Scenario.12
†
残りの午後の授業を受けたあと、寮に帰って身支度を整えてから待ち合わせ場所に向かう。
敷地の外れの方にある旧校舎。現在、倉庫として使われているだけで、この時間になると、人気(ひとけ)は全くない。
約束の時間より15分ほど早くつくと、既にエリスとクロエが待っていた。
昼間会った時と違って、エリスもクロエも制服ではなく、私用の地味な服を着ていた。これから首相官邸に忍び込もうという時に、流石に近衛騎士や学園の制服姿はまずいということだろう。
クロエの右手には――ウイスキーのボトル。昨日飲んでいたものとはボトルのサイズが違うので、きっと新しいものだろう。中身は半分ほどなくなっている。いざとなれば王女を守らなければいけないのに、あんなに度数の強そうなお酒を飲んで大丈夫なのだろうか。
「今は勤務時間外なんすか」
聞くとクロエは「当然だ」と答える。
「盗聴するのが仕事なわけがないでしょう」
だから、酒を飲んでいたって構わない、という理屈なのだろうか。その声色からは、酒でも飲んでないとやってらんないっすよという心の声まで聞こえてきそうだ。
クロエは近衛騎士として王室に仕える身。当然、王女様の命令は絶対だろう。その命令が自ら危険に飛び込んでいくようなことなのだから、かわいそうだ。
「安心しろ、クロエの飲酒は私公認だ」
とエリス。
「どう言うことだ?」
「クロエは酒を飲んだ方が強くなる、酔剣の使い手なんだ」
酔剣か。中華の技法でそういったものがあると噂に聞いたことはあるが、実在するとはにわかには信じられなかった。
「さぁ、行こう。これをつけてくれ」
エリスはそう言って、俺に大きいハンカチ渡してくる。何に使うのかと思ったが、すぐにエリスがポケットからもう一枚ハンカチを取り出して自分の顔の半分を隠したので、使い道がわかった。
これから首相官邸――いわば敵の本拠地に潜入するのだ。見つかればただでは済まない。だからこそ、エリスもクロエも、制服ではなく、身分がわからないような格好をしているのだ。
受け取ったハンカチを頭の後ろでしっかりと結ぶ。なんだか少しだけワクワクしてくる。
「じゃ行こう」
エリスを先頭に歩き、旧校舎の裏手に周り、鍵のかかっていない建物の中に入る。エリスが杖を掲げて、先端に灯りを灯した。クロエもそれに続く。二人の明かりで十分先が見えたので、俺はそのまま二人の後ろをついいく。
床にはかなりの埃が積み上がっていて、旧校舎が普段まったく使われていないことを示していた。
静まり返った廊下に、自分たちの足音だけが反響する。5分ほど歩いて、ある部屋の前でエリスが立ち止まった。
扉には鍵穴があったが、エリスがノブに手をかけるとあっけなく開いた。中には入ると書庫になっていた。並べられている本はかなり年季が入っている。背表紙はどれも古語で書かれていた。ほこりの積み上がり方からして、相当放置されているのは間違いない。
エリスは、本棚の間を進んでいく。そして端までいくと、立ち止まり、そこでポケットから何かを取り出した。
エンブレムだった。目を凝らして見ると、獅子とペガサスが描かれている。エリスはそれを本棚にかざす。すると、次の瞬間本棚がギシギシという音を立てながら、開き扉のように手前に開いた。
「王室の紋章をかざすと地下への道が開くんだ」
エリスが得意げな表情を浮かべて説明する。
中を覗き込むと、石畳の階段が地下に伸びていた。少ししてから、廊下の両脇に、仄かな明かりが灯る。
「さぁ、行こう」
エリスは先陣を切って階段を降りていく。俺たちは少し遅れてそれについていく。
階段を降りると、石畳の道がまっすぐ続いていた。
「今更だけど、どうして首相官邸とクイーンズカレッジが繋がってるんだ? 王宮とつながっているなら分かるが」
聞くと、クロエは前を見たまま答える。
「王宮にも繋がってるぞ。この通路は、元々は王室の人間がいざという時に逃げるために作られた通路だ。王族の多くがクイーンズカレッジに通っているからな。まさに私のような人間のために作られたんだ。で、官邸に繋がってるのは、ちょっと理由が別で、かつて政権と王室が対立していた時代に、政権の様子を探るために道が増設されたんだ」
「なるほどね」
平民の生きるのとはまったく違う世界があるらしい。まさしく歴史の中の世界だ。
