第35話 不穏な影

 町のいたるところに傷跡を残した大型台風は、本州を過ぎ去ると何事も無かったかのように綺麗さっぱりと姿を消した。

 連日のようにニュースでは厳重な警戒をと注意喚起していたけれど、台風が過ぎればこちらも同じようで、今はつまらない政治の話題や興味のない事件などばかりが流れていた。つまり、夏の青空と共にいつもの日常が戻ってきたということ。

 けれど……俺の毎日だけが今までと決定的に違うことが起きていた。


「……おかしい」

 

 終業式の前日、学校から帰ってきた俺はカーテンが開けっぱなしになっている自分の部屋の窓を見つめながら一人ボヤいた。ここ最近、綾音が現れることがめっぽう減ってしまったのだ。

 自分の心境とは裏腹に、曇りなく澄み切った空を眺めていると、何だか落ち着かないし腹立たしささえ感じてしまう。


「綾音のやつ……どうしたんだろ」

 

 一向に彼女が現れる気配がしない窓から目を逸らすと、俺はベッドに仰向けになり天井を見上げた。そして、大きくため息をつく。

 今までなら少なくとも、朝昼晩と一度ずつは綾音の姿を見ていた。それどころか多い時だと、今日はずっと窓に映るつもりかよと思う日もあったぐらいだ。

 それなのに台風が過ぎ去ってからというもの、綾音と俺が会う回数は激減してしまい、今日に限ってはまだ一度も会っていない。いくら綾音が現れるのがランダムだとはいえ、これはあきらかにおかし過ぎる。

 

 もしかして綾音のやつ、変な事件に巻き込まれたりしてないよな……

 

 会えない時間が増えれば増えるほど、それに比例して不安なことばかりが頭の中をよぎる。いつもの自分なら、「さすがにそれは考え過ぎだろう」と笑い飛ばせそうなことでも、今の俺は信じてしまいそうになるのでちょっと怖い。

「はぁ……」とため息をついた俺はそっと瞼を閉じる。綾音のことが影響するのか、最近身体もやけにダルい。

 そんなこと思いそのままずっとベッドの上で寝転がっていたいところだったが、そろそろ晩飯の時間だ。これ以上部屋に閉じこもっていたらきっと姉が怒鳴り込んでくるに違いない。

 そう思った俺はのっそりとベッドから降りると、重い足取りで一階へと向かった。




「直人、アンタさっきから何ぼーっと窓ばっか見つめてんのよ」

 晩飯の途中、隣に座っている姉が怪訝そうに眉をひそめて言ってきた。俺はいつものように反抗する気力もなく、「別に」とだけぼそりと呟くと白米へと箸を伸ばす。そんな自分に、姉はさらに怪しむように目を細めた。

 俺は突き刺さるような姉の視線をひしひしと感じならも、それに気づかないフリをして箸を進める。そして口に含んでいたおかずを喉の奥へと押し込んだ時、斜め前に座っているばーちゃんを見た。


「あのさばーちゃん……」

 

 ぎこちない口調で話し始めた俺に、食卓にる全員の視線が一斉に注がれる。それに一瞬気後れしつつも、俺はゴクリと唾を飲み込むと、言葉を選ぶように慎重に口を開いた。


「その……結鈴ゆすず神社で結ばれた縁も切れることがあるのか?」

 

小声で尋ねた俺の質問に、ばーちゃんが「おや?」という表情を浮かべた。


「珍しいね。直人がそんなことを聞いてくるなんて」


「……」

 

 まるで俺の心を見透かしてきそうなばーちゃんの視線から、俺は逃げるようにさっと視線を逸らした。すると今度は隣から声が聞こえてくる。


「ははーん。最近やけに元気がないと思ったら、アンタもしかして失恋でもしたの?」

 

 完全に面白がっている姉の言葉に、「そんなんじゃねえよ!」と俺は先ほどとは違ってムキになって反論した。が、それがいけなかったようで、「嘘つけ」と姉はますます口元をニヤつかせる。


「アンタって昔から何かあると顔に出やすいもんね」


「…………」


 俺はムッと眉間に皺を寄せるも、こうなってしまうと姉に口ごたえができない。このままだとまたいつものようにおちょくられてしまうと身構えた時、今度はばーちゃんの声が先に耳に届いた。


「結鈴の縁は波の音……」

 

 ぼそりと呟かれたその言葉に、「え?」と俺はばーちゃんの顔に視線を向けた。


「人の縁とは寄せては返す波と同じ。互いに強く引き付け合う時もあれば、時には遠く離れてそっと見守る時もある」


「……」

 

 俺は黙ってばーちゃんの話しに耳を傾けていた。隣の姉もその話しが気になったのか、俺への攻撃をやめて今は大人しく黙っている。そんな孫たちを見て、ばーちゃんは静かな口調で言葉を続ける。


「だから心配しなくても結鈴神社で結ばれた縁が切れることはないよ。それにどれだけ遠く離れていたとしても、人の心はいつだって繋がることができるからね」


 ばーちゃんの話しを聞いて、俺は無意識にほっと息を吐き出した。普段は怖いばーちゃんだけど、だからこそこういう話しを聞くと妙に説得力があって安心する。


「ふーん。ってことはフラれた直人にもまだチャンスがあるってことじゃん」


「なッ、だから違うって言ってんだろ! だいたい俺はな……」


 姉の顔を睨みながら話しを続けようとした時、再びばーちゃんの芯の通った声が耳に届く。


「直人や」


「は、はい!」 

 

 思わずビクリと肩を震わせた俺は、慌ててばーちゃんの方を向く。するとばーちゃんが珍しくその口元をそっと綻ばせる。


「一番大事なのは相手を大切に想う気持ちだよ。その想いさえあれば、どんな波の音だって越えていけるからね」


「相手を想う気持ち……」

 

 俺は無意識にばーちゃんの言葉をぼそりと繰り返す。何となくだけれど、それが綾音と俺との繋がりを取り戻すヒントのようにも感じだ。


「相手を想う気持ちか……まあ直人には一番欠けてるものだよね」


「おい、何でそうなるんだよ」

 

 いちいち茶化してくる姉に、俺は再びぎゅっと目を細めた。すると視界の隅で、ばーちゃんが愉快そうに喉を鳴らす。


「本当に結鈴の神様がご縁を結んでくれたのなら、直人にもその意味がいずれわかるだろう。だから神様に見放されないように、常日頃から悪さはしちゃいけないよ」


「げッ」

 

 不意打ちのように説教の言葉を混ぜてきたばーちゃんに、俺は思わず苦虫を噛んだような表情を浮かべる。まあでも、ばーちゃんからこの話しを聞くことができたのは良かった。

 きっと時間が経てば、綾音とは前のような関係に戻るだろう。 

 俺は自分自身に言い聞かすように、心の中でそんなことを呟いた。それでも、胸の奥底に感じる黒い影は、結局すべて消えることはなかったのだけれど……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る