第18話:グラス兄弟(4)
彼女と僕の距離は約10メートル。あの黒い煙が有る限り銃は効かない。近づいて叩くのが確実だ。
僕が走り出そうと一歩足を踏み込むと同時に、相手も行動を起こす。
ユアンダが瞬時に大きく息を吸いこみ、思いきり吐き出した。
先ほどまでの黒い煙ではない。墨と血を混ぜた様な赤黒い息が、勢いよく吹き出され、触れたもの全てを腐食させていく。
直感がこれに当たってはいけないと叫ぶ、何かは分からないがヤバイと感じる攻撃だ。
僕はブレードを引き抜き左腕を高速で巻き上げながら、迫り来る息を咄嗟に横に飛び退いて避ける。
「いい判断だ、鋼」
ミリオンが誉める。だが、心なしか少し声に余裕が無くなっている様に感じる。
つまりそれは、僕の状況がマズイって事を意味している。
後ろを振り向いてみると、赤黒い息が当たった場所が酸で溶かしたように爛れて溶けている。煉瓦も鉄もお構いなしに。
当たったアジトの壁を貫通し、その先の床や柱を溶かし、壁から約15メートルは続くただれた穴の道が出来ていた。
「ミリオン……アレに当たったらどうなりますか?」
「体は耐えると思う……だがあの濃度は……目の部品が溶けるかも知れん。そうなったら逃げられる」
ユアンダが牙の生えた大きな口でニタリと笑う。
「避けたわね、始めて。……ふふ、ここまで来て、やっと攻撃が通るようになったのかしら。……決めたわ。ヴグゥ、グオオオオオッ」
ユアンダが唸り声を上げると、ユアンダの体の節々が裂け始め、全身に口のような器官が生まれ始める。
そして身体中に作られた口に次々に牙が生え始め、同時に赤黒い息を吐き出し始める。
どの口から吐き出される赤黒い息の濃度も濃く、数秒で彼女の全身を覆い尽くす。
彼女から2メートルも離れれば薄くなり僕には効かなそうだが、あの息の中にいる間は接近戦は無理そうだ。
「グォアァ…………はぁ、はぁ……これで、あなたはもう私に近づけない……」
「アンタ、人間やめすぎじゃないか?戻れるのか?元の美人が見る影もない醜悪な顔だ。死んだ兄と弟が悲しむぞ」
「ふふ、まさか挑発してるの?焦っている証拠ね。でも残念。私からむざむざ近づいたりしないわよ」
図星だ。兄貴のユグノーなら突っ込んできたかも知れないが、ユアンダの兄妹愛は異常に薄い。それはそうか、兄を自分の手で殺して食う奴だ。
今の武装を考えてみると、なかなかキツい状況だ。
僕のメインウェポンである右手に内蔵した魔法銃とガトリングと電撃はあの黒い煙のせいで効果がない。
残る武器は左手のブレードと射出機能、そしてこの不壊の体による接近攻撃、両膝のミサイル2発。
この中だとミサイルが一番ダメージを狙えるが、10メートル以上離れた状態では、魔獸の身体能力となった彼女には恐らく避けられる。
ユアンダの全ての口が息を吸い込み始める。
ヤバイ、またアレが来る。しかも今度は大量の口から無軌道に放射する気だ。
僕は咄嗟に辺りを見回す。不幸中の幸いか回りは廃墟ばかりだ。
人気の無い所をアジトにしていて助かった。相手が暴れまわっても被害が少ない。
ユアンダが息を吐き出す。巨大な口から出る一本の太い息の他に、沢山の小さな口から放射状に何本もの赤黒い息が延びる。
横に向かって飛び、太い息は避けるものの、一本の細い息の射線上に入ってしまった。
顔に当たりそうだったので右腕で咄嗟にガードする。息は腕に当たって煙となり四散する。
煙でも当たるとヤバイのは確かだ。慌てて後ろに飛び退く。
幸運か偶然か、その煙が眼に入ることは免れた。
だが右腕の肉の塗装が一瞬で朽ち果て、鈍色の肌が露出する。
「当たったら死ぬって訳じゃあないのね……でも今の動き、顔を庇っているわね」
観察眼が鋭い。こいつには今までガードやミリオンに見つからず、闇の商売を続けていた強かさがある。
長引くと不味い、僕なんかより彼女は随分と戦闘慣れしている。
早く決着を着ける為、僕はブレードを出し、頭を狙って左腕を射出する。だが遠い。ユアンダは右手を突きだし、受け止める。
ユアンダの右手の平にブレードが深く突き刺さる。
だがユアンダは痛みも介さずに、貫通されたまま僕の腕をその大きな手で握りしめる。
「捕まえたわよ」
ユアンダが息を吸い込む。
だが、掴んでくれたのは好都合だ。
「こっちの台詞だ!」
僕は両足をアンカーで固定すると、左腕を急速に巻き上げる。腕に引っ張られたユアンダの体が浮く。
良かった。巨体になり完全な化け物になっても力は僕の方が依然上のようだ。
ユアンダも力が圧倒的に増したことで、フィジカルに対し少し油断したのだろう。
黒い煙の中から勢いよく引きずり出されたユアンダは無防備な状態だ。
このスピードで引っ張られていたら息で体を覆うことも間に合わない。
飛んできたユアンダを僕はめい一杯の力を込めて右手でぶん殴る。ユアンダの勢いも合わせてこれ以上無い一撃が入る。
「グォアアアアアアッ」
