07 魔法のスケッチブック

007


踊り続けていた絵は、一際高くスケッチブックのギリギリまでジャンプした

そして元の位置に戻り、お辞儀をするように体を傾けたあと動かなくなった

微量の魔術しか掛けていなかったので、それが終わりを告げたのだ


サフィールはとてつもない不安を覚えた

絵は動きを止めてしまった。

彼女は興味を失ってまた自分を意識の外へ追いやってしまう

感動の名残で微笑みながらスケッチブックを見つめていた彼女の腕を掴もうとした時


彼女はその笑顔のままサフィールをキラキラさせた表情でこちらを真っ直ぐにみつめてきた

その混じりけのない純粋な笑顔に全身に激しい衝動が走り、鼓動が爆ぜるように高鳴った


(……っ!)

〈ねえ、お願い!違うのも動かして!〉

「好きだよ……、好きだ……」


サフィールは呆然と熱に浮かされた表情で彼女を見つめながら思わずそう呟いていた

あまりに可愛すぎてサフィールはキスしたくてたまらなくなった


隣の様子にまるで気づいていないライラはスケッチブックを捲った

その中にはライラの描いたものがほとんどだったが、中にはサフィールが描いた写し取ったようなリアルななうさぎや子犬の絵も混じっていた

残念ながら犬の絵はお気に召さなかったようで気味悪そうに目を細められ顔を背けられたのだけども


サフィールのうさぎの絵を開いたライラはスケッチブックを持ち、向けて見せてきた


〈これ、動かして!

あなたのこのうさぎ、まるで本物みたいだからきっと素敵だと思うの〉


ライラは先程の興奮のそのままにサフィールに訴えかけた


サフィールははっと正気に戻って、スケッチブックに手をかけた


このうさぎの絵を見た彼女のわずかに緩んだ表情にすら胸に詰まる思いがしたのに、今はその比ではないほど、喜びが弾けていた


可愛い……。なんでそんなに可愛いの?

この微妙な距離が凄くもどかしい


サフィールは魔術の為にかざしていた手を下ろして彼女の持つスケッチブックを取り上げる

そのまま少し持ち上げ、魔術を込めた


精密な模写のようなうさぎはぴょんとはね始めた

ふるふると体を震わせたり、足で耳をかいたりしている


〈わあ·····!

すごい!すごく可愛い!〉


ライラは吸い込まれるようにスケッチブックに近づいていった

そしてそのままサフィールの膝の間に座り混んだ


「·····!!」


サフィールはらしくもなく悲鳴をあげそうになった

顔がかっと熱くなり、体に痺れるような歓喜が迸る

彼女が身じろぎする度に香る石鹸の匂いに混じって彼女の甘い匂いがしてサフィールの理性を抉ってくる

膝に乗せられた尻の柔い感触が伝わり、ぐっと悶えてしまう

もう頭は煩悩にふやかされていた

ばくばくと鼓動がうるさく胸を叩く

思わず生唾を飲み込みながらスケッチブックをもっている方とは反対の手をおもむろに動かすと、そっと彼女の腰に這わせるように回した

彼女はやはり何も気づいていない

そのまま腰を引き寄せても、嫌がる素振りは見せなかった

彼女の意識は完全に魔法で動くうさぎに集中しており、サフィールのことは見えていないのだ


そうわかっていてもサフィールの興奮は高まるばかりで、純真な彼女の前では起こしたくない体の反応まで起きてしまっていた


ああ、もうだめだっ。彼女が飽きるまで絵を動かすことは出来るけど、

このまま彼女の近くにいればキスする所だけじゃ済まなくなる


サフィールは名残惜しい気持ちいっぱいだったが、スケッチブックを下ろす

うさぎはぜんまいが切れたようにピタリと動きを止めたのだった


〈終わり?〉


きょとんとした顔をして首を傾げる彼女の頭を撫でる

彼女は今までが嘘のように、サフィールが触れても嫌がらなかった


ずっとこうしてくれればいいのに

私にもっと懐いてくれればいいのに


絵や物を魔法で動かすことは造作もないことだ

しかしサフィールにとって魔法は仕事の武器であり、けして安易に使っていいものでないという自戒があった


日常生活で魔法を使う事は珍しいことではなく、極当たり前の事である

実際水を湯に変えたり、従来使われていた電気の変わりをしたりする

例えばこの部屋は冬なのに暖房器具がないのは魔法の恩恵を受けているためだ

その程度はサフィールの中では最低限の許容範囲だったが、本当はそれらもただ楽をしたいだけに使っている事が多いので気が進まないのは事実だった

ただ今彼女に見せた芸当は完全に不必要な行為だった


(本当は催眠の魔法も使いたくなかったけど、私のせいで君が眠れていないことはわかっているからね)


何より、サフィールの持つ魔法の威力は常人のものより強いものだったので、コントロールはできるが万一の事があっては困るのでそういった理由で気軽に使いたくないのである

でも、こんな事で彼女が笑ってくれるのなら、いつでも魔法を使ってピエロになる


「今日は終わり。また今度ね」


名残惜しく感じながら彼女を引き剥がしたサフィールは彼女の部屋を後にしたのだった

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