すると時々寒気がしてしまうけれど、前ほど怖くない……たぶん


なぜか故郷にいたユノーよりも距離が近いのが悲しく感じる

義兄のユノーは厳しい人だった

幼い頃は遊び相手になってくれていたが、ライラが身の回りの事ができる歳になってからは遊んではくれなくなった

口数もあまり多い人ではなく、物心ついた時からずっと一緒に過ごしてきた今でもユノーの事は分からない事が多い

ライラが大きくなるにつれ、会話自体少なくなり、話す事と言えば巫女の修行の為の勉学の事がほとんどだった


ライラはいつも家の事と巫女の修行の勉学しかしていなかった

ユノーから遊ぶ事を禁じられたわけではなかったが、課題は多く家事をして課題をしていたら一日はすぐ過ぎてしまっていた


そして肝心のユノーはいつも家にいなかった

朝食事を共にし、課題を渡した後に仕事に行く。共に夜に夕食を食べる

毎日その繰り返しで、たまに遠方に旅に出ることもあった

ライラにとってユノーは家族だったが、甘えられる人ではなかった

こんなふうに肩を寄せあって本を読んだ事や抱きしめてくれたことも幼い頃の数えるくらいしかない


「ん…ま、って…」


ライラは暖を求めてか寝言を言いながら自分に擦り寄ってくる主人を見つめた

形容しがたい恐ろしい顔だ

顔に関してはとても好きにはなれそうにはない


私はこの人にとってなんなのかしら


この人は自分をまるで自分の子どもか何かように接してくる

この世界の事を知らないのでペットへの扱いなど知らないが、こんなに遊び構いたがるものなのだろうか


お金持ちの趣味なんて私にわかるわけないわね


ライラはユノーを考えていたら自然とユノーの絵を描いてしまっていた


ユノーに会いたいな


―― 行ってくる


そっと瞼を閉じると、毎朝のように聞いていた義兄の挨拶が聞こえてくる

その低く深い声はライラが思い出す度、本人に紡がれたように頭の中で再生されるのだ

短いたったその一言が彼から一番掛けられた言葉だったから、どうしたって頭から離れることはない


〈ふっ…うっ…〉

郷愁の想いは未だ強く、独りになるとどうしても泣きたくてたまらない時があった

〈ユノー……帰りたいよ……〉


「泣かないで」

午睡を貪っていた主人は起きたらしく、ライラの頬に触れ零れ落ちる涙を拭ってくれていた

ライラは持っていたスケッチブックを主人に見えるように向けた


〈お願い、私を帰して。ユノーに会わせて〉

ライラは主人に持っていた絵を見せた

〈義兄のユノー。私の家族なの。

この絵を動かしてくれない?〉


サフィールは涙で頬を濡らした彼女が絵を見せた事の意味を捉えようとした

彼女の言葉の中に、頭に嫌に残って離れない響きを聞き取った

それは彼女が脱走した時に聞いたあの忌々しい名前だ

愛しい彼女を故郷へ縛り付ける名前だ


絵の人物は、残念ながら彼女の画力ではどのような人物かは伝わらなかった

女性なのか男性なのかも判別できない

ただ黒い長い髪をしているということだけしか読み取れなかった


〈少しだけでいいから、お願い〉


「……私にこれを動かせと?」


激しい憤りが突き上げてきて、無意識に拳を握りしめた


どうしたって君は私を見てくれないのか

私は君の何だ?私は君にとって煩わしい看守でしかないのか?!


「――出来ない…っ!出来るわけない!」


サフィールは高ぶらせた癇癪の爆発を止められず、血を吐くような叫びを上げた

ライラは聞いた事のない主人の大声に恐怖を感じて体をビクつかせた

主人はライラの持っていたスケッチブックを毟るとるように奪うとそれを床に叩きつけた


「君は絶対帰さない!!

どれだけ願ったって無駄だ!異世界人は帰れないんだ!」


今までにない剣幕で激しく怒鳴られたライラは、胸を鋭いもので貫かれたような衝撃が走った

地が震えるかと思う程の声に、あまりにびっくりして涙さえ出なかった


肩を怒らせていた主人はそのまま足早に部屋を突っ切る

煩くガンと激しい音を立てて扉が締められた


ライラは突然の激昴の衝撃に呆然としてしばらく動けずに閉められた扉を見ていた


何だったの……?すごく怒ってた


今まで彼の顔はとても怖くて時々怒っているのだと思って怯えていた

でもあんなふうに怒鳴ったりはしなかった

何が彼の逆鱗に触れてしまったのだろう

混乱して頭が働かない

この絵が原因なのだとは思う


ライラは徐にスケッチブックを手に取った


ユノーの絵……これの何が?


ライラは何度考えても彼の怒鳴った原因はわかりそうになかった

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