頭部にクリーンヒットし、顔のひしゃげたユアンダが手を離し、僕の左腕が解放される。
そして彼女は廃墟の中に勢いよく突っ込む。廃墟がすさまじい音を立てながら崩れていく。
だが、すぐにユアンダはむくりと起き上がる。
そんな、確実に頭蓋骨が砕けているはずなのに、致命傷になっていない。
生物を超越している。
「グウヴヴッ!!クソが!クソが!クソがアアアアアアア!!!」
彼女は怒り狂い、息を全方向に向けて連続で吐く。
先ほどの一撃で仕留められなかったのは痛手だ。彼女の油断が消え去った。
赤黒い息を回避しながら、もう一度左腕を射出する。
ユアンダはサイドステップで腕を回避する。同じ手は効きそうにない。
腕は射出してから軌道を変える事はできない。避けられてしまっては対処のしようがない。
そしてユアンダは僕との距離を、一定以上に保とうと動いている。約10メートルといった所だ。
「いっそのこと目がやられる覚悟で至近距離まで突っ込んで攻撃を叩き込むか……?」
「突っ込むとなると正面から行く必要がある。近づく前にやられるぞ……ここであいつを逃がす訳にはいかない」
ミリオンから冷静な指摘が入る。たしかにそうだ。迂闊には近づけない。
赤黒い息が何本も迫る。
ジャンプして太い息を避け、空中に四散している分はホバーを使い体の軌道を変えてなんとか避けようと努力する。
だが、息の一本が僕の左足を掠め、肉の塗装が溶けた。
このままではジリ貧だ。この息をいつまでも避け続けるのは無理だ。
体に慣れて来たのか息を吐く精度も上がってきている。僕を完全に捉えるのも時間の問題だ。
アレが煙じゃなければ瞼を閉じたり手で目を覆う事で防げるかもしれないが、生憎そうではない。
当たれば肉の塗装が削げて隙間ができる。仮にモロに直撃したとすれば隙間から入る煙は防げない。
やはり一瞬でも早く勝負を着けるしかない。ミリオンは同意しないだろうが捨て身でもやるしかない。
僕は空中で再び、ユアンダの顔面めがけて巻き上げた左腕を高速で射出する。
「何度やっても無駄よォ!!」
ユアンダは軽く身を屈めて左腕を避ける。
彼女は嘲笑う様な顔を浮かべると、再び息を吸い込み、僕に向けて息を吐き出す。
その瞬間、空中に浮かぶ僕の体が急加速する。
放った左腕は彼女に当たらずとも、その後ろの地面に指を食い込ませガッチリと掴んでいた。
腕を巻き上げる事で、急速に彼女に迫る。ホバーを使い、吹きかかる息を数センチの距離でギリギリ回避しながら。
8メートル、6メートル。彼女との距離が詰まる。
彼女の巨大な全身が強ばるのが見える。
4メートル、3メートル。限界だ。これ以上近づくと彼女の纏う赤黒い煙の中に入る。
腕を離し、地面に落下する。踵で地面を削りながら、彼女の2メートル手前で止まる。
彼女の足に血管が浮き上がる。一気に飛び退いて距離をとる気だ。
この期を逃すと同じ手で近づくのは難しい。ここで一気に決めるしかない。
それと同時にユアンダが大きく息を吸う。だが息は吐かせない。
僕は瞬時に右膝を曲げ、小型ミサイルを発射する。
ミサイルの威力はミリオンから聞いている。僕に搭載されている唯一の実弾兵器で、最も火力のある武器だ。
当たりさえすればいくら怪物だろうと確実に殺せるだけの威力はある。
そしてこの距離なら、避けられない。
ズガアアアアアアアアアン!
至近距離で凄まじい爆音が響く。
ミサイルが爆発した。
ものすごい爆風だ。僕がただの人間なら細切れになって消し炭になっている所だ。
「アアアアアアッ……こんの……程度でェッ!!」
爆発の中からユアンダが姿を表す。死んでいない。
だが無傷ではない。全身から黒い血を流し、片翼がもげている。満身創痍の姿だ。
ミサイルは直撃していなかった。赤黒い煙に溶かされて、彼女に当たる前に爆発し、致命傷を与える事は叶わなかった。
だが、それでいい。僕の狙いは爆発で倒す事じゃない。
「ああ、死ぬとは思ってなかったよ!」
僕は彼女の顎の下に大きく踏み込んで右手を引き絞る。むき出しの鈍色の右手が高圧電流を纏い赤熱する。
ユアンダが赤く染まった目を見開く。だがもうどうする事もできない。彼女を守る煙は爆風で吹き飛んで存在しない。
再度息を吐き出し体を覆うまでには数秒かかる。この距離ならば数秒もあれば一撃入れるのに十分だ。
「これで!最後だッ!」
「グオオオオオオオオオアアアアアアア!!」
彼女が息を吐き出すと同時に僕の全力のアッパーカットが彼女の顎に入る。
生えていた牙が粉々に砕け、血と共に飛散する。
同時に右手に纏った電撃が彼女の脳を焼き尽くす。
首の骨が折れ、煙を出しながらぐるんと頭が反対を向く。
「ガアァ……ゲファ……」
彼女の巨体は糸のきれたマリオネットの様に宙に浮き、暫くして勢いよく地面に叩きつけられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます