新入部員と美術室で

 俺の名は、玄。



 広やかに奥深く、はるかに遠き、はじめとなる天地万物をなすもの。



 親に言わせると、そう意味を込めたそうだ。クラスの女子一人を除いて、ゲンと呼んでくれている。小さい頃からヒーローに憧れていて、本気でなりたいと考えていた。ちなみに小学生の時の将来の夢は、仮面ヒーローになることだった。尖った顎を正義の武器にして、悪ガキ達と戦っていたんだ。


 今は高三だから、ちゃんと現実を見ているから、そんな非現実は胸の中にしまい込んでいる。だけど、人間としてその理想は大切だと考えている。変身できなくても、ヒーローの心得は将来の夢そのままだった。


 ヒーローは決して悪を見逃さない。そして、ヒーローは悪に立ち向かう。これは俺のポリシーさ。人生観だ。だから他人になんて言われようが変えたくない。変えようがない。これが俺って言う人間を形成しているんだからね。


 美術部が俺の放課後の居場所だったんだけど、三年生になってから二週間しか経っていないのに、部長の鹿島がやたらと俺に牽制してくる。優等科の俺が邪魔な様子だった。


(分かってるよ。早く帰って勉強しろって言いたいんだろ)


 でも、俺は高校生最後の作品を制作中だった。まぁ、他人様にお見せするほどのものでもないが、このクラブに在籍していた証を残したかった。

 俺にはっきりと言えない態度を取っている鹿島は、耳の上まで刈り上げた後頭部を掻きながら、ニキビ面をしかめている。前髪だけが異様に長くて、変な髪形だった。


(言いたいことがあるなら、男らしく言えっての)


 俺はイーゼルに載せられたキャンバスを前にして腕を組んだ。その背後で新入生がやたらと笑顔を向けていた。昨日入部したばかりの女子だけど、まだこの時期に正式入部してくる新入生はいない。普通は校内行事でクラブ活動紹介を催してからのことなのだ。


「えーと、佐藤さんだっけ。一年二組は、優等科だね」

「はいっ」


 やたらに元気がいい女の子。ショートボブがさらさらで、てっぺんに光の輪が出来ていた。


「何が得意なの?」

「はいっ、イラストが好きですっ」

「じゃ、水彩画かな?」

「はいっ、先輩っ」


 緊張して表情が強張っている。未知の世界に飛び込んでくる新入部員と言うのは、誰だってこんな感じでいるものだ。


「あぁ、ゲンでいいよ」

「はいっ、ゲン先輩っ」

「ん? あのさ」

「はいっ?」

「先輩はいらないからねってことだよ」

「はいっ、先輩はいらないゲン先輩っ」

「あのさ、からかってる?」

「はいっ」

「やっばり?」

「はいっ、やっぱりっ」

「からかってる?」

「はいっ、からかってますっ」

「バカだね?」

「はいっ、バカですっ」


 俺は失笑してしまった。この子は緊張なんかしていない。中学までは別の学校に行っていたと言う。小中高の一貫校のここに、わざわざ高校受験して入学して来たのだ。顔見知りがいなくなることを承知で、そんなことをしてしまうには、きっと覚悟があってのことだと思った。


「いいね。そういう性格、好きだな」

「はいっ、ありがとうございます。ゲン先輩っ」


 俺の絵を眺めて、続けて鹿島の絵を見に行く。大らかというか、物怖じしないと言うか。これからが楽しみな奴だった。只、先輩なしでゲンと呼んでもらえないのが残念だ。

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