第14話 三次災害

「おい直人、さっき何が見えてたんだよ?」

 

 やっと地獄から解放された直後の休み時間、疲れ切って机の上に突っ伏していると頭上から哲也の声が聞こえてきた。俺はげっそりとした表情で顔を上げると大きなため息をつく。


「……あの女だよ」

 

 生気を失った声でぼそりとそう呟くと、哲也が「あー」とぎこちない苦笑いを浮かべる。


「お前が朝言ってた、昨日風呂場の鏡に出たっていう幽霊?」

 

 何バカなこと言ってんの? といわんばかりに呆れた口調で哲也が言う。しかし俺にとっては紛れもない事実なのでそのまま話しを続ける。


「そうだよ……しかもあの女、今度は俺の頭の中に話しかけてきやがった」


「……」

 

 再びため息をつく俺の隣では、哲也がますますひどい苦笑いを浮かべて固まっている。 

 昨夜風呂場で起こった出来事はねーちゃんに散々バカにされたので誰にも言うまいと心に決めていたのだが、一人で抱えるにはあまりに怖すぎたので今朝哲也には話してしまったのだ。もちろん、見事にバカにされたけど。


「なあ直人、やっぱお前の勘違いじゃないのか? ほら、フラれた精神的ショックで鏡に映った自分を見間違えたとか」


「ふ、フラれたのは関係ないだろバカ! だいたいあんな至近距離で見間違うわけないし、あれはぜーったいに俺の身体じゃなかった。だって……」


「……だって?」

 

 急に言葉を止めた俺に、哲也が不思議そうに首を傾げる。それを見て俺はますます言葉を喉の奥へと飲み込んでしまう。自分の身体とどこがどう違っていたかなんて、よく考えれば恥ずかし過ぎて言えるわけがない。


「と、とりあえず違ってたんだよ! あれは絶対俺じゃなかったし、さっき窓に映ってたのもこの教室じゃなかった」


「とは言われてもなー……」

 

 相変わらず呆れた口調で声を漏らす哲也は、右手でぽりぽりと頭をかきながら教室の窓の方を見る。


「直人以外にそんな変な光景見たやつなんていなかったし、やっぱお前の……」


「だーもうッ、俺はマジで見たんだって! だいたいな、こうなったのも全部お前のせいなんだぞ哲也」


「え? 俺?」

 

 自分の言葉に、哲也が今度はきょとんとした表情を浮かべる。


「お前があんな怪しい神社なんて紹介するから俺が呪われて取り憑かれることになったんだよ。しかも言い出しっぺのお前は寝坊してドタキャンするし……」

 

 強い口調でそう責め立てれば、哲也は「あはは……ごめんごめん」とまったく誠意のこもっていない態度で謝罪の言葉を口にする。その態度にますます俺が眉間の皺を深めると、哲也は困ったような表情を浮かべて口を開いた。


「けどおかしいなー……部活の女の子たちが話してたのは確かにあそこにある神社だったんだけど……それとも直人、お前もしかして何かたたられるようなことでもしたんじゃないか?」


「は? 俺がそんなことするわけ……」 

 

 ない、と断言しようとした時、ふと耳の奥に聞こえたのはカラーンという鈴の音と、脳裏に蘇ったのはあの時の映像。

 哲也に対する不満と苛立ちですっかり忘れていたが、俺はあの神社で思いっきりやらかしている。

 黙ったままさーっと顔から血の気が引いていく自分を見て、哲也が再び怪訝そうに眉をひそめた。


「お前……やっぱり何かやらかしただろ?」


「な、なんもやらかしてねーって!」

 

 本当に? と哲也が眼鏡の奥の目をさらに細めた。気まずくなった俺は「あぁ……」とぎこちない声だけ漏らすとすぐに視線を逸らす。

 何かこの場から逃げ出す言い訳はないかと必死に考えていると、突如頭上からスピーカー音が響いた。


『2年3組の三島直人さん、担任の山中先生がお呼びなので至急職員室までお越し下さい。繰り返します。2年3組の……』

 

 突然の呼び出しに、「げッ」と俺はあからさまに嫌な表情を浮かべた。すると目の前で哲也がクスクスと肩を震わせている。


「ほらみろ、やっぱりやらかしてるじゃん」


「バカっ、これは関係ないだろ」

 

