図書館の書庫で

 クラスメイトの佐藤に誘われている。仮面ヒーロー1号2号を貰っているので、暫くは佐藤を優先させなくてはいけなくなってしまった。

 美術部を早々に切り上げて、図書館に向かう。空を見上げると、まだ明るい青空に半月を過ぎた月が浮かんでいる。満月になる前の上弦の月がぷっくりと膨らんだ形だった。


 ここは小中高の一貫校だが、元々は女子高校から始まっている。次第に校舎を拡張して中学校と小学校を繋げて作っていった。だからそのせいで校舎の形が複雑になって、まるで迷路のようになった。全体が木造で、切り取ったり貼り付けたりして大きくなった校舎は、何だか不思議な空間になっていた。

 図書館はその小学校の校舎の前にあった。小中高の生徒全員が利用しているし、明治の創立当時からの文献も豊富で専門家も出入りするので、大規模な施設になっていた。


 ここの学生司書として、クラスメイトの佐藤がいた。関係ないことだが、佐藤が多いのには困ったものだ。美術部の新入生も佐藤だし、隣のクラスにも、そのまた隣のクラスにも佐藤がいる。どこそこの佐藤と言って区別してやらないと、詰まらないトラブルになってしまうことも日常的だった。まぁ、こんなことは田中や山本でも同様のことだった。


 図書館はいつ行っても重い空気に満ちている。本の匂い。いや、臭いだ。カビやインクの臭いが嫌いだった。こんな中に暫くいると、必ず腹痛を起こしてしまうのだ。神経性ってやつ。毛嫌いしているから、俺にだってそれくらい分かる。


 一階は手前に最近の雑誌や新刊書などが並べられている。窓側に自習スペースがあり、書籍は陽の当たらない場所の棚にあった。


「悪いね、ハルカ。来てもらって」


 佐藤が小さく声を掛けて来た。こいつだけだ、俺をゲンと呼んでくれないのは。別に構わないんだけど。ゲンのほうがカッコいいじゃないか。


「どうした?」


 佐藤の表情は険しかった。いつもの俺を見下すようなことがないので、真剣な相談事かと身構えさせられてしまう。


「来て」


 三階へ上がって行く。そこは古い専門書ばかりで、誰もいなかった。本棚が幾つも並ぶ間を通って、一番奥の壁にある重い木の扉の鍵を開ける。


「入って」


 佐藤が俺の瞳を見詰めて促す。中は書庫だ。かびた臭いが充満している。息が詰まって、腹痛が心配になった。


 ぱちん。


 佐藤は書庫の電灯を一つだけ点けて、扉を閉めた。今立っている一角だけが灯される。書庫はずっと奥まで続いている。ここだけの電灯の光では、その奥までは届かなかった。


「全部、点けないのか?」

「うん」

「ここだけでいいのか?」


 佐藤の顔色が青い。脅えたような目をして、俺に急接近してくる。


「どうしたんだ?」


 佐藤の体から甘い香りがする。カビとは別の意味で、俺は息が詰まってしまった。


「いるから」


 佐藤の唇が俺の顔のすぐそばにある。熱い息が掛かる。


「へ?」


 少し厚ぼったい唇が震えている。


「奥にいるから」

「へ?」


 言われるままに書庫の奥に目をやる。電灯が届かない薄暗い中に巨大な棚が並んでいる。俺は佐藤の甘い体臭にむせびながら、無意識にその腕を掴んでいた。


 ばちん。


 電灯が消された。佐藤がスイッチを切ったのだ。真っ暗闇の中で、俺の体に佐藤は抱き付いてきた。震える四肢と体臭。


「見える? 奥にいるから」


 鼓動が伝わるほどに、俺も佐藤に体を押し付けている。いつもの悪ふざけかと思っているが、闇の中で恐怖に襲われてしまっていた。

 俺の目が闇に慣れた頃、佐藤が言う奥にほのかな明かりを見た。


「佐藤。今度は変わった趣向だな」


 目が慣れるまでの間に、俺は平常心を取り戻していた。もし佐藤が怖いのならば、電灯を消す筈がない。何かを企んでいるから、こんなことをしているのだと。


「やっぱり見えるんだね」


 佐藤はまだ芝居を続けている。しかも体を震わせたままだった。


「まぁ、面白い趣向だな。あれは何の光だ」


 俺は佐藤の腕を掴んだままで、奥へと向かって行った。近付いていくと、その光源は意外なほど大きい物のようだった。俺の胸くらいの高さはあるかもしれない。


「驚かせては駄目だよ。あの子はとても気が小さいから」

「あの子? 人がいるのか?」


 書庫の一番奥の棚の陰。そこに、そいつがいた。


「!」


 身長は俺の胸まであった。白いポロシャツに、淡い黄色の半ズボンとスニーカー。背中まである長い髪の女の子が、闇の中でうすぼんやりと青白く光っている。その体は透けていて、とても実体であるように見えなかった。


 幽霊!


 俺の全身に鳥肌が立つ。声すら上げられない。それどころか、呼吸が出来ない。息が吸えないんだ。焦ると余計に吸えなくなった。そして、膝ががくがくと震えだして、力なく腰を抜かしてしまう。


「良かった。この子が見えるんだね」


 必死に逃げようと床の上でもがいている俺に、佐藤が静かに言う。パンっと腰に軽く平手打ちをした。


「この子を救ってあげて。アンタはヒーローなんでしょ」


 俺にとって、ヒーローの言葉は特別な単語である。ヒーローは決して悪を見逃さない。そして、ヒーローは悪に立ち向かう。しかし、相手は幽霊だ。幽霊の悪って何だ。


「お前、この子を知っているのか?」


 ヒーローというキーワードが俺を立ち直らせている。すでに佐藤の手のひらに乗っている気がしたが、そんなことはこの非常事態に気にしないことにした。


「この子は何も教えてくれない。今月になってから、アタシの前に突然現れた。っ言うか、アタシがここで見つけた」

「怖くないのか?」

「この子は何もしない。何も言わない。ただここにずっと立っているだけ」

「でも、救うっていっても、この子は・・・あれなんだろう」


 俺は本人を前にして、幽霊と呼ぶことを躊躇った。

 なのに。


「幽霊よね。たぶんこの子は自分が死んだことを自覚しているみたい」

「成仏させてあげると言うことなのか」

「分からない。何も言ってくれないし、アタシとアンタにしか見えないみたい」

「そうなのか?」

「下級生を連れて来て肝試しをしたけど、誰も騒がなかったから、きっと見えないんだと思う」

「佐藤は時々思い切ったことをするよな」


 俺はその行動力が頼もしかった。


「未練があるんだな。分かったよ、力になる」


 幽霊はすうっと姿を消していった。闇の世界に戻ると、俺はずっと佐藤の腕を掴んでいたことに気がついた。

 恥ずかしくなって慌てて放したが、佐藤は闇の中でうふふと笑っていた。

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