Scenario.3
3コマ目の授業が終わり、昼休みになる。この授業以外はオスカーとは別のクラスだったので、幸いこの近くに彼はいない。
ここで俺には3つの選択権がある。
今すぐに広場に向かうか。
昼飯くらい食べてから広場に向かうか。
あるいはそもそも広場には行かないか。
一つ目と二つ目は大差ない。問題は三つ目、そもそも行かないという選択肢。最初は悪手かと思ったが、意外に悪くない選択肢に思えてきた。戦略とは、戦を省略すること。それが東洋の思想だ。面倒な戦いに自ら赴く必要はない。
――だが、現実問題、やつを無視すると、それはそれでめんどくさくなりそうだ。はたして決闘するのと、逃げるの、どちらがよりめんどくさくないか……
俺は考える時間を確保するために、昼飯を食べてから広場に向かうことにした。
講堂から遠い、平民の学生が多く集う食堂へ歩き出す。サンドイッチにコーヒーという軽食を頼んで、席に着く。すると、通りかかった友人に声をかけられた。
「おい、決闘はどうした?」
どうやら俺とオスカーが決闘をするという話はすでに広まっているらしい。不況の時代、世間に明るいニュースは少ない。学生も娯楽に飢えているのだ。
「やつは時間は指定しなかったからな。飯くらい食べてからでいいだろう」
「頼むから逃げないでくれよ? 一発ガツンと入れてやれよ」
友人は期待のこもった目で言った。彼も俺と同じく迫害されるシフ人だ。オスカーのことは決してよくは思っていないのだろう。
「ああ、そうだな」
俺は気だるさを隠さずにそう答える。
美味しくもない飯をコーヒーで流し込み、立ち上がってトレーを片付けて、その足でロッカーへと向かった。
そこに置いておいた剣を取り出す。これが俺の“杖”だ。魔法使いの決闘では伝統的に刃物の使用が認められている。現代においては王道ではないが、剣を杖の代わりに使う魔法使いもいるからだ。
俺は小さなため息をついてから、しぶしぶ約束した講堂脇の広場に向かった。
そこは別に決闘専用という訳ではなかったけれど、ある程度の広さもあり、しかもギャラリーが立つ場所もあるので、見世物にはちょうどいい場所なのだ。
見ると、広場にはそれなりの人間が集まっていた。連合王国で一番の魔法学園にも、下世話な人間たちはたくさんいるのだ。
「おいおい、遅いじゃないか」
オスカーはご立腹な様子だった。もし彼が昼休みが始まって早々にここに来たのだとしたら、30分は待たされた計算になる。それなら怒るのも無理はない。
「昼休みに来いと言われたからな。約束通りだ」
俺はあえて挑発的なことを言う。相手の集中力を妨げることができれば万歳だ。
すると、オスカーは低い声で言う。
「昼休みももう20分しかない。これじゃぁ、すぐにケリをつけるしかないな」
俺はその言葉に思わず内心笑ってしまう。喧嘩をふっかけてくる偉そうな奴が、午後の授業に遅れる気はないと。あくまで優等生でいようと言うわけか。
たいした理由もなく決闘をふっかけるなど、優等生らしからぬ行為だが、相手がシフ人となれば話は別なのだろう。この学園の大多数の教師や生徒は、ほとんどが先祖代々のこの国の民だ。忌み嫌われる異教のシフ人を懲らしめる優等生、と言う構図は決して見栄えが悪いものではない。
「そうだな、すぐに終わる」
俺は彼から10メートルくらいの距離のところで立ち止まる。
すると、傍にいたオスカーの子分が、紐が通された指輪を手渡してきた。魔法使いが戦う時の必須アイテム、“加護の指輪”だ。致死量の攻撃を一度だけ無効にできる。
決闘では、指輪の防御を先に破った方が勝ちとなる。現代の決闘で相手の命を奪ったりはしない。
この指輪があるからこそ、決闘などという本来野蛮な行為が、ある程度は安全に行えるのだ。
俺は受け取ったそれを、何か細工がされていないかと念のため確かめる。いかんせん、敵の一味が渡してきたものだ。だが、指輪を手渡してきた奴は、鼻で笑って言う。
「小細工なんてしねぇよ。思い上がるな。そんなことしなくても、お前がヴェーンに勝てるわけねぇだろう」
――それもそうか。
奴からすれば、俺を倒すことなど、造作もないことのはず。万に一つでも負ける可能性はないのだから、小細工などする必要がない。
それに奴は名誉を重んじる貴族。それも公爵家の一族だ。腐った野郎だが、矜持というものはあるだろう。
指輪を首からかけて魔力を込めると、体がその結界に包まれる感覚があった。
さて……。
腰に指していた剣を抜く。片刃の直剣、それを体の正中線に構える。
正直、勝てるとは思っていないが、しかし簡単に負けるのはカッコ悪い。
――どこまで善戦できるか。
彼の魔法量は圧倒的だ。
一方、俺の魔法量は彼の十分の一にも満たない。
まともに魔法の打ち合いになって力比べをすれば、俺に勝ち目はない。彼の攻撃をかいくぐって、一撃を食らわせるしか勝ち筋はないが――
