第16話 失った日常

 翌日も、そのまた翌日も、住田綾音とかいう暴言キテレツ女は俺の目の前に毎日現れるようになった。

 いつどんなタイミングで現れてくるのかはまったく予測不能。しかも鏡の中だけではなく、どうやら俺の姿が映るものならどこにでも現れる可能性があるようで、昨夜はベッドでスマホをいじっていたら画面の中にまで現れてきてマジで焦った。新手のテレビ電話かっつーの。

 ただでさえあまり人に干渉されるのを好まない性格なのに、これはもう干渉とかそんな生温なまぬるいレベルではない。

 プライバシーの侵害どころか、基本的人権の崩壊。24時間監視の目にさらされているといっても過言ではない。

 しかも現れてくるだけではなく、奴と心の中でコミュニケーションが取れてしまうというのも非常にやっかいだ。直接口にしなくても思っていることが相手に伝わってしまうというのは何度考えてもゾッとする。

 ただ唯一の救いは、思っていることや考えていることが何でも筒抜けになるわけではなく、心の中で相手に向かって話しかけたことだけが伝わるということだ。

 さもなくば、思春期の男子が考えていることが同い年の女子に全部筒抜けになってしまうなんて、それこそ本当の意味での生き地獄だ。……まあでも、今の状況でも地獄なのは変わりないのだけれど。例えば……


『おい……邪魔で見えねーだろ』

 

 いつもと変わらない朝……と思って訪れたはずの洗面台。歯を磨いてから両手に馴染ませたワックスで髪の毛をセットしようとしたまさにその時、目の前の鏡に映っていた俺の姿が突然変わった。何なら性別も変わる。そう、今日も朝一からあの女の登場だ。


『そっちこそ邪魔で私の支度ができないんだけど?』


『バカ、それは俺のセリフだ。早くしねーと学校遅刻するだろうが』

 

 俺は心の中でそう言うと鏡に映っている相手を思いっきり睨む。が、ふんと鼻を鳴らす相手はこんなことでは折れない。


『あのね、女の子の方が朝は色々と準備することがあるから忙しいの。それにアンタみたいな男、髪の毛セットしたぐらいじゃ何も変わらないでしょ』


「あ?」

 

 イラッとして思わず口から声が溢れた。


『お前な、ちょっと顔が可愛いからっていい気になるなよ』

 

 勢い余ってつい飛び出した言葉に、相手も「は⁉︎」と口から声を漏らしたかと思うと、何故だか急に顔を赤らめる。そして何か言いたげに口を開くも、動揺してしまっているのか一人咳き込んでいる。あれ? もしかして俺今、何か恥ずかしいこと言っちゃった?

 言葉のチョイスを間違ったことにやっと気づいて慌てて否定しようとすると、『き、急に変なこと言わないでよ!』と向こうが先に睨みつけてきた。


『と、とりあえず私はメイクもしないといけなくて時間がかかるんだからあっち行ってよ!』


『だから俺だって髪の毛セットするのに時間がかかるんだよ。お前こそどっか行け!』 

 

 しっしと犬でも追い払うように鏡に向かって右手を振れば、相手はむっと頬を膨らませて悔しそうな表情を見せてきた。それを見てざまあみろと思った俺は、今度は両手を振ってさらに挑発する。すると突然、まったく別のところから声が聞こえてきた。


「……アンタ、朝っぱらから何やってんの?」


「…………」

 

 いつの間にかねーちゃんが洗面所の入り口に立っていた。その目は実の弟ではなく、まるで変質者でも見るかのような厳しい目つきをしている。

 結局あれだけ必死になって死守しようとした洗面台のポジションは、ねーちゃんの「邪魔」の一言によってあえなく撤退を余儀なくされ、俺は両手にワックスをつけたまま泣く泣く洗面所を後にした。

 ……とまあこんな感じで、俺の平穏な日常はあのクソ女のせいで完全に失われてしまったのだ。

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