第22話 悪友からの伝授

「なあ……」

 

 昼休みのチャイムが鳴った瞬間、俺は昼飯が入ったコンビニ袋を片手に哲也の席まで近づくと声を掛けた。いつになく真剣な表情で話しかけてしまったせいか、「な、なんだよ?」と相手が少し驚いたような表情を浮かべる。


「その……ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 

 そう言うと俺は、哲也の前の空いている席にどかっと座った。


「なんだよ改まって」


「いや……だからその……」

 

 眼鏡の奥の目を怪訝そうに細める相手に、俺はぎこちない口調で言葉を濁す。そして窓の方をチラリと見た。そこには、いつものように楽しそうな表情で女子たちと昼飯を食べているあの女が映っている。

 そんな姿にどこか違和感を覚えながら、俺は再びキリッとした目を哲也に向けた。


「もし……もしだぞ? もし自分の目の前で女子が泣いてたらお前ならどうする?」


「……へ?」

 

 どうやら俺の言葉がよっぽど予想外だったのか、哲也が目を丸くしてパチクリとさせる。


「何だよ急に……直人、お前もしかして女の子でも泣かせたのか?」


「ちげーよバカっ! もしもって言っただろ、もしもって!」


 思った以上に大きな声が出てしまい、いけね! っと俺は慌てて口を塞ぐ。もしかして聞こえたかも、と恐る恐る窓の方をもう一度見てみると、あの女は相変わらず楽しそうに弁当を食べていた。……助かった。

 そんなことを思いふうと胸を撫で下ろすと、哲也の怪しむような声が聞こえてくる。


「じゃあ何でいきなりそんなこと聞くんだよ……さては恋か? 新しい恋の話しか??」


「違うってバカ! ちょっとは真面目に話し聞けよ」

 

 強い口調で言い返せば、哲也は「悪い悪い」とニヤけたまま小さく頭を下げた。おそらく、俺が恋愛の相談でもしにきたとまだ勘違いしてしるのだろう。

 そんな相手の様子を見て「はぁ」とため息をつくと、今度は少し真面目な声色で哲也が言った。


「そりゃ俺だったらまずは話しを聞くよな。どうしたんだ? って」


「まー……そうだよな」

 

 予想通り当たり前なことを言われてしまい、俺は思わず視線を逸らしてしまう。そりゃそうだ。目の前で自分の知っている人が泣いてたら、相手が男でも女でもまずはそう聞くに違いない。

 けれど昨日はあまりにも不意打ち的なシチュエーションだった為、俺はそんな当たり前のことを聞くことができなかった。


 だいたい……俺がそんなことアイツに聞いていいのか? いやダメなような……

 

 そんな問答を一人頭の中で繰り返していると、パックジュースにストローを突き刺した哲也が再び口を開く。


「ほんでもって相手の女の子が自分の好きな人なら、俺がいるから大丈夫だって手を握る」


「お前な……その展開は早すぎるだろ」

 

 俺が眉間にぎゅっと皺を寄せながらそう言うと、哲也は何が楽しいのかケラケラと肩を揺らした。


「冗談だって。でも向こうも自分に好意を持ってくれてたら、それぐらいしてくれた方が嬉しいってこの前女子が言ってたぞ?」


「それはお互い好きだった場合の話しだろ? 俺は別にそんな関係じゃねーし、それに仲良くなったところで触れないからそんなの無理だって」


「触れないって……お前、その子にセクハラでもして訴えられたのか?」

 

 急に怪訝そうな表情を浮かべた哲也を見て、「違う!」と俺は慌てて首を振る。危ない危ない……危うくアイツとの関係を暴露しそうになってしまった。

 俺は動揺していることを誤魔化すように咳払いすると、哲也からさっと視線を逸らして再び窓の方を見た。


「……」

 

 窓の中では、友人たちと楽しそうに笑い合っているアイツの姿が映っている。その姿に、昨日教室で一人寂しそうに顔を伏せていた面影はない。

 

 でもあれは絶対に泣いていたはずだ。だって肩も震えてたし……

 

 俺はそんなことを思いながら、眉根を寄せてじーっと窓を見つめる。どうやら本格的に避けられてしまったのか、今日は朝洗面台の鏡で会ってから、一度もあの女とは会話していない。何ならこうやって窓に映っていることは向こうも気付いているはずなのに、視線さえも合うことがない。

 

 けど挨拶はしてくれたってことは……別に嫌われたわけじゃないのかな?

