1−1 依頼(part1)

 「綾瀬川一樹。立政学院大学文学部日本文学科2年」


 「去年大学への進学を期に、地元から上京。学費以外親から一切の支援を受けないことを条件に一人暮らしを始めた」


 「しかし、一年の成績は前期後期共に未修得単位数超過。ついては奨学生の権利が剥奪され、今年4月から奨学金の借入が停止となった」


 「それにより家賃や食費、その他生活費の捻出が困難となり、明日もわからぬ将来に絶望して」


 「……線路への飛び込みによる自殺を図ろうとしていた、と」


 「今までの話を要約してみたけど。君、すぐそこの大学生だったんだ」


 「…………」


 「まだ若いのに、色々と大変な思いをしているみたいね」


 「だけど、よりによって飛び込みを選ぶのは、ちょっと早計だったわね」


 「全く関係ない人たちに迷惑をかけるだけじゃなくて、身内の人たち多額の損害賠償を肩代わりさせることになるのよ」


 「下手したら、あなたの両親まで一緒に道連れにしかねない結果になってたかもしれないわ」


 「…………」


 一体何の取り調べかと思うほど、執拗な質問攻めもついに飽きたのかと思いきや。今度は、犯人の自供を促す為に人情話に持っていく、ベテラン刑事の真似事にシフトしていく。


 「ああ、でも相続放棄すればいいのかぁ……。そうすると、今度は鉄道会社が泣き寝入りすることになっちゃう」


 「24時間365日、交通インフラの管理に従事してくれてる技術者の方々に、少しの間利益の出ないお仕事をさせてしまうことになるわね」


 「……ま、いずれにしても、切羽詰ってる人がそんな事まで頭が回るわけないか」


 「こういうのって、ふとした時に無意識で行動に出ちゃいそうになるって、どこかで聞いたことがあるわ」


 「…………」


 「あ、飲み物お代わりする?」


 「…………いらん」


 「そう、でも遠慮する必要はないからね。お昼食べてないんでしょ?」


 「あっ、見てこれ! 期間限定で三ヶ日みかんミルクレープがあるって。綾瀬川くんはこういうの好き?」


 「…………」


 しっかり冷房が効いた店内でしばらく動くこともなかったため、内臓まで冷えたのか、まるで食欲が無かった。

 とりあえず少しでも筋肉を動かしておこうと、ぐるりと首を回してみる。店内は未だ暑さの衰えない外の世界から、涼を求めやってきた者たちで埋まっていた。

 壁にかかる時計が視界に入る。

 すんでのところで現世に留まることとなった結果を受け止めきれないまま身動き一つ取れなくなっていた俺を、独りで喋り倒す目の前女が駅前の喫茶店に連れ込んでから、すでに1時間半が経とうとしていた。


 女と遭遇した直後、ホームの真ん中で座り込む俺の姿を見て駆けつけてきた駅員に対して、

 「以前インターンに来てくれた学生と偶然出会い、内々で決まっていた採用の話が流れたことを伝えたところ、ショックのあまり硬直してしまったようだ。あとはこちらで場所を変えて話し合う」、などと話をでっち上げて、早々に彼らを撒いていた。

 とっさに機転が効いたり、相手から断片的に聞き取った情報を繋げて簡潔にまとめたりと、舌だけでなく頭もよく回るようで。


 「経済的に困窮しているうえ、頼れる人もいない。絶望的な状況で希望を見失ったって気持ちは分からないでも無いけど」


 しかし、当然だがそれだけでそいつがまともな人間であると断定するに及ぶ事はなく。


 「ちょっとばかり衝動に身を任せ過ぎね。万策尽きたと結論を出すのに焦る必要もないわ」


 「でも、ある意味若さと希望を持ってるからこそ為せることなのかもしれないわね」


 「………………全然、違う」


 「何が、違うの?」


 「何で生きてんだよ!」


 「…………」


 隣の席にいた老夫婦が、俺の荒げた声に反応し、体をこわばらせる。

 けれど、目の前の女は表情一つ変えることなく俺を真正面から捉える。

 そして別人になってしまったかのごとく口を閉じてしまい、そのまま何事もなかったかのように視線を落とす。

 視線の先、彼女の手元には、ダブルクリップで簡易に留められた、厚さ1センチに満たない、A4サイズの紙束が置かれている。

 それは、本来俺のバッグの中に収められていたはずのもの。

 女はページに記された文字を、じっくりと目で追っている。

 幾度となく読むなと言っても全く聞く耳を持たないため、今となってはそれを咎めようとする気はすっかり失せていた。

 女の左腕に巻かれた腕時計を見る。この席に着いてから、1時間と35分経過。

 その間目の前の女は、俺の身元確認もほどほどに、ひたすら手元の小説を読んでいたのだ。

 初対面の相手を放置したうえ、自分は相手の混乱に乗じていつの間にか掠め取ってた小説を、持ち主の目の前で読みふけるというその身勝手さに、筆舌に尽くし難い不快感を覚えて久しかった。

 だが、そんな彼女の意味不明な行動、その目的を追求する気は、不思議と全く起きなかった。

 次に彼女が口を開くその時まで、ただただ無為に過ぎていく時間に、身を任せることにした。


 「…………はぁ」


 いかにも死に損ないらしいと、素直に思えたからだ。

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