想い出の教室で

 俺の小学五年生の教室は、今いる高校の校舎の隣にある。その向こう側が中学校で、それぞれが複雑に繋がった入り組んだ構造をした木造建築物なのだ。

 その建築物の前を横断する幅の広い並木道は、生徒たちの目抜き通りになっている。向い側は講堂や体育館など巨大な建物が並んでいて、小学校の向かいは、図書館だった。


 小学生たちが下校して誰もいなくなった教室に入ると、懐かしい匂いがした。たくさんの小さい机が、狭い教室の中に押し込められている。子供の体だから、この狭さが丁度いいのだろう。

 落書きされた机を指先で擦ると、滑らかな木の感触がする。たくさんの生徒たちが、この机で勉強したり、弁当を食べたり、楽しい会話をしたりしてきたんだ。その度ごとに触れられて磨かれ続けてきた机は、多くの記憶を宿しているかのようだった。

 俺が使っていた机も、この中にあるのだろうか。あの時の記憶。それがこの教室にある筈だ。そんな思いで、俺はここにいた。


 窓から覗くと右手に夕陽が見える。目抜き通りには、部活帰りの生徒たちが幾つもの小さな集団を作っている。三階のこの教室から見下ろしていると、知っている顔があった。一人だけで、棒のようなものを体の前に突き出して、手首を使って回しながら歩いている女の子がいた。


「魔法の杖」


 格子が付けられた窓から身を乗り出してみたが、並木に阻まれて魔法使いの姿が見え隠れするばかりだった。名前を呼べば気付いてくれるだろうが、俺が呼ぶ理由が見当たらない。佐藤の妹は、只の美術部員の後輩でしかないのだ。


 その佐藤の妹が俺の真正面で足を止めた。こちらに背を向けて、上を見ている様子だった。その視線の先は図書館だ。図書館の二階か三階を見ていた。


「佐藤を待っているのか」


 姉の佐藤翠と待ち合わせでもしているのかと思った。


 くるくる、くるくる。


 図書館に向けて、魔法の杖代わりの絵筆が回る。


 くるくる、くるくる。

 くるくる、くるくる。


 この時、俺が記憶を失くしていなければ、このまま佐藤の妹をそこに立たせていなかった筈だった。声の限りを尽くして、佐藤の妹の名前を叫んでいた筈だったんだ。だけど、この時の俺は、佐藤の妹が見つめている図書館の三階で起きた出来事を忘れていた。


 図書館の三階の外壁から靄のような煙のようなものが見えた。窓のない三階の板壁。鎧張りの段々模様が綺麗な等間隔に並んでいて、一部分だけが霞んで模様が見えなくなっていた。

 佐藤の妹が魔法の杖を持っている腕を振り上げて、呪文を唱えては二度三度と手首を返して鋭く回す。その仕草をふざけてやっているのではない。俺からは後ろ姿しか見えないが、全身を使って本気で魔法を掛けようとしているのが感じられた。


「逃げろ」


 そう叫んでしまった時、靄だか煙みたいなものが三階の板壁から、まるで獲物を狙う猛獣のように佐藤の妹を襲った。

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