第31話 夏の思い出作り
陽が沈んだとはいえ、夏の夜はさすがに蒸し暑かった。
「なんだよ直人、行きたかったなら初めから素直に言えば良かったのに」
人でごった返す駅の改札を出た直後、後ろを歩いていた哲也がそう言ってパシンと背中を叩いてきた。
「うっせーな……ちょっと気が変わっただけだ」
俺はあえて後ろを振り返らず、ぶっきらぼうな口調で返事をする。すると何が面白いのか、哲也がケラケラと笑う声が聞こえてきた。
「まあ直人もちょっとは青春を謳歌するつもりになったみたいで良かったよ」
な、と今度は軽快に肩を組んできた哲也に、「だからうるさいって」と俺はすぐにその腕を払いのける。が、妙にテンションが高い相手は懲りずにまた肩を組んでくると、俺の耳もとでそっと呟く。
「で、どの子の浴衣姿が見たかったんだよ?」
そう言ってチラッと視線だけ前に向ける哲也に、「は?」と俺は呆れた感じで声を漏らすも、つられるようにチラ見する。すぐ前方には同じクラスの女子三人が、普段の制服姿とは違う色鮮やかな服装をして歩いていた。
「俺はやっぱ
「どうって……俺は別に何とも思わねーよ」
つまらなさそうな口調でそう答えると、「お前それは失礼だろ」と何故か頭をはたかれた。
「せっかく女の子が手間暇かけて浴衣を着てくれたのに、何とも思わないとかそりゃないぞお前」
「んなこと言われても……」
俺は痛くもない頭をわざとらしくさすりながら困ったように声を漏らす。何とも思わない……わけはない。
別に普段意識することのない女子でも、髪の毛をセットして、椿や朝顔が鮮やかに咲き誇る浴衣を着ている姿を見てしまうと、妙に心がソワソワして落ち着かない。
これだったら綾音も……
そんなバカな考えが一瞬頭をよぎり、俺は慌てて首を振る。別にそれが目的で花火大会に来たわけではない。断じて違う! 特にすることもなく暇を持て余していたので、たまには友人の誘いに乗るのも悪くないだろうと思い仕方なーくきたのだ。
それに家でゴロゴロしてるとねーちゃんに小言を言われるしな。だから……
「……だからアイツは一切関係ない」
思わず声に出して呟いた言葉に、「え?」と哲也が眼鏡の奥の目を不思議そうに丸くした。
「い、いや別に何もない……ちょっと考え事してただけだ」
はは、とぎこちない苦笑いを浮かべると、俺は哲也からそーっと離れる。そして綾音のことを考えて動揺してしまったことを誤魔化すように、意味もなくスマホを取り出すと画面をじっと見つめた。
なんでアイツのせいで俺がこんなにビクビクしないといけないんだよ……
来てもいないメッセージを確認するフリをしながら、俺は心の中でそんなことを愚痴る。が、視界の隅に窓や鏡が映る度に思わずビクリと肩を震わせてしまう。綾音はいつどこから現れるのかわからないので油断はできない。
そう思い、スマホを見ながらもチラチラと辺りを警戒していると、少し離れたところから声が聞こえてきた。
「おい直人! 一人でどこ行くつもりなんだよ」
声が聞こえた方を慌てて見ると、人の背中ばかり見える先に、こっちを振り向き右手を上げている哲也とその隣にはクラスの女子たちの姿。どうやら知らない間に人混みの波に流されてしまったらしい。
「やべッ」と声を発した俺は、人混みをかき分けて哲也たちの元へと急いで向かう。さすが花火大会が行われる場所とだけあって、人の量はさながら民族大移動のようだ。
「……気持ち悪」
人混みが大の苦手な俺は、思わずそんな言葉を呟いてしまう。無限に続いているように見える人の後ろ姿を見ているだけで、何だか吐き気がこみ上げてきた。どうせ田舎の花火大会だからと甘く見ていた2時間前の俺を殴りたい。
そんなことを思いながらグロッキーな表情を浮かべている俺とは反対に、哲也と女子たちは道の両脇に並ぶ屋台を指差しながら盛り上がっている。
「ベビーカステラおいしそう!」
「見て見て! あそこにたこ焼きあるよ!」
「きゃーひよこ可愛いッ!」
「おい見ろ直人、
「…………」
何だろう……四人と俺の温度差がヤバい。かといってノコノコとついて来た分際で空気が読めない奴になるわけにもいかないので、俺はとりあえず笑顔の代わりに苦笑いを浮かべる。すると何を勘違いしたのか、「やっぱやりたいよな!」といきなりスイッチが入った哲也が、俺の左腕を掴んでグイグイと射的の屋台まで連れていく。
「お、おい哲也……俺は別に」
断ろうと必死に声を絞り出すも、気持ち悪さのせいでひ弱になった俺の声はいとも簡単に周りの喧騒にかき消されてしまう。
結局まともに言葉を伝えることもできずに、気づけばいつの間にか俺の両手にはピストルが握らされていた。
「頑張れ二人ともーッ!」
拒否する間もなく背中から聞こえてくるのは、普段絶対に聞かないであろう女子たちの黄色い声援。それが余計に俺の胃腸と心を苦しめる。
だいたい俺、射的なんてやったことないぞ!
そんな自分のことは見捨てて「えい!」と隣で乗り気な声を発した相手は、どこでその腕前を磨いてきたのか、カウボーイのように一発でウサギのぬいぐるみを仕留めた。その瞬間、「きゃーッ!」と女子たちの黄色い声がさらに盛り上がる。
「…………」
銃口をゴリラの人形に向けたままピクリとも動けなくなった俺は、震える指先を落ち着かせようとゴクリと唾を飲み込む。哲也のせいで、余計変なプレッシャーがかかったじゃねーか!
「ほらよ」と鉢巻きを巻いた
じゃあ俺はゴリラの人形を誰に渡せばいいんだよ……
そんな疑問を心の中でボヤきつつ、俺はスナイパーになったつもりで片目を瞑って焦点を合わせると、慣れない引き金を力いっぱいに引いた。
すると見た目のディティールとは裏腹にポンと可愛らしい音が鳴ったピストルは、銃口に詰まっていたコルクの弾を宙へと放つ。それは俺の実力に見合った通り情けない放物線を描いて、標的のはるか向こうへと着地した。
「……」
いくら初心者とはいえ、あまりに格好がつかないデビュー戦に俺は思わず言葉を失う。そんな沈黙を代わりに埋めてくれるかのように、背後からは女子たちと哲也がクスクスと笑う声が聞こえてくる。ダメだ……まだ花火は見てないが、本気でもう帰りたい。
そんな自分の傷ついた心境を察してくれたのか、「残念だったなー兄ちゃん!」と再び粋な声が聞こえたかと思うと、俺の手にはピストルではなく飴玉が握らされていた。
思い描いていたものとは違うとはいえ、これも努力したからこその獲物。
ここは暗黙のルールに従い、俺も誰かにあげるべきなのかと振り返ったが、哲也が仕留めたウサギの人形が視界に入った瞬間、虚しくなってやめた。なので、そのままズボンのポケットの中へと突っ込む。
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