月と魔法の物語り

@fumibito

あい

美術室で


 今日は、七月十二日―――それがこの物語りの最後の日。



《ここから見える小さな丘の上。あのてっぺんの木に墓碑があるんですっ。そこに眠っているのは、ふたりっ。つまり、――― 》

 美術室前の廊下から見える古墳丘を眺めていると、さらさらのショートボブの髪が風に揺れて気持ちいい。両手の人差し指を胸の前に突き出して、

《そして、二人の魂は、私の魔法で元に戻ったんですっ》

 ゆっくりと両方の人差し指を絡ませて、笑顔を作る。

《いや、いや、いや、いや。魔法なんて信じないね》

 先輩が突然大笑いしながら否定して、絡めた指を引き離す気がした。

《それが私なんですっ。ゲン先輩が嫌いな魔法。それを使ったのが、私なんですっ》

《また魔法かよ。杖をくるくるって回すやつ。日曜日の朝のお子様アニメだなぁ》

《ゲン先輩こそ、特撮ヒーローオタクじゃありませんかっ。とっくにばれていますよっ》

 私は先輩の焦りの表情を垣間見る。この美術部では、いつだってクールに決めている筈だけど、ちゃんと知っているんだよ。下級生がいない場所での先輩のこと。

《三年生としてのプライドですねっ》

《何のことだ?》

《変っ、身っ! とうっ! って》

 両腕を上げて軽くジャンプをして、着地をすると決めポーズまでしてみせた。美術室にいる全員に注目されるけれど、まったく気にしない。私はそう言うキャラなんだ。

《な、な、な、ななななな》

 先輩は、それに見覚えがある筈だ。日曜日のお子様魔法アニメの前の番組。特撮変身ヒーロー番組が、幼い頃から大好きだった。

《あれ? 間違ってましたかっ、決めポーズ?》

 小首を傾げて、さらさらの髪を掻き上げると、今度は私の女の子を表現してみせる。

何故知っている? お前らの前では、そんなことをしたことがない筈だぞ?と、そんなことを思っているのかな。でも、絶対に言わないよね。必死で落ち着いた表情を作る筈だよね。

《詰まらんことをしてないで、絵に集中しろっ》

 そう。やっぱり先輩は、そう言ってくれた。

 水彩画は、まだ下絵が終わっていない。私はこの美術部では、水彩画を好んで描いていた。油絵よりも、アクリル絵の具の色合いが、私らしいと思っていたからだ。

《はっ、申し訳ありません。ゲン隊長、失礼しました》

 小首を傾げて、敬礼してみせる。

《よし。作業に戻れ。佐藤藍上等兵》

 ちょこちょこと爪先立ちで廊下の窓から離れていく私の背中を、先輩の視線は追い掛けてくれているだろうか。その先の壁際には、先輩の書きかけのキャンバスが、イーゼルに今も置かれている。お気に入りの仮面ヒーローのぬいぐるみストラップがぶら下がったままだ。しかも1号と2号。

《ヤバイ!》

 今度は、そう思っているに違いない。だけど、今更どうにもならないよ。慌てて隠すと、私が言ったことを認めてしまうことになるからね。ここは一年生に言われたことなど無視しておくのが、一番なんだから。それが三年生として最良なんだって

 私は一年生の輪の中に戻って賑やかにしている。先輩のことなんかもう忘れてしまったように、仲良しの部員にちょっかいを出して笑っている。

 鹿島部長が私を睨んだ。油絵のペインティングナイフを豪快に振るいながら、目が文句を言っているみたいだ。

《はいはい。三年生の貴重な時間を割いて、部長だから来てやっているんだ。お気楽な一年生坊主が羨ましい。とでも言いたいわけね》

 その視線を真っ直ぐに受け止めて、私は笑顔を返してやる。この高校は明治期から続く伝統ある高等学校だ。受験勉強なら優等科に入学した時から始まっている。今更焦っている普通科の部長とは違うんですよ。そんなに余裕のない気持ちでどうするのと、目で訴えてやった。

 それを感じたのか、部長の視線が逸れた。

《勝ったっ。そうだ。ゲン先輩は、ヒーローは絶対に負けてはいけないと言っていた。勝つのが、ヒーローなんだってっ》

 ふふんと鼻を鳴らしてやった。油絵が絵画の最高峰だと考えている部長が気に入らなかった。水彩画は油彩画と違って、書き直しが出来ない。だから水彩画をするのが、常に全身全霊をささげて作品を仕上げていくことを分かっていない。ただ単に、大作を作れて色あせずに残しておける売れる絵画の油絵を上位としているのだった。

 気を取り直してパレットを持ち、筆を取った。絵の具が少し乾いてしまっている。腕時計を見ると、かなり話し込んでいたようだった。

《ゴメン、鹿島部長。私が悪かったっ》

 ヒーロー失格は、もう自覚している。あとわずかで一学期が終わろうとしている。この数ヶ月間で、私はいやというほどに、この事を身に沁みて感じていた。

《先輩はヒーローになれなかったんだっ》

 憧れのヒーローは、決して悪に屈しない。それが出来なかった先輩には、もうその資格がない。

《佐藤の魔法が、結局は正しかったのかもしれないな》

 がっくりと肩を落としている先輩の姿を思い出すと、創作意欲も無くなった。パレットの絵の具も、どんどん乾いていった。

《ゲン。帰りに寄って行く?》

 向かいの席にいた三年生が、先輩をいつも誘っていたっけ。コップを持つような手付きをして腕を突き出して、言っていたっけ。

《コンビニ? それとも――》

 その横にいる人が、それに割り込んで来て笑っている。

《駅前の!》

 その人は少し強引そうに言った。

《ピュア ホワイト?》

 そのお店の名前を言ってしまう先輩。仕方ないなぁっていう顔で、その人につられて笑っていたっけ。

 その人のふっくらした体格を、先輩はちょっと憧れている。痩せ過ぎだなって。無理をして痩せようとしている私からすれば、羨ましいことなのだが、先輩は太ったことがなかった。頬が痩せているので、顎が尖っている。それが少々難有りだった。お母さんからも年頃のふくよかさがあればと、いつも嘆かれる始末だったようだ。

《じゃあ、今日はイチゴ味で》

 ついつい乗ってしまう先輩だが、月末までのお小遣いがやばそうみたいで、Sサイズだけで我慢することにした。

 母子家庭が、先輩の現実だ。でも、少しもそんな一面を感じさせないようにしていた。隠していたのかもしれない。ヒーローだから、弱点は見せてはいけないんだ。この美術部でも、それを知っているのは、私とその人たちだけだった。

《今夜は皆既月食だから、お店の二階から見ましょうよ》

 夏休みまで、あと一週間。

 でも、

ゲン先輩は、なくなってしまった ――


 そして、四月十二日―――たったの三ヶ月前。それがこの物語りの始まりの日。

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