第19話 支援術士、壁を感じなくなる
「うぅ……」
貴婦人の自室はなんとも煌びやかで、ベッド上下の縁にさえ玉座を思わせる豪華な飾り付けがこれでもかと施されていた。そこで苦し気に眠っている、所々跳ねたような癖毛を持つ長髪の少女こそ、テリーゼを呪ってほしいと依頼した《高級貴族》のカシェだ。
「私の大事な一人娘をどうか、治してやってくれ……」
「そ、それはもちろん……」
今日は信じられないことが立て続けに起こるな。いきなり兵士に連行されたかと思えば、《庶民》の俺が《高級貴族》の屋敷の、それも一人娘の部屋にいるのだから。
治療のためとはいえ、高貴な者が住む屋敷内に《庶民》がいること自体ありえないことで、それが娘の部屋ともなれば、事情を知らない者に見付かれば即座に捕縛、処刑されてもおかしくないくらいなんだ。
「グレイスさん、どうか落ち着いてください」
「グレイスどの、あなたならばできる……!」
「……了解……」
なのでさすがに緊張したわけだが、側には理解者のテリーゼやジレードもいるし、一度深呼吸するだけで大分落ち着くことができた。やはりテリーゼの呪いを治す等、【なんでも屋】としての経験があるからなんだと思う。さて、緊張も解れてきたことだしそろそろ始めるか……。
呪い返しによる高熱というのは、安静にしてさえいれば自然に治っていくものなんだが、自力で治療するとなると結構難しい。それは弱くても呪いの影響がまだ生きているからであり、強引に剥がすという行為で逆に容体が悪くなってしまうケースもあるからだ。
そうならないためには、弱い呪いであっても慎重に対処する必要がある。たかが風邪だと思って油断していたら、拗らせてしまって命を落とす、なんてことはよくあるわけだからな。
「では、失礼」
今回の呪い返しは目に関することなので、彼女の片方の瞼を半分ほどこじ開け、回復術を行使する。あまり刺激を加えることのないよう、少量を奥へと流し込んでいくイメージだ。そこでしばらく待ったが、やはり薄くとも呪いの壁による抵抗があって浸透するまでには至らなかった。
「……」
呪いの壁が削れていくまで辛抱強く待つのがポイントで、その際も負のエネルギーをなるべく出さないようにしないといけない。焦りや疲労もマイナスのエネルギーとして呪いの養分になるからだ。
この呪い返しだけでなく、俺はカシェの盲目も同時に治療していて、それ自体もかなり癖があって舌打ちしたくなるほど厄介だったが、そういった苛立ちも呪いの糧となるので前向きな気持ちを維持することが大事なんだ。
よし……呪いが徐々に剥がれていくのを感じる。それでも焦らず、一滴一滴回復術を零すように少しずつ浸透させていく。それが全体に広がったとき、彼女の片方の瞳から涙が零れた。
「――治りました」
「お、おおっ!? ……ほ、本当だ、あれだけあった熱がすっかり引いてる……」
父親が娘の額に手を当て、目を何度もまたたかせるほど仰天していた。
「さすがですわ、グレイスさん」
「本当に、グレイスどのの回復術は神業のようだ……」
「ありがとう。今回、これだけ早く治せたのはカシェの頑張りもあったし、父親が見守ってくれていたからな。それに俺自身、側にテリーゼとジレードがいて心強かったのも大きい」
治しても自分の腕だけで治したんじゃないということ、すなわち感謝の気持ちを忘れないことが、驕らないようにするには肝要なんだ。
「――う……?」
「カシェ!?」
お、元患者さんがお目覚めのようだ。
「お、お父様? それに……テリーゼ……」
はっとした顔で上体を起こすカシェ。
「……え、え……目が、目が見えるですって……?」
「ああ、俺が治したんだ。呪い返しのついでにな」
「あ、あなたが……?」
俺は彼女に今までの経緯を簡単に説明してみせた。
「――そう、だったんですね。グレイス様……治していただいて本当にありがとうございます。目に関しては、色んな方々に治療をお任せしたんですが、どれも上手くいかなくて……」
確かに、カシェの盲目はその中でもかなり根が深くて複雑なものだったから技術的には相当難しいとは思うが、最後の決め手となったものは、負の感情を取り除いた上で純粋に治したいというお互いの気持ちだった。
「カシェ、よかった、よかったな……」
「お父様……でも、正直複雑です。私のせいでこんなことに……」
「お、お前のせいではない、カシェ。思えば、お前がそこまで追い詰められているのに、見て見ぬふりをしていた私が悪いのだ……」
「いえ、お父様、それは違います。お仕事が忙しいのは幼少の頃より知っておりましたし、何よりもこれは自分自身のことなので……」
「カシェ……」
カシェはしばらく気まずそうに視線を落としていたが、まもなく意を決したように俺たちのほうをしっかりと見つめてきた。なんか凄く大人しくて良い子に見えるのに、なんでこんな子が呪いに手を出したのかと思ってしまう。
「これからこの私めが、どうして幼馴染のテリーゼを呪ってほしいと依頼することになったか、お話します……」
カシェが少しだけ声を震わせながら語り始めた。
「私は、テリーゼに優しくされるたびに、傷ついたのです」
「傷ついた……?」
「はい。彼女の優しさがいつしか自分の中で重みになっていました。何もかも普通のテリーゼが羨ましいと思っていたこともあって、側にいればいるほどに彼女のように素直に優しさを受け取れない自分のことを惨めに感じて……彼女がいい子であればあるほど、私は卑屈になりました。そしていつしか全てを拒みむようになっていったんです……」
「……」
「気が付けば、何か嫌なことがあるたびにこれは全てテリーゼのせいだと思うようになり、彼女を避けるようになりました。ですが、苛立ちはエスカレートするばかりで……。ある日、とうとう【呪術士】の方に密かに依頼してしまいました。テリーゼの視力を奪うように、と……」
カシェの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「これでやっと私の苦しみがわかるはずだと――うっ……?」
信じられないことが起こった。テリーゼが車椅子でおもむろに近付いてきたかと思うと、カシェの頬をぶったのだ。
「テ、テリーゼ……?」
「……カシェ、私は、決していい子なんかじゃありません。これでわかりましたか?」
「……」
「私だって、羨ましかったのです。視力がないことで守られているあなたが。お父様がまだご存命なあなたが。嫌なものを見なくて済むあなたのことがっ……!」
「テリーゼ……」
「カシェ、これでおあいこですね」
「うぅ……」
微笑むテリーゼに、涙を浮かべるカシェ。対照的な様子の二人だったが、彼女たちの間にぼんやりと見えていた壁は、いつしかなくなっていた……。
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