第一章 キタキツネ



俺はただの飼育員だった。

パークに入ったのは二年前で、しっかり一人前にパートナーのフレンズもいた。


「ねぇーカンター、げぇむしようよぉ〜…」


「だーめだって…あと十分テストの時間が残ってるんだから…キタキツネには簡単だろ?」


「ボクできないもん!やめる!」


キタキツネが机を飛び出す。


「わ、ちょっ、待てって!」


よくあるフレンズの知能検査だ。

月に一回、簡単なパズルを解くだけなのだが…この子、キタキツネにはどうしても苦痛で仕方がなかったようだ。


「こやんっ!」


「捕まえた!ホラ戻るぞー、終わったらゲームなんていくらでもできるんだからさ…」


「いぃぃぃゃぁぁぁだぁぁぁぁ…」


キタキツネの肩を持って廊下を引きずる。

他の教室からクスクスと笑いが聞こえてきて、なんだかこっちまで恥ずかしくなってくる。


キタキツネな一通り道徳教育は終えているのでこれ以上授業を受ける必要はない。

そう、終えているので必要ない。

寝て終えただけである。


「カンタのけちんぼ…」


ぶぅっとふて腐れてキタキツネが頬を膨らませている。


「仕方ないだろー?こっちだって無理強いしたいわけじゃないんだから…」


キンコンカンコンとあの音が響いてくる。


「おわりっ!」


ダダダとキタキツネがまた駆け出す。

答案や鉛筆を跳ね飛ばして。


「ちょっと!走るなって…」


ヒラヒラと舞い散る答案用紙を捕まえて走る。


厄介なフレンズの飼育員になったものだ…


「ィャー!」


「キタキツネっ?!」


廊下の奥から小さな叫び声が聞こえたので走っていくと、ギンギツネのフレンズにギュッとされているキタキツネがいた。


「廊下は走らないの!」


「くぅ…」


ギンギツネの胸に抱かれて耳が垂れている…


「まったく、カンタの管理が甘いからキタキツネはこんなになってるんだからね?」


「う、申し訳ないです…」


ギンギツネにはどうしても頭が上がらない…

キタキツネの丁度お姉さんポジションだ。

頭を掻いてヘコヘコするしかない。


ギンギツネがため息をつきながらキタキツネにが頬をつける。

なんだかんだ言っておいて、ギンギツネも過保護なのに変わりはないが…


「んむぅ…」


キタキツネがギンギツネの胸に沈んでいく…

どっちもどっちだな…

なんかこれ以上見てはいけない気がする。




2人のフレンズと共に帰途につく。

キタキツネとギンギツネは温泉旅館に住み込んでいるので、それにあやかって俺も泊まれている。


温泉に入れてさぞ快適だろうって?

