第46話 もう一度あの場所で

「直人、俺は悲しいよ。うん、悲しい……」

 

 あぜ道の上、隣を歩く哲也がさっきからわざとらしく嘆くような声でぶつくさ言っている。関わるとややこしそうなので、俺はあえて何も言わない。


「親友の誘いでは絶対に首を縦に振らなかったお前が、沙織ちゃんの一言でころりと態度を変えるなんて」


「いやだから俺は……」

 

 そう話し出すと俺は言葉を続けるより前にため息を吐き出す。もちろん今向かっている先は、昨日南さんと約束したバーベーキュー場だ。でも、今はそんなことよりも……

 

 綾音のやつ、どうしたんだろう……

 

 どんよりと不気味に曇っている空を見上げながら、俺は昨夜のことを思い出していた。朝起きた時から、あれは夢だったんじゃないのかと思ってしまうほど、綾音が言っていたことが未だに信じられない。


 もう二度と私の前には現れないでーー


 あの時、震える声で話していた綾音の言葉が、今も耳の奥にハッキリと残っていた。綾音は、本当に俺のことをずっと嫌っていたのだろうか?


 でも……

 

 立ち止まりそうな両足を無理やり動かしながら、俺はこれまで綾音と一緒に過ごしてきた時間を振り返っていく。

 綾音から誘ってくれて、毎日のように続けた夜の勉強会のこと。 お互いラムネソーダを片手に、夏の夜空を彩る花火を一緒に見たこと。

 そして、あの日話したいことがあると言って、枕もとで語り合った日のことも……

 そのどれもを振り返ったとしても、綾音はいつも楽しそうに笑っていた。だけど……そんな笑顔も全部嘘だったってことなのか?

 何度自問しても答えの出てこない胸のわだかまりに、俺はふと足を止めてしまう。すると同じタイミングで哲也も足を止めた。


「ほーらみろ。直人が急に心変わりなんてするから、天気まで変わってきたじゃんか」

 

 ため息混じりに話し始めた哲也につられるように、俺も空を見上げた。直後、額にポツリと冷たい感覚が走る。


「これじゃあ今日のバーベキューは中止かな」と残念そうに呟く哲也をよそに、俺は泣き始めた空をぼんやりと見つめていた。頬に当たった雨粒が、まるで涙みたいに伝っていく。


 あの時……綾音はたぶん泣いていた。

 

 再び意識が昨夜の出来事に飲み込まれていく俺は、スマホの向こうに映っていた綾音のことを思い浮かべた。途中から綾音は布団の中に隠れていたけど、それはきっと泣いている姿を見られたくなかったからだろう。そう、いつかの放課後の時みたいに。

 そんなことを考える度に、綾音の気持ちがますますわからなくなる。アイツは本当に俺のことを嫌いだったのだろうか。

 それに、もしずっと前から俺のことを嫌っていたのなら、どうしてもっと早くに言わなかったのだろうか。そしたらわざわざ勉強を教えてくれることも、一緒に花火を見る必要もなかったはずだ。

 それなのに、どうして綾音は……

 そんなことを思いながら、再び歩き出そうとした時だった。

 突然心臓が握り潰されるような激しい痛みが俺を襲った。直後、その痛みと共に胸の奥から込み上げてくるのは、背筋がぞっとするような寂しさと、心が張り裂けそうなほどの孤独感。

 けれど不思議なことに、その感情のどれもが、俺自身のものではないことにすぐに気付く。


「……綾音だ」

 

 ぼそりと呟いた俺の言葉に、「え?」と哲也が不思議そうな声を漏らした。そして胸元を強く押さえている自分の姿を見て、「おい、大丈夫か?」と不安げな表情を浮かべる。けれど俺は哲也に返事をする間もなく、元来た道に向かって突然走り始めた。


「ちょっと待てよ直人! いきなりどこ行くんだよ!」

 

 慌てた様子で哲也の叫び声が背中越しから聞こえるも、それでも俺は足を止めない。そして、振り返ることもなく叫び返す。


「お前が教えてくれたとこだよ!」

 

 そう叫ぶと俺は、雨が強くなっていくあぜ道の上を必死になって走った。そんな自分の脳裏に浮かぶのは、あの時聞いたばーちゃんの言葉。


「結鈴の縁は波の音……」

 

 そうだ……あの時ばーちゃんはたしかに言っていた。相手を想う気持ちはどんな波も乗り越えていけるって。

 だったら、もう一度あの場所に行けば……

 

 胸の痛みを感じる度に、俺は綾音に呼ばれているような気がして足をかした。冷たい雨粒が視界を遮ろうとするも、それを何度も腕で拭っては全力で走る。途中ぬかるみに足を取られて転んでも、太ももが千切れそうなほど悲鳴をあげても、それでも俺は止まることなく突き進んだ。

 

 もう一度あの場所で、俺と綾音の魂を繋ぐために……

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