 俺はそう言って哲也を睨みつけると、そのまま席を立って教室の扉へと向かう。……とりあえずこれで鈴の一件は哲也に話さなくても済みそうだ。

 そんなことを思い、廊下に出た俺はほっと胸を撫で下ろすも、今度は呼び出しをくらった恐怖にすぐに思考が支配されていく。

 何だろう、このタイミングで呼び出しって……しかも『至急』とか付けられるとマジで怖いんだけど。


「まさか……さっきの授業態度のことでさっそく怒られるとかじゃないだろうな?」

 

 そんな不安が頭をよぎり俺はゴクリと唾を飲み込むと、鉛のように重くなった両足で職員室へと向かった。


「し、失礼しまーす……」

 

 すでに怒られることが前提みたいなへっぴり腰で俺は職員室の扉を開けた。すると扉近くに席を構えている担任とすぐに目が合う。


「三島くん、ちょっとこっちに」

 

 普段は笑顔が素敵で生徒達から好かれている女教師は、俺に対して一切の微笑みも浮かべていなかった。つまりこれは……やっぱり怒られる。

 はぁと俺はバレない程度にため息をつくと、のそのそとさらに重くなった足取りで担任の席へと向かう。するとその机の上にあったのは、見覚えのある一枚のプリント。どうやら呼び出しをくらったのは、それが原因のようだ。


「ねえ三島くん、これってどういうこと?」

 

 そう言って先生はペラリとその紙を右手で取ると、俺の顔の方へとぐっと近づけた。


「いや、その……それは……」

 

 バツが悪くなった俺は、すぐにそのプリントから視線を逸らす。ギリギリまで提出を渋っていた『進路希望アンケート』と題されたそれは、今の俺の頭の中と同じくらい真っ白だった。いや、正確には『特になし』の4文字は書いているので白紙ではない。


「あのね、うちのクラスで白紙で出してるのは三島くんだけだよ? 恥ずかしくないの?」


「……」

 

 どうやら先生にとって、俺の書き込んだ言葉は白紙と同じ扱いだったようだ。


「その、恥ずかしいというか何というか……」

 

 隅の隅まで追い詰められたネズミのように怯える俺は、プルプルと震える唇で必死に声を絞り出す。おそらくこの感じだと、すぐに解放してくれることはなさそうだ……


「うちの学校は3年生から理系と文系に分かれるのは知ってるよね? その時の指標の一つになるのがこのアンケートなのに、このままだとどっちにも進めなくなるよ?」

 

 担任は高校生相手というよりも、まるで小学生相手に諭すような話し方で言った。どっちにも進めなくなるということは、もう一度2年生をするということだろうか?

 そんな関係のないことを一瞬考えるも、「三島くん」とピシャリと名前を呼ばれて俺は慌てて思考と姿勢を戻す。


「このアンケートは一旦あたなに返すから今日一晩ちゃんと考えて明日の朝再提出すること」

 

 わかった? と有無を言わさぬ気迫に負けて、俺はコクリと小さく頷く。あーあ……これで今日は帰ってからゴロゴロできないことが確定した。

 はぁと今度はあからさまに大きなため息をつくと、「こらっ」とペラペラのアンケート用紙で頭を叩かれた。


「あのね三島くん、これはあなたの今後の人生を考える上で貴重な機会なの。毎日ただ何となく過ごしてたら、やりたいことも好きなことも見つからなくなっちゃうよ?」

 

 だからちゃんと考えるように、といつもの優しい声音に戻った担任は、提出したはずのアンケート用紙を再び俺の手元に渡してきた。何も言い返すことができない俺は、しぶしぶその紙を受け取る。


「もし進路についてわからないことや悩むことがあれば、いつでも相談してくれればいいからね」


「……はい」

 

 ニコリと笑顔を浮かべる先生に、俺はぎこちない苦笑いを浮かべて返事をする。最近の俺は何から何まで本当にツイてない……これも絶対あの暴言生き霊女が取り憑いたせいだ。

 そんなことを思い心が沈み、さらに職員室独特の重苦しい空気にも耐えれなくなった俺は、担任に向かって小さく頭を下げると逃げるように出口へ向かおうとした。……が、二歩目を踏み出した瞬間、「三島くん」とすぐに呼び止められてしまう。


「な、なんでしょう……」

 

 ぎこちない動きで振り返れば、どういうわけか、山中先生の顔からまた笑顔が消えているではないか。

 何だか嫌な予感がする……。そう思った俺がゴクリと唾を飲み込むと、先生はその整った眉毛をきゅっと寄せた。


「それと授業中に窓ばっかり見て急に叫び出さないように」


「…………はい」

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