第49話 願いを込めて

 ハッと意識を取り戻した時、自分がどこにいるのかわからなかった。辺りは不気味なほど薄暗くて、岩の隙間から僅かに差し込む光と共に聞こえてくるのは、激しく降り注ぐ雨の音。


「そうだ、俺……」

 

 ボヤけた意識が徐々に輪郭を取り戻してくると、脳裏に真っ先に浮かんだのは自分に向かって落ちてくる巨大な岩の塊。瞼の裏にまで焼き付いたその光景に、俺は恐怖のあまり一瞬息を止めてしまう。


「もしかして……助かったのか?」

 

 ぼそりとそんなことを呟いた俺は、少しでも状況を把握しようと起き上がろうとした。が、両足と左腕がまったく動かず、力を込めた瞬間、稲妻のような鋭い痛みが全身を貫いた。その痛みに、俺は思わず歯を食いしばる。


「マジかよ……」

 

 どうすることもできず、そして自分の身体が一体どうなっているのかもわからず、俺は諦めたようにふっと乾いた笑い声を漏らした。かろうじて動く右手を握りしめると、手のひらに生温かい液体が流れていることに気づく。

 

 もしかして俺……このまま死ぬのか?

 

 再び朦朧もうろうとなってきた意識の中で、俺は瞼をそっと閉じるとそんなことを思った。まさか人を助けるためにここまでやってきたはずか、自分がこんなことになるなんて……


「そうだ……綾音……」

 

 暗闇の中、一瞬彼女が自分のことを呼んでいるような気がして、俺は再び瞼を上げた。

 

 そうだ……俺は綾音を助ける為にここまで来たんだ……

 

 ぐっと食いしばった歯で痛みに耐えながら前を見ると、微かに差し込む光の中にお賽銭箱の姿が見えた。もうほとんど土砂に埋れてしまっているけれど、格子調の入り口部分がまだ少しだけ顔を覗かせている。


 よし、これなら……

 

 そう思った俺は、右腕に力を込めるとお賽銭箱に手を伸ばそうとした。が、すぐに致命的なミスに気付いてしまう。

 腕を伸ばせば届く距離にそれがあっても、願いを込めるための肝心なものを今は握っていない。

 俺は前に伸ばそうとしていた右手を、今度はズボンの後ろポケットへと近づけて財布を取り出そうとした。だが、岩が邪魔をして取り出せない。


「くそ……」

 

 悔しさのあまり、俺は声を漏らした。これじゃあ綾音を助けることが……

 そんなことを思い、諦めたようにダラリと腕を下ろした時、ふと指先が触れたズボンのサイドポケットに何かが入っているに気づいた。その瞬間、自分の心の奥に、小さな灯火が光った。


 もしかしたら……

 

 俺は残った力を振り絞って右手をポケットの中へと突っ込むと、指先で掴んだものをそっと取り出した。


「やっぱりそうだ……」

 

 取り出したものを顔の近くまで持ってきた俺は、その正体を確かめると思わず声を漏らす。

 それは自分が、今日まで御守り代わりにずっと肌身離さず持っていたもの。

 俺は願いを込めるようにぎゅっと強く右手を握り締めると、お賽銭箱へと腕を伸ばす。そして、指先を広げてそれを解き放った。

 あの日、綾音と一緒に夏の思い出を閉じ込めた、小さなガラス玉を。

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