ゲン

通学路で

「おはよう、ハルカ」


 さらさらの長い髪を掻き上げながら、挨拶をしてすれ違って行く。その女子高校生が集団の中に入って通り過ぎて行った。朝から賑やかに笑っている。小テストの話題も楽しげで、余裕綽々と言った雰囲気だった。

 俺は無表情にクラスの女子らを見送った。俺の朝の始まりは、清水と登校するのが、いつ頃からかのお決まりになっていた。


「おはよう、ゲン」


 桜の花びらが舞う中に、清水がいる。左手で頬に垂れる髪を耳に掛ける仕草が、実に艶やかだ。今年の桜は例年よりも遅い開花だったけれど、今はもう見頃が過ぎようとしている。最後の花吹雪が綺麗に通学路の景色を演出していた。


 中学生まではいじめられっ子の清水だったが、高校生になってから、少しずつイメージを変えていった。いつも自信なさそうに俯いて顔を隠していた長い髪を、俺は入学式の前日に、ばっさりと切ってあげた。何故なら進学すると言っても、ここは小中高の一貫校で、ほぼ全員がそのまま持ち上がりになるようなものだった。但し、成績によって普通科と優等科に分かれていた。優等科は上位の一割もいない。まあ、成績はともかくとして、そんな学校事情だから俺としては何とかしてあげるつもりだったんだ。


 もちろんその時の清水の勇気は、大変なものだったと思う。髪を切られながら、全身を震わせて泣いていたことを忘れられない。俺だってこんなことをしていいのかと不安だったのだ。


 でも、長い髪で顔を隠し、俯き加減で見上げる清水の目つきは、他人を睨んでいるとして思えない。まるでホラー映画のような目で見られれば、誰だって不気味に感じる。だから皆が清水を避けて、虐めるようになっていたのを俺は知っていた。


 自信を持って顔を上げていれば、虐められなくなる。その俺の予感は的中した。当初は奇異に見られて、大変身した清水を周囲には本人であることが分らなかったようだった。逆にいえば、誰も清水の素顔を知らなかったのかもしれない。思いもかけず、清水は可愛かったのだ。


 そして今、眼鏡を掛けた清水の容貌は、一緒にいる俺と必ず見比べられてしまうのが気になってしまう。見るからに頭脳明晰な清水は、優等科のまさに優等生だった。


(まぁ、不釣り合いなのは分かっているさ。だけど、この尖った顎は、いざという時の武器なんだからさ。勘弁してくれよ)


 まじまじと清水の顔を見ていると、困ったような表情になっていく。大きな黒い瞳が、くるくるとよく動く。その度にキラキラと輝いて朝の光を跳ね返していた。


「おはよう。今日も元気に頑張ろうぜ」


 俺の高校三年生の人生は、まだ始まったばかり。四月の日差しが気持ちいい。平和な未来が待ってくれている。そんな予感がしていた。


「おはようごさいます」


 先生のバイクが速度を落として、生徒たちの間を縫いながら走って来るのをいち早く発見して挨拶をする。


「よう、おはよう。今日も元気だな」

「ありがとうございます。先生、よそ見していると危ないですよ」


 ふらふらと操るハンドルが気になった。車道と歩道の区別のない土手沿いの田舎道。もうこの辺でバイクを降りて行けよって、俺は心の中で呟いていた。


「清水は相変わらず美人だな。ワハハハハ」


 排気ガスを撒き散らして去って行く。この変態教師って、俺はまた心の中で叫んでいた。はっきり言ってやるべきなんだろうか。教師として、大人として、ちゃんと自覚しろって。


「変な先生だね。そう思うでしょう」


 いじめられっ子だった清水は、もう何処にもいない。俺はそれが自分のことのように嬉しかったんだけど、


「あのエロ教師。また、見比べて行きやがった」


 急いで小石を拾って、教師の背中に向かって投げつけたが、無意識に手加減してしまって、あぜ道に飛んでいく。


「エロ教師!」


 もう一度叫んでやると、通学中の皆が笑っている。自称エロ教師を公言しているので、そう呼ばれるのはいつものことだった。


「アハハハ」


 清水が笑っている。俺は笑っていた。皆の目には俺のことは、どう映っているのだろうか。仲間? 仲良し? 友達? 親友? それとも、???

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