自宅で
家に帰った俺は、頭の中があの幽霊のことで一杯になっていた。不思議なことに幽霊に対する恐怖が無くなっている。何故俺と佐藤には見えたのか。それが気になった。
「成仏できない幽霊は、救ってくれる人に取り憑くって聞いたことがあるけど」
俺はヒーローだって、自分を奮い立たせる。女の子はたぶんまだ小学生だと思う。あの姿から推測すると、五年生か六年生だろう。そんな年齢で死んでしまうなんて何とも哀れだった。
学校に出るということは、在校生だったということなのかも知れない。だったらいつのことなのだろうか。いつ死んでしまったのだろうか。名前も分からない。
!
突然、俺はとんでもないことに気付いた。そして、こんな筈はないと何度も激しく頭を振った。あの場所ではっきりと見ていた筈なのだ。
「あれ? どんな顔をしていたっけ?」
拳で額を叩いてみても、まったく思い出せない。こんなことはあり得ない。自分で言うのも何なのだが、俺は記憶力が良い方だと秘かに自慢している。それなのに・・・
顔だけか?
女の子の姿も何故だかぼやけていた。
白い服? 黄色い服? ズボンだったっけ? スカート?
「何だ?」
ドンッと、机に拳を振り上げて叩いた。これはきっと女の子に掛けられた呪いだ。だからいつまでもあの場所にいるのだろう。
「成仏させてやろうじゃないか。それがヒーローだ」
スウェットに履き替えた右足を高く振り上げて、俺は悪を蹴り倒した。次いで左の正拳突きを繰り出す。悪には屈しない。強い意志を自ら確認した。
「どうしたの、ゲン。いつもより気合いが入ってるじゃないか」
母が覗きながら笑っている。両手を出して、俺の正拳突き防いでいる仕草をしている。その構え方が尻を突き出して、体を『くの字』に曲げている。俺を笑わそうとしているのは明白だった。
俺が勉強をしていると思っていたのに、物音がしたので心配したんだろうが、その結末がこの無様な姿をさらしている母の可笑しな性格の表れだった。
狭い家だ。台所とこの部屋しかない公団住宅。だけど、二人きりの家族には、これで十分だった。いいや、これだから十分に触れ合えていられるのだ。
「事件だよ、お母さん」
「そうかい。それじゃあ、ヒーローの出番だね」
親指を立てる母に、俺も親指を立てて応えた。こんな俺を一番理解してくれているのは母だ。片親しかいないことを少しも不幸だとは感じていないのは、こんな母のお陰だった。
「女の子が――」
? 何の女の子だ?
「何だっけ?」
俺は左手を腰に当てて、右手の人差し指で額を突っついた。
「はぁ、あんた大丈夫なのかい」
「何が?」
「ヒーローの出番じゃないのかい」
「何で?」
俺はとぼけているわけではない。たった今自分が言った女の子とは、一体何のことなのか思い出せない。何故母に事件だと言ったのか分からなかった。
母が俺の前にやって来て、両手で頬を挟むようにパチンと叩いた。瞳をじっと覗き込んだ。
「うん。正常だね」
俺の髪をくしゃくしゃにして弄んでいる。安心した母が俺によくやることだった。
「止めろって」
そう言いながらも、俺はされるがままになっている。これが母の愛情表現なのだから。
「ゲン、あんたは前にもそんなことがあったんだけど、大丈夫だよ。嫌なことを忘れるのは、決して悪いことじゃないさ。あんたは自分を守るためにしていることなんだからね」
母が大きく頷きながら言う。柔らかい手が俺の頬を包んでくれる。温かい母の体温。その言葉の意味を、俺はまだ理解できない。でもずっとこのままでいたいと俺はこの時思っていた。
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