第二章 失敗



俺に担当のフレンズはいなかった。

というか、俺が全て拒否した。

雪山の温泉を出て、俺はアパートに住んでいる。

その代わり、俺は新人の教育係として抜擢されたが…あれから半年経った今も、まともにフレンズの顔を見れない。



「出て行って。お願い」


荷物を投げ出されたあの日。


「やめて下さいギンギツネさん!カンタさんは」


「うるさい!もうアイツに用はないのよ…顔も見たくないわ…出て行って!」


ギンギツネがピシャリと入口のドアを閉める。



「ギンギツネさん!カンタさんが悪い訳じゃ…」


「分かってる…分かってるわよ…」


ギンギツネが顔を押さえて泣き崩れる。


その声、音、輪郭が照明で映し出されて俺の目に届いている。


俺は黙って装備を整えると山を降りた…




「カンタ先輩、質問なんですけど…」


「あ!うん、なんでも聞いて…」


新人の飼育員相手ならなんて事ないのだが…



「カンタさん!カンタさんもこっちきて遊ぼう?」


「ぁ…あぁ…ごめんね…また今度…」


「えー?つまんないのー」


小声の会話が聞こえる。


「カンタさんって、全然一緒に遊んでくれないよね、変な人」


「いっつもああだよね、目も合わせてくれないし」


飼育員としては致命的だろう。

フレンズとはまともに会話が出来なくなってしまった。

特徴的な耳、尻尾を見るたびに頭の中にフラッシュバックする。

その度に胃はひっくり返り、頭は焼けて目を穿り出したくなる。




考えてみれば、俺がモラルだとか何だとかで問い詰められる事は無かった。

ひっかかりかけたのは動物虐待禁止法。

当然それで訴えられる訳は無かったが…

俺は知ってしまったのかもしれない。

今まで何人と数えてきたフレンズたちは、世間にしては「何匹」だったのだろう。

人の形になった、ただの動物。

そのただの動物が、飼育員の監視下で死んだ。

不慮の事故?ペットの死?

『よくある事だ。』


「うっ…」


「カンタ先輩?!」


「ごめん…ちょっと…トイレ…!」




「オエッ…ぅぅゔっ…」


昼飯を全て流した。





そう、丁度その頃だった。


商店街を歩いていると、向こうから歩いてきたのはギンギツネだった。

姿がよくキタキツネに似ている。


瞬間、胃が痛くなり、見つからないように路地に隠れる。


「ここが…ショウテンガイ…」


「そうよ、ここでコインを出してお買い物をするのよ…」


話し声が聞こえる。

黙って隠れていればきっと見つからない…


「どうしたの?お腹いたいの?」


声がした。

誰の声だっけ、聞き覚えあるような…


「いや、大丈…」


顔を上げた。

声が出なくなった。


オレンジのブレザー、白いスカート、あの時にエアーポケットとなったあの焦茶色の手袋。


「は、…は…ぇ?」


不思議そうに目の前の少女が首を傾げる。

頭には尖った三角の耳が揺れている。

顔も全く、そのままだった。


「キタ…キ…」


「ちょっと!キタキツネどこに…」


路地の奥にギンギツネが見える。


「何…え?俺…」


喉の奥がつっかえて言葉が出ない。


ギンギツネがキタキツネの手を取る。


「ダメよ、変な人と関わっちゃ」


そそくさとギンギツネが俺のところから去ろうとする。


「あの!キタキツネ!」


ようやく声が出た。

周りの人が見ている。


「ぉ…覚えてない…?」


「…ごめん、ボク分からないんだ…」


キタキツネをおいてギンギツネがコチラに向かってくる。


バシン。


思い切り頬を張られた。


「どういう神経してるのよ…行きましょ」


2人のフレンズは手をつなぎながらどこかへ歩いて行った。






このまま跳べば、自由になれるはず。


あの日、雪の重みの中で俺は全部失ってしまったと後になってから気づいた。

みんなみんな当たり前だと思ってた全てが崩れていった。


落ちる。

空を切って、まるで卵が割れるかのように。


バチン。

 

花火を始めた若者たちがはしゃいでいる。

日が落ちた。


一歩だけ、空に踏み出す。


目を瞑って、右足をそっと崖から出した。














「ダメですっ…よっ!!」


傾いた状態の俺を誰かの手が支えた。

そのままぐっと引き戻されて尻餅をつく。


「はぁ…何だ…?」


「カンタさん!自分が何をしようとしてたか分かってるんですか?!」


俺の名前を呼ばれた。

後ろを振り向くと、アカギツネがいた。

目には涙を浮かべている。


「何でここに…」


「だって…ギンギツネに聞いたから…後をつけてきたんです…」


「…よ、余計なことしないでくれよ…俺は…もう別に生きてる意味なんてないんだし…」


またしても頬を張られた。


「バカ言わないでください!カンタさんが死んだら何になるっていうんですか?」


「それは…」


アカギツネの潤んだ目から涙が落ちる。


「みんな…おかしくなって…私は…それでもしっかりやろうと思ってるのに…」


「ごめん…ごめんアカギツネ…泣かないで…」


アカギツネが肩を掴む。

強い手だった。


「じゃあ…グス…死なないでください…私のところからいなくならないで、元の生活に…戻って下さいよぉ…」


アカギツネが大声を出して泣き始めた。

花火は華々しく、置き型バチバチと音を立てるものも始まったようだった。




「ただいまー…」


誰もいない部屋に向かってただいまを言う。

建ててからかなり経っているアパートなのでかなりボロが来ているが、生活に支障はない。

ホットプレートの上には、朝作って半分だけ食べたホットケーキが乗ったままだった。


結局、ただの散歩になってしまった。


テレビをつける。

特に面白い番組があるわけでもない。

冷めたホットケーキを温める。






「美味しそう…!」


ギンギツネが珍しそうにホットケーキを覗き見る。

火が苦手な彼女たちのために自費でホットプレートを購入した。


「熱いから、火傷しないようにね!」


「ボクもやりたい…カンタ、それかして」


「ちょ、生地のまま食べたらダメだって…」


ワイワイと旅館の一室が賑わっている。

今日はあまり宿泊客がいないので4人で自由にしていた。


ジュワッと生地が熱で膨らんでいき、美味しそうな匂いが辺りに漂う。


「わぁ…カンタ、もっと焼いて!」


「分かったから、ほら焦らないで」


生地が無くなったので、ガラスのボウルの中にドゥルンと卵を落としてかき混ぜる。


「そこの砂糖取ってくれる?」


「カンタ、バターどこにあるの?」


「これおいしい!何で名前だっけ…」






ホットケーキ。

冷たくて、もう硬くなっている。

かけたメープルシロップがカチカチで、美味しくも何ともない。


ただ夕飯を作る気力もない。


机の上にはまだ遺書が置いてある。

インクの乾ききらないうちに畳んで染みた後が残っていた。


「こんなの…」


クシャクシャにしてゴミ箱に投げ入れた。

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