「ちなみに、通路には危険はないのか。例えば罠が仕掛けてあるとか」
王室が逃げるための道、ということは、追っ手を迎撃するための仕掛けがあってもおかしくはない。
「安心しろ、私の庭みたいなもんだ」
なんとも力強い言葉。だが、隣のクロエに視線を送ると、首を小さく横に振った。それを見て、俺は思わずエリスに確認を続けた。
「罠の場所がわかるとか、そんな感じか?」
「罠はあるが、王室の人間がいれば、危害を加えないようになっているはずだ」
“はず”という言葉が、にわかに不安を煽る。
「王族は、この通路をよく使うのか?」
「いや、私は使うのは初めてだな」
「……よく、一度も言ったことがない場所を“庭”だなんて表現できるな」
王族の人間に対してかなり不遜な言葉だと自分でも思ったが、エリスの表情を伺うと全く意に介していないようだ。
「安心しろ。クロエもキバも武術の達人だ。もちろん私もそれなりに心得はある。全くノープロブレムさ」
クロエを見ると、もはや何も言うまい、と顔に書いてあった。
エリスを先頭にどんどん進んでいく。罠にひっかかるかとなどとはまったく考えていないようだ。
エリスが道に詳しい前提で先頭を歩かせていたが、どうやらそうではない上に、罠があるかもしれないとわかったら、これは単純に危険なのではと思えてきた。だが、エリスは全く気にしていないようなので、ひとまずそれに従うことにした。
それから、しばらくなんの変化もなく同じ光景が続く。振り返ったときに自分の足跡がついていなければ、進んでいないのでは錯覚しそうになるところだ。
だが、十分ほど歩いたところで、ようやく変化が現れた。
道が三つに分かれている。方角が違うならまだしも、まったく同じ方向に向かって横並びになっていた。
「どれが官邸に繋がってる?」
聞くと、エリスは首をひねる。
「おいおい、王族は庭で迷うのか?」
俺は嫌味に近い冗談を言ったつもりだった。だが、エリスは素の答えを返してくる。
「迷ったことはないが、行った事がないところはたくさんあるさ。庭歩きは趣味じゃない」
そこでエリスの思っている“庭”と俺の思うそれが違うことにようやく気がついた。寮の一室に住む俺は、エリスの住む王宮、あるは別荘の“庭”の広さを想像できていなかったのだ。なるほど、確かに広大な土地を持つ彼女にしてみれば、自分の“庭”を済から済まで知り尽くしている方が異常なのだ。
「追っ手をかわすために、行き止まりになっている道があると聞いている。どれか一つが正解だ」
エリスは淡々と説明した。
「そこまで知っているのに、どうして肝心の正解を知らない?」
聞くと、エリスは首をすくめる。
「時間がないから、三方向に分かれよう」
エリス隊長はそう宣言した。
「殿下、流石に危険ですよ」
クロエが難色を示す。王女を守る近衛騎士としては当然の反応だろう。何があるかわからない場所で、王女を一人にするなんて職務放棄に等しい。
だが、クロエの心配をよそに、エリスは涼しい顔で言う。
「王族の人間が逃げるための道だぞ? 私に危険が及ぶはずがない。もちろん二人は、強いからちょっとやそっとの罠はノープロブレムだろ?」
一体、その自信はどこからやってくるのか。
「……王族を守る罠が“ちょっとやそっと”だとしたら、それはそれで不安ですが」
とクロエ。確かに、それも一理ある。
「とにかく時間がない。私は真ん中を行くから、お前たちは左右を見てくれ」
エリスは譲る気がないらしい。
「官邸に入るには、王室の紋章が必要なはずだ。だから行き止まりになるか、官邸に辿りついたら、そこで引き返して、またここで集合することにしよう」
「了解」
俺は抵抗する気はなく、エリスに従って指示された道に入っていく。少ししてからクロエも諦めて自分の道を歩き出す音がした。
さて。エリスは楽天的だったが、クロエの言い分が正しいだろう。追っ手を惑わすための道ならば、危険がないはずがない。
足元は、ぱっと見普通の石畳がずっと続いているように見えた。天井も壁も同じだ。そりゃ罠が「ここにありますよ」と主張するわけがないのだから当然だか。
だから、慎重に歩みを進めていく。それから、数百メートルほど進んだが、変わらず通路は静寂に包まれている。
さっきまでは三人一緒だったからよかったが、一人になると、この薄暗い通路は少し不気味に感じた。
