第30話 再びお誘い

 夕食後、自分の部屋に戻った俺は勉強机に突っ伏していた。そんな俺の頭の中に聞こえてくるのは……


『あはははッ!』


「…………」 

 

 お笑い番組でも見てますか? と思わず聞きたくなるほどバカ笑いしているのは、いつものように窓に映っている綾音だ。


『笑い事じゃねーんだぞ! あのクソ姉貴のせいでばーちゃんにまで怒られたんだからな』


『それはテストで欠点取った直人が悪いよ。まあ蝉のおしっこのことは可哀想だったけどね』


 そんな同情の言葉は口にしつつも、綾音は相変わらず愉快そうに肩を震わせていた。少しでも心のイライラをすっきりさせようと綾音に今日の出来事を話したつもりだったが、どうやらとんだ地雷を踏んでしまったようだ。

 出会ってから一番笑っているんじゃないかと思うほど、お腹を押さえて苦しそうにしている綾音を見て、俺はふんと鼻を鳴らすと顔を逸らす。


『ごめんごめん。そんなに拗ねないでよ』


『……拗ねてねーよ』


『嘘、拗ねてるよぜったい』

 

 そう言ってまた肩をクスクスと震わせる綾音に、俺はますます顔をしかめる。なんか俺

、すげー子供扱いされてないか?

 そんなことを思いさらに眉間の皺を深めていると、ころりと態度を変えてきた相手の声が頭の中に響いた。


『そういえば直人のところも、今度の日曜日に花火大会があるの?』


『え?』

 

 昼休みに哲也から聞いた言葉と同じ言葉が綾音の口から飛び出してきて、俺は一瞬きょとんとした表情を浮かべる。


『あ、ああ……そうだけど、やっぱ綾音のところでもあるんだな』

 

 俺は右手で頭をかきながらぎこちない口調で答えた。天候や日時、それに学校や町の行事など綾音とは直接会うことはできないが何かと共通する部分が多い。


『もちろんあるよ。だって君と同じところに住んでるんだから』


『何が同じところだ。この都会人間が』

 

 俺がつっけんどんな態度でそう言うと、綾音は『なにそれ』と言ってクスクスとまた笑う。そんな彼女の姿をじーっと目を細めて見ていた時、ふと頭の中にさっきばーちゃんから聞いた話しを思い出し、俺は疑問に思っていたことを尋ねようとして口を開いた。


『あのさ綾……』


『直人は花火大会に行くの?』

 

 頭の中で同時に声が重なり、俺は「え?」と間の抜けたような声を唇から漏らす。すると綾音が『どうしたの?』と言って小首を傾げた。


『い、いやー別にその……花火大会には行かないかな』


 言い出すタイミングを逃してしまった俺は、代わりにぎこちない話し方で綾音の質問に答えた。


『そっか……』

 

 何故か少し残念そうな表情を浮かべる綾音。気まずい沈黙が流れ、俺は慌てて同じ質問を返す。


『綾音は花火大会に行くのか?』

 

 不意に尋ねた質問に綾音は『え?』と声を漏らした後、コクンと小さく頷いた。


『うん、私は行くよ。芽美が新しい浴衣買ったからどうしても行きたいって誘われてるし』


 綾音の話しを聞きながら、『浴衣』という言葉に耳が勝手にピクリと反応してしまう。それを誤魔化すように俺はわざとらしく咳払いを一つする。


『へ、へえ……そうなのか。ってことはその……綾音も浴衣を着るのか?』


 つい下心がポロリと出てしまい、俺は「しまった!」と一瞬顔を熱くした。だが綾音にはその質問は何の違和感もなかったようで、先ほどと変わらぬ口調で言葉が返ってくる。


『もちろん着ていくよ。だってこんな機会じゃないと浴衣なんて着れないからね』


『…………』

 

 そ、そうだよな。と俺は思い出したかのように返事をすると、バクバクと妙にうるさい心臓を落ち着かせようと大きく息を吸った。


『でも残念だな。直人も花火大会に行くなら会えるかもって思ってたのに』


 不意打ちのようなその言葉に、バフっと勢いよく口から空気が逆噴射した。それに驚いた綾音が目を丸くしてパチクリとさせる。


『いきなりどうしたの? 大丈夫?』

 

 そう言って綾音が少し怪訝そうに眉をひそめる。そんな彼女に、『大丈夫だ』と俺はゴホゴホと咳き込みながら答える。綾音の様子を見る限り、別にさっきの言葉に深い意味はないのだろう。


 何バカなこと考えてんだろ、俺。

 

 やっと呼吸を落ち着かせることができると、俺は自分自身に呆れてしまい思わずため息をつく。すると綾音の明るい声が脳内に響いた。


『まあ直人も気が向いたら行ってみたらいいじゃん、花火大会』


 ね? とニコリと微笑む綾音を見て思わず恥ずかしくなってしまった俺は、さっと逃げるように視線を逸らす。そして、『別に俺は……』と興味なさそうに返事をしようとしたその瞬間、突然目の前の窓が白く濁った。直後、さっきまで綾音の部屋を映していた窓は、何事もなかったかのように夜の田舎町の景色を映す。


「…………」

 

 肝心な言葉を伝える前にフェードアウトしてしまった綾音に、寄せた眉毛がついピクピクと動いてしまう。

 喉の奥に用意していた言葉は伝えるべき相手を見失ってしまったが、それでも俺はぼそりと呟いた。


「興味なんてない……花火大会とか」

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