 

 うーんと首を捻って再び視線を前に戻した時、視界の中に突然哲也の顔がドアップで映り、俺は思わず「うおッ」と椅子から転げ落ちそうになる。


「あっぶねーなッ! いきなり何すんだよ」


「別に何もしてないだろ。お前が恋煩こいわずらいでもしてそうな顔してたから観察してただけだよ」


「恋煩いって……そんなわけないだろッ」

 

 そう反論してギロリと睨みつけるも、相手は椅子に座り直すとニッと悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「だいたい俺はな、もう二度と好きな人は作らないって決めたんだ」


「ふーん、じゃあもう沙織ちゃんのことはいいのか?」


「……」

 

 久しぶりに聞いた名前に、言葉を発するよりも前に俺の心がぐさりと音をたてる。かさぶたぐらいは出来ているだろうと思った失恋の傷口は、どうやらまだぱっくりと開きっぱなしだったらしい。

「ぬぐぅ」と悔しさを滲ませた声だけ漏らしていると、クスクスと肩を震わせていた相手が話しを戻してきた。


「で、直人はその子の話しを聞いてあげて何て言ってあげたんだよ?」


「…………」


 話しが変わっても痛いところを突かれてしまい、俺は完全に黙り込む。そんな自分を見て、哲也が不思議そうに首を傾げる。


「……何も聞いてない」


「は?」


「だから……相手が何で泣いてたのかまだ聞けてないんだって」


 何だよそれ、と哲也が呆れて大きくため息を吐き出す。それを見て、俺は余計に気まずさが増す。


「だ、だって仕方ないだろ! どこまで踏み込んで話し聞いたらいいかもわかんないし……」


「はぁ……つまりあれか? まだお互い心の内をさらけ出すほどの信頼関係が築けてないってことか?」


「……」


 はいともいいえとも言えず、俺はまた押し黙る。心の中で会話はしているけれど、心の内をさらけ出しているかと聞かれれば怪しいところだ。

 ましてや神出鬼没の変態と呼ばれているこの俺が、まともな信頼関係を築いていけるのかも疑問。いや……おそらく信頼の『し』

の字も築いていけないと思う。

 そんなことを苦悩していると表情にもそれが出てしまっていたのか、目の前にいる友人がまた呆れたようなため息を吐き出す。


「その様子を見る限りだと、だいぶ悪戦苦闘してるみたいだな」


「う、うるせーよ……」

 

 ますます分が悪くなってしまったのを誤魔化すように、俺はふんと鼻を鳴らして哲也から顔を背ける。それでも相手は気にする様子もなく話しを続ける。


「とりあえず、まずは自分の懐の深さをアピールして相手に心を開いてもらうことが先決だな」


「そんなのどうやるんだよ?」

 

 横目で哲也を睨みながらも、助けを求める勢いで俺は尋ねた。女子と信頼関係を築くなんて、自分にとってはテストで百点取るよりも遥かに難しいことだ。


「いいか直人。意中の相手と信頼関係を築きたいならまずは自分のことをさらけ出すことが大切だ。相手が何かで悩んでいるなら、まずは自分の悩みを話す。もちろん相談するためじゃなくて、自分も相手のことを信頼してます! ってアピールするためにな」


「お前何者だよ……」

 

 いきなり高度なトークテクニックを伝授し始めた相手に、俺は思わず眉を潜めた。クラスでも部活でも俺とは違って哲也にやたらと女子の友達が多いのは、こういう裏事情があるからなのかもしれない。

 そんなことを思いながらも、「なるほど……」と俺は素直に感心していた。


「まあ直人の場合はちょうど沙織ちゃんとの件もあるし、そのへんネタに困らないからいいだろ」


「お前な、人の失恋をネタ扱いするなよ」 

 

 そう言って再び哲也のことを睨んだが、相手は「冗談だって」と軽い感じで俺の視線を受け流す。


「でもそれがきっかけでその子との関係が深まったら結果オーライだろ?」


 まあなと肯定しかけたが、いつの間にか特定の相手がいる前提で話しをされていることに気づき、俺は慌てて反論する。


「別にそういうことじゃないって! それにこれは……ただの例え話しだ」

 

 そう言ってふんと顔を逸らすと、何故か哲也は反論することなく「へー」と意味深な笑みだけ浮かべる。何だろう……スルーされる方が余計に辛いぞ、これ。

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