それからさらに5分ほど歩くと、ようやく道に変化が現れる。
どうやら、俺の道が”アタリ”だったよ
うだ。
見えてきたのは、扉、というか、門。鉄でできていて、錆びてはいないが、それなりに年季が入っているように見える。門のすぐ右に、王室の紋章をかざすと思われる額縁のようなものがあった。開けるための取っ手がないので、やはり王室の紋章がないと、出入りできないのだろう。試しに押してみるが、ビクともしない。
自分で扉を開けることができない以上ここに留まる理由はない。踵を返して来た道を戻る。
分かれ道に戻ると、すでにクロエが待っていた。
「見つけましたか?」
クロエの問いに俺は頷く。
「ということは、王女様の行かれた道も“ハズレ”なわけですが、しかし王女様はまだ戻られていません」
「ここで待っていてもあれだから、迎えに行くか?」
「そうですね」
俺たちはエリスが進んで行った道に入ろうとする。
だが、一歩足を踏み入れたところで、その先から物音が聞こえてきた。
「何か聞こえるな」
腰に差した剣に片手を置き、意識を集中させる。
と、次の瞬間現れたのは、エリスだった。
エリスの表情は、さっきまでの余裕の表情とは打って変わって、必死の形相で、額に汗を浮かべていた。
「殿下! どうされました⁉」
クロエが聞くと、エリスは間髪入れず「まずいことになった!」と叫ぶ。
と、次の瞬間、その背後から、また別の物音がしてくる。
耳をすませると、それが足音だとわかる。
そして暗がりの中に、現れたのは――
「つまり、こう言うこと」
大量のゴーレム――!
俺とクロエは反射的に剣を抜く。
粘土でできた傀儡は 俺よりも二回りは大きい。その腕には、石でできた剣を持ってる。斬れはしないだろうが、あれで殴られれば骨ごと砕け散ることになりそうだ。
「王室の人間は罠にはかからないんじゃなかったんですか!」
クロエが叫ぶ。
「そのはずなんだけど!」
エリスも、流石にこの状況ではタジタジで、秘密の通路を庭だと豪語していたのが遠い過去のように感じられる。
次の瞬間、クロエが引き抜いた短杖から稲妻を放った。だが、ゴーレムの体は魔力で強化されている。雷や炎という一般的な遠距離魔法には滅法強い。
「殿下は後ろに下がっていてください」
クロエは、杖を納めて、代わりに腰に差した剣を引き抜く。
遠くのものに影響を与えるより、近くのものに影響を与える方が、より威力を発揮するのが魔法だ。魔法壁が強力なゴーレム相手するなら、威力に勝る接近戦が良いと言う判断なのだろう。
接近戦ならば、俺も得意とするところだ。
ゴーレムたちは俺たちを迎撃しようと、手に持った石の剣を振り上げる。だが、その腕が振り上げられた瞬間には、こちらの剣が相手の体を真っ二つにする。
魔力壁は強力だが、近距離の攻撃ならこちらの魔力も強くなるのでまったく問題ない。
俺たちは手際よくゴーレムを斬り捨てていく。
クロエは最後の一体を斬り伏せると、剣を鞘にしまい、一つ大きなため息をついてから王女に向き直る。
「随分危険な庭ですね」
クロエは叱るように言った。さすがのエリスもばつが悪いのか、頭をかく。
「おかしいなー。王室の人間は襲わないはずなんだけど」
「では、ゴーレムたちは主と戯れている子犬のつもりだったのでしょうね」
既にクロエが十分に嫌味を言ったので、俺は何も言わなかったが、なるほどエリスの危機管理の能力は著しく低いのだということはよくわかった。
「それで、二人は正しい道を見つけたんだな?」
エリスは、話の流れを強引に変える。反省する気はないらしい。
「左の道が正解だ。扉があった」
俺は自分が確認した道を指差した。
「素晴らしい。じゃぁ、ここで無駄な時間を過ごしている時間はない。進もうじゃないか」
先ほどゴーレムから必死に逃げてきたことは綺麗に忘れたのか、エリスは再び意気揚々と先頭を歩き始める。切り替えの速さに驚かされる。
「言うまでもないですが、今までよりもさらに気をつけて進みますよ。王族の人間がいれば罠は発動しない、という前提が崩れたのですから」
クロエがが俺に小さな、しかしエリスにもしっかりに聞こえる程度の声で言う。
「ああ」
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