いやいや、道のりを見れば嫌になるさ…

旅館の場所は山の中腹、ずっと登っていかなければならないのだ。

フレンズだからこそ歩いて行けるような場所だが…飼育員としてついていかなければならないという面倒臭さ。


「ギンギツネ〜おんぶ〜っ…」


「ダメよ、しっかり歩きなさい!」


「カンタ〜」


「いや無理…」


落ちないようにアイゼンを装着し、ガッツリ登山スタイルなのだ。

ただでさえ重装備なのにおぶれる訳がない…


「ただいま〜」


「ギンギツネ!お帰り!キタキツネ、カンタも!」


「あ、ただいま…」


出迎えてくれたのはアカギツネのフレンズだ。

浴衣衣装を着ている。

自分で着付けが出来るくらいにこの子たちは成長しているのだ…キタキツネ以外は。


ギンギツネは旅館の切り盛りをしている…

そんじょそこらの人より有能って事だ。


「ギンギツネ〜ご飯何時から〜?」


「6時からにするから、その間に湯の花が詰まっていないかポンプを見てきて」


「ぇえ?やだぁ…帰ったらげぇむしていいってカンタが言ったんだよぉ…?」


キタキツネが目をウルウルにしてこちらを見る。

なんとも逆らい難い…この必殺技を仕掛けられると人道に反する事をしている気になる…


「だーめ!キタキツネとカンタで見てきなさい、ホラ早く早く」


「え、俺も…?」


せっかく装備を脱いでいた所だったのに。

靴にアイゼンをつけ直すのがダルい。




ザクザクと雪の質感が違う。

少し下の方で溶かされた雪が外気で凍るので硬い。


「今日も詰まってないな…」


2年もこの温泉に寝泊まりしていれば機械類にも詳しくなる。

にしても旅館の給湯システムの管理まで押し付けてくるなんて…ブラック会社だ全く。


「…ねぇカンタ…」


「ん?どうしたの?」


キタキツネの耳がぴんと張っていた。

目は光っており、動作が野生の動物らしくなる。


「いやな磁場を…感じる…」


フレンズにしか感じられないものは多い。

実際に第六感を持っていると実験データが出たフレンズも居るくらい––「カンタ!」


キタキツネが突然叫んだ。

怯えたようにキタキツネが駆け寄ってきて、耳を押さえてうずくまる。


「どうして…はっ!」


その瞬間、俺の耳にもハッキリと雪崩の音が聞こえてきた。

山の上の方を見ると、まっすぐコチラに紫色の混ざった雪崩が落ちてきた。

その紫色の正体は直ぐに分かった。

セルリアンだ。


ここから逃げても間に合わないだろう。

給湯施設の陰に隠れてキタキツネを抱き寄せる。


「エアーポケットを作って!」


キタキツネの口に手を当てさせる。

これで埋まっても息は出来るはずだ。

問題はあのセルリアン。

こんな時どうすればいいのかなんて勉強してない、どうすればいい?


数十メートル前で雪崩が大きく跳ねた。

中にあるセルリアンがコチラを見ている。


キタキツネの事を離すまいと抱き寄せていたが…






車にぶつけられたような衝撃だった。


給湯施設は倒れ、下に転がっていった。

セルリアンは衝撃で爆ぜたものもあれば、そのままどこかへいったものもあった。


雪の中に俺は埋まっていた。

雪はとんでもない重さだった。

上に何メートルある?待てよ、俺はエアーポケットを作ってなかった、息が––




俺の口を塞いでいてくれたのは焦茶色の手袋、それは紛れもなくキタキツネのものだった。


「…!んっ!キタキツっ!んんっ!」


動こうとするが体は押さえつけられ、一向にびくともしない。

そうしている間に感じてきた。

手が冷たくなってきたのだ。

周りの寒さと関係なく、全身から血の気がひいて青くなっていくのが自分でも分かる。


「ダメだキタキツネ!キタキツネ!動け動けっ!」


そうしている間に手は虹色の輝きを放ち始め…


消えていった。


「ぁぁぁぁぁぁあああああああっ!!!!」


空気が薄くなるのも構わずにキタキツネの名前を叫び続けるが、反応はない。



「そんな!嘘だ!嘘だ!」


キタキツネの手の形に凹んでいた雪が口の中に落ちてくる。


「キタキツネ!キタキツネっ!」






俺はしばらくして掘り出された。

どうして今日の日にこんなことが起こるなんて想像できただろうか?

最後にゲームすらさせてあげられなかった。


「え…えへっ…そんな、そんな訳…」


ギンギツネが笑うとも泣くともつかない顔で訳がわからないと言うふうに涙を流す。


俺が寝かしつけられて折れた足を固定されている脇に毛の塊が運ばれてきた。


動かなくなったキツネだった。






葬式が行われることは無かった。


死んだキツネの葬式をどこに頼めばいい?


だが俺があの件で責任を問われることは無かった。


「…キタキツネは…キタキツネは貴方が守れなかったから死んだ…」


ギンギツネが膝に顔を埋めながら言う。

目の前で火が上がっている。

しかしそれを誰も恐れない。

中で美しい毛並みが燃えていく。


俺は最後までキタキツネが燃えるのを見れる気がしなかった。


「もっと俺が…しっかりしてれば…」


でもどうやって。


どうやったらあの子を死なせずに済んだ?


知り合いのフレンズや、職員がキタキツネの炊き上げに参加した。

臭い肉の焼ける匂いが鼻を突き、さらに涙がこぼれ落ちる。


「やめて下さいよ…仕方ないじゃないですか…だってキタキツネさんは…」


アカギツネが下を向いて言う。


バチバチと薪から火の粉が舞い上がる。

炊き上げは3日続いた。

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