「秒殺してやる」
彼はそう宣言し、短杖を構えた。
彼の膨大な魔力が瞬間に発揮されれば、確かに俺はあっという間に敗れてしまうだろう。
だが、その台詞を聞いた瞬間、俺は――わずかにだが勝機を感じた。
「それでは決闘を開始します――」
まともにやり合えば、勝負ならない。
もっと言うと、もし彼が全力を出さずに、俺をいたぶろうとしたりすればこれまた勝ち目がない。
だけど、今の台詞からするに――
「3……」
カウントダウンの中、俺はその可能性にかけて意識を研ぎ澄ませる。
「2……」
力まず、自然体で、その時を待つ――
「1……、はじめ!」
その言葉が発声された瞬間、オスカーが唱える。
「――ストレータ・リゲーレ!」
それは魔力を研ぎ澄ませて槍のごとくまっすぐに放つ技。技自体は、決して難しいものではないが、その分素人がやれば魔力が発散して中途半端な攻撃になりガチだ。
だが、優れた術者が使えば、必殺の一撃となりうる。
そして、オスカーのそれは完璧だった。彼の豊富な魔力が、一線の中に集中し、音速で俺にまっすぐ向かってきた。
どれだけ武術の達人でも、それを避けることはできない。
だが――――俺はそれを待っていた。
力を抜き、重力で体が落ちるその力を、足裏から地面に伝え、一気に蹴り上げた。同時に剣の柄を右にグッと引き、切っ先をまっすぐ相手に向けて突き出した。
あっという間の攻防。
彼の魔法と、俺の剣先。点と点が真っ向から交わる――そして次の瞬間。
オスカーの魔法は、俺の剣先を境に、真っ二つに裂けていった。
オスカーは、俺が懐に飛び込んでくるまでその事態を認識できないでいた彼のその表情が驚愕に滲んだ。そして次の瞬間、彼を覆う加護の結界は、粉々に四散した。
俺は、そのまま彼の背後に切り抜ける。
広場は静寂に包まれていた。
俺は振り返って、わずかに息を吐いた。
一太刀の余韻。
そして――少ししてから気が付いた。
俺はオスカーに勝ったのだ。
予言通り、秒殺だった。
「どう言うことだ、なぜ俺の技が“裂けた”?」
さすが高位の魔法使いだ。負けた後ではあるが、彼は状況を正確に把握していた。
攻防は至極単純なものだった。彼の直線の魔法を、俺の剣の切っ先が真っ二つに割いたのだ。
それは、竹が割れるのとお全く同じ原理。繊維がまっすぐに一方向に向かっているものに、その向きとまっすぐな力をかけると、綺麗に割れる。
俺がやったのは単純で、彼の攻撃に対して、真っ向から、真っ直ぐ突っ込んだ。それだけだ。
俺は魔力に劣るのでその分武術には磨きをかけてきた。もちろん、いくら武術を磨いても、強力な魔法を超えることはできない。どれだけ武術でも、波のように迫り来る炎や電撃を防ぐことはできないからだ。
彼がもし、魔力量勝負で、広範囲にわたる攻撃を繰り出してくれば、俺が勝つ見込みはこれっぽっちもなかった。
だが、オスカーは文字通り瞬殺を狙って、極めて洗練された、最速・最短の魔法を放ってきたのだ。
最小限の魔力を、完璧な運用効率で放つ。まるで俺に勝つことなど朝飯前であることを示すように。
実際、彼の放ったストレータ・リゲーレは、その実力の高さを示していた。素人がやれば魔力が発散しがちだが、彼の攻撃はどこまでもまっすぐだった。
だが、それこそが敗因だった。
直線的な技に対してなら、俺の武術でも対抗できるのだから。
もし彼が、その有り余った魔力を広範囲に放つ大技を使ってきたら、俺はなすすべもなかっただろう。だが彼はそうはしなかった。俺に勝つことなど余裕だと思ったから、最小限の力で勝ちに来た。そしてそれならば俺の武術でも対抗できた。
つまり俺は、オスカーが最速で勝ちにきたがゆえに勝利できたのだ。
正直に言って、彼がそれ以外の技を繰り出してきたならば、俺が勝てる見込みはなかった。幸運が味方したと言わざるを得ない。
――だが、次の瞬間。俺の勝利がただの“幸運”ではないことがわかった。
「この僕が……負けるなんて」
――彼の発したその一言に、俺は思わず目を見開いた。
今、なんて言った?
この僕が……負けるなんて――
それは、一言一句、俺が昨日、神の杖で書いたシナリオと同じではないか?
彼が急に喧嘩をふっかけてきたところまでは、偶然というのもありえるだろう。だが、実力で圧倒的に勝る男が、都合よく俺に有利な技を仕掛けてきて、俺が勝ってしまった。
そして、その後の台詞まで、俺が描いた通りになった。
これが単なる偶然だなんてありえるか?
いや、でも……。神の杖が存在するなんて……そんなことありえるはずがない。
書いたことが現実のものになる杖。そんなもの、現代の魔法学でも説明できない。
そんなの、それこそ、神様の領域じゃないか。
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