第33話 君想い

 花火大会が終わってから数日、私の心は不思議なほど満たされていた。

 それがどうしてなのかちゃんと言葉にできるほど考えたことはないのだけれど、その理由は何となくわかる。でもそれを認めてしまうとちょっと悔しいような、恥ずかしくてむず痒いような気持ちになってしまうので難しいところだ。


「まーた窓ばっかり見てる」


「え?」

 

 曇りがかった空を教室の窓からぼんやりと見上げていた私は、突然横から声を掛けられてビクリと肩を震わせる。するとケラケラと芽美の明るい笑い声が聞こえてきた。


「そんなに動揺することないじゃん。さては綾音、好きな人のことでも考えてただろ?」

 

 わざとらしく悪戯な口調で聞いてくる友人に、私は「違うよ!」と言って頬を熱くする。


「ほんとかなー? 最近の綾音、なんか恋煩こいわずらいでもしてそうな顔してるよ」


「どんな顔なのさそれ……」

 

 そう言って呆れた私がため息を吐き出すと、「そんな顔だよ」と芽美がまた茶化してきた。


「もう、芽美ったらふざけないでよ」


「ごめんごめん。でも、そう感じるのはほんとだよ」


 芽美が急に真面目な顔をして言ってきたので、私は一瞬言葉に詰まった。普段自分がどんな顔をしているかなんて鏡を見ている時ぐらいしかわからないけれど、最近の私はそんな感じなのだろうか?

 それはちょっと恥ずかしいな……と心の中でぼそりと呟き反省していると、再び芽美の声が聞こえてくる。


「しかも、相手は篠崎先輩じゃないとみた」


「えッ⁉︎」

 

 あまりに不意打ち過ぎる言葉を言われてしまい、私は思わず目を丸くする。するとそんな私を見た芽美は、「やっぱりな」とクスクスと肩を震わせた。 


「だって綾音、ここんとこ篠崎先輩が近くを通っても昔みたいにじーっと見てないもん」


「…………」

 

 言い逃れできないような証拠を突き付けられてしまい、私は咄嗟に視線を逸らすと目を泳がせてしまう。


「ほらほら、そんなに動揺したらすぐに相手にもバレちゃうよ」


「だから違うって……」

 

 唇を尖らせてそう言い返した私は、いけないと思いつつも無意識に窓の方をチラリと見てしまう。……良かった。さっきと同じ景色だ。


「あー、私は悲しいよ綾音。篠崎先輩の時はあんなにも私に相談してくれてたのに、今回はノータッチだなんて」


「だから……」

 

 違うよ、と言うつもりが勢い余ってコホコホと咳き込んでしまう。そんな私を見て、芽美がまたクスリと笑った。


「綾音はほんとに嘘つくのが下手くそだなー。それとも夏風?」


「……」

 

 相変わらず茶化した口調で言ってくる芽美に、私は右手を口元に当てたままわざとらしく睨みつける。けれど何も反論できないのは、おそらくどちらも事実だからだろう。

 ここ最近、直人とは夜遅くまで話すことが増えていた。以前までなら日をまたぐ前にどちらかが「おやすみ」と言って会話を終わらせていたのだが、最近は何となくそれが惜しくて、彼の姿が見えている限りずっと話し込んでしまっている。おかげで寝不足にはなるし、ちょっと風邪気味なのも間違いない。

 芽美と会話しながらそんなことを頭の片隅で考えてしまい、私は自嘲じみたため息を小さく吐き出す。そしてまた無意識に、チラリと窓の方を見る。


 今日は夜まで会えないか……

 

 一向に変わる気配を見せない窓の景色に、私は胸の中でそんなことを呟く。不規則に現れるとはいえ、最近は直人が現れる時に何となく『予感』めいたものを感じるようになった。もしも芽美にそんな話しをすれば、「それはきっとトキメキだよ」なんて言われてまたからかわれるだろう。

 そういえば最近拓真がさー、とコロコロと話題を変えて楽しそうに話す友人を見つめながら、私はこっそりとそんなことを思った。


「なんか結構曇ってきたね」

 

 不意に話題を変えた芽美が、私の机に両手をついて窓の方を覗き込んだ。その視線の先には、さっきよりもどんよりとした雨雲が、今にも泣き出しそうな色をして広がっている。


「台風が来るってやっぱ本当なんだ」

 

 そう言ってわざとらしく険しい表情を浮かべる芽美。そういえば、朝のニュースで言っていたような気がする。今年は珍しく季節外れの台風が日本にやってきてるって。


「もうすぐ夏休みだってのに台風とかマジでやめてほしいよねー」


「夏休みがくる前には通り過ぎてるでしょ」

 

 ぶーと唇を尖らせる芽美に、私はクスリと笑って言った。おそらく彼女にとっては台風がくることよりも、拓真くんと遊べなくなることの方が嫌なのだろう。


「だって台風とか来たらさ、海とか大荒れじゃん! せっかく新しい水着買ったのに着れなくなっちゃうよ」


「芽美はほんと大袈裟だなぁ」

 

 台風は過ぎても夏は逃げないから大丈夫だよ、と私は不満たっぷりな表情を浮かべている友人を笑いながら諭す。


「でもさー、こんな時期に台風とか今年は変だよね。なんか不吉の前兆とかじゃなかったらいいんだけど」


「もう、芽美ったら急に怖いこと言わないでよ」


 友人の言葉に、今度は私の方が唇を尖らせる。窓や鏡に現れる男とは会話ができるくせに、未だに幽霊だとか迷信だとかそういった話しはめっぽう弱いのだ。

 そんなことを思いながら目を細めていると、「冗談だって! そんな怖い顔しないでよ」と言って芽美がケラリと笑った。


「で、綾音は今年の夏休みは何して過ごす予定なのさ? まさか……まーた『受験勉強です』なんて言わないよね?」

 

 急に話題を変えてきた友人の質問に、「私は……」と一瞬口ごもる。芽美が言うように、今年の夏休みはもちろん受験勉強がメインだ。けれど……

 

 夏休みが始まれば、今よりも直人とゆっくり話せる時間が増えるかな?

 

 真っ先に心に浮かんだのは、やっぱり彼のことだった。あの花火大会の日から、頭の片隅ではいつも直人のことばかり考えている自分がいる。

 いつの間にか頬杖をついてぼんやりとそんなことを思っていたら、目の前にいる芽美が自分のことを見つめてニヤリと笑っていた。そんな彼女に向かって、「何よ」と恥ずかしさを誤魔化すように目を細めると、ふいっと窓の方へと視線を向ける。

 けれど結局そんなことをしても、今夜会えるであろう相手のことを考えると口元がほころんでしまうので、困った話しだ。

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