第36話 躊躇

 自分以上の存在を知っている。


 両親や二人の兄さん、それに師匠達だって全力を出しても勝てるとは言えない相手だ。生まれた時から常に俺には見上げる高い頂きがあり、それ以上に自然と下に敷いてしまう臣下みんながいた。だが果して、自分と同格と思える相手に出会ったことがあっただろうか?


「その力、貴様が私のドラゴンを殺した者か」


 そう言って奴が笑えば、ダンジョンの闇の中で輝く宝石のようなひとみが妖しく瞬いた。ドレスのような服の上に防具を身につけたその姿は戦士を戦場に導く戦乙女のようにも、人を冥界へと連れ去る死神のようにも見えた。


「ティナ、サーラ。今すぐここから逃げて。上に行けばルル姉さんが……って、ティナ!?」

「ちょっと、アンタ! アンタがこのダンジョンを作った傍迷惑な奴?」

「いかにも、私がここのダンジョンマスターだ」


 いきなり魔族に食ってかかったティナにも驚いたが、普通に会話に応じる魔族の態度も意外だった。


「サラステア、この国の王女はどうしたのよ?」

「ああ、彼女ならば今まさにドラゴンへと変化しているところだ。素体がいいので前のを超える竜となるだろう」

「なんですって? 今すぐ止めなさいよ」

「それは断る。王女を助けたければ自分たちの力で為すといい。お前達ならばあるいはそれもできるかも知れんぞ?」


 ティナと話つつも魔族が見ているのは俺だ。


(この隙を突きたいんだけど……無理かな?)


 お喋り好きなのか、ティナの話にわざわざ付き合う度、ほんの微かな隙がその立ち振る舞いに生じている。俺ならその隙を突くことはできたが、ティナとサーラがいる場で自分と同等と感じる相手と戦闘行為を行っていいものか。躊躇を覚えた。


「できるかもですって? やってやるわよ」

「ちょっ!? ティナ? 何言ってるんだよ?」

「聞いてなかったの? 私達でサラステアを助けるから、アンタはあれの相手をお願いね。本当はアンタを助けてあげたいけど、こっちは力になれそうにないから」


 悔しそうな顔を見るに、どうやらあの女との力の差はちゃんと理解しているようだ。だがーー


「サラステアさんを助けに行くのだって十分危険だよ。ここは俺に任せて二人は早く地上に逃げて」


 本当は力で地上まで跳ばしたかったが、座標指定に意識を集中する必要がある空間転移をあの魔族の前で使うのは躊躇われた。


「嫌よ。いいからアンタはあの魔族に集中してなさい」

「ティナ、こんな時に我がまま言うな!」


 今度は本当に二人を失うかも知れないという恐怖が口調を荒立たせる。


(クソ、俺の方が隙を見せてどうするんだ)


 奴は何故か俺たちの会話を興味深そうに聞いており、今のところ攻めてくる気配を見せないが、それでも気が気でなかった。


「アロスさん、私達を行かせてくれませんか?」

「サーラまで、何言ってるんだよ?」

「アロスさんが私達を心配してくれてるのは分かります。でもだからこそここは行かせてください」

「どういうーー」

「ああ、もう。あの魔族を相手に周囲を気遣って戦えるの? アンタがその、お、王子様だってことは分かったけど、師匠並みの戦いをするってことはそういうことでしょ?」

「それは……」


 言われるまで周囲の人やサラステアさんを巻き込んでしまうという可能性を失念していた。確かに一撃で仕留めでもしない限り目の前の魔族との戦闘は苛烈なものとなるだろう。


(……あの敵を相手に周囲を守りながら戦う)


 そんなことをしていて勝てるだろうか? 一眼で強者と分かる女魔族の姿に俺が返答を躊躇っているとーー


「私達は今からアイツが出てきた穴を降りてサラステアを助けるわ。戻りは正規のルートを使うから心配しないで」

「心配だよ!」


 いつもは見ていて楽しいティナの活動的な行動しせいが、今は焦燥感を覚えるほどに苛立たしかった。


 それでもティナはいつものように俺の怒りなんて軽く流して、持っている剣を掲げたんだ。


「アンタ達、今からあの穴を使って最深部まで一気に降りるわ。お姫様助けたかったら私について来なさい!」


 王女の救出。本来の目的を前に火王国の騎士や傭兵の目に戦意が戻る。


(止めるなら今しかない)


 俺はティナの腕に手を伸ばーー


「アロスさん」

「え?」


 呼ばれて振り返れば、柔らかい感触が唇に触れた。


「……へ?」

「地上で必ず会いましょうね」


 サーラはほんのりと赤くなった顔で微笑むと真顔に戻ってティナを見る。


「何してるんですか? 行きますよ」

「あ、あ、あ、アンタはなんてことを。抜け駆けよ! 抜け駆け!」

「フフ。アロスさんのファーストキス、いただいちゃいました。ほら、行きますよ。ティナもするなら早く済ませてください」


 サーラのからかうような笑みに誘われて、俺とティナの目があった。


 ティナの顔は初めて唇を重ねたサーラ以上に真っ赤だった。


「こ、こんなところでしないわよ。アロス、地上に戻ったら話があるからね」

「あっ、うん」

「ほら、何してんのよ? お姫様助けたかったらあの穴に飛び込むのよ!」

「それではアロスさん、また後で」

「え? ……えっ!? ま、待って!」

「信じてるわよ、アロス」


 何を? と聞く間も無く二人は暗い穴へと向かって一直線に駆けって行く。


 止めるべきだ!


 本能が囁く。


 でもあれが俺の好きな幼馴染ふたりみだろ?


 理性が邪魔をする。


 それは一瞬の躊躇で、でも機会を失うには十分すぎる時間だった。


「俺達も行くぞ!」


 騎士と傭兵達が二人に続く。これだけの人数が一気に動いて魔族の静観が終わらないわけがない。


「くっ、光姫。皆を、ティナとサーラを守れ」


 自立能力が極めて少ない光姫の術式を力を使って無理やり改変する。咄嗟すぎて何をどう弄っているのか自分でもよく分からないが、可能な限りの力を与えた。


(来るか? 来るよね?)


 今この瞬間、自分でもあり得ないくらいの隙を見せている自信がある。この機会を相手が逃すはずがないと身構えていたのだがーー


「え?」

「もういいか?」


 またも意外なことに、魔族は全員がこの階からいなくなるのを何もせずに見送った。


(なんだ? ……まさか、罠!?)


 ティナ達がサラステアさんを助けられない絶対の自信でもあるのかと背筋にヒヤリとしたものが走る。


「妙な誤解をしているな。私はただ貴様とこうして話をしたかっただけだ。他意はない」

「話?」

「そうだ。まずは自己紹介をしておこうか。私の名前はダネア•ロード。魔王国の第二王女であり、貴様と同じく生まれついて力を持つ者だ」


 魔族ーーダネア•ロードはそう言うと、まるで親友に向けるような笑みを浮かべて見せた。

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