第9話 ついに出た!

 夕食後、俺は脱衣所で一人苦しんでいた。 

 食事中に姉と無駄な口論をしてしまったせいで、ストレス発散といわんばかりに食べ過ぎてしまったのだ。そのせいでズボンを脱ぐのも一苦労。失恋をすると食欲が無くなると聞いたことがあるが、どうやら俺は対象外だったらしい。


「魂か……」

 

 何とか両方の足をズボンから引き抜くことができた俺は、さっき聞いたばかりの言葉をぼそりと呟く。

 絶対にデマだと思っていた哲也の話しをばーちゃんの口から聞いた時は正直ビックリした。しかも、あんな廃墟と化した神社が本当に縁結びで有名な神社だったなんて……


「なのに、なんで廃れたんだろう……」

 

 パンツも脱ぎ捨てた俺は、右手でタオルを掴むと一人そんなことをボヤく。

 いくらど田舎だからといっても、それほどまでに縁結びの効果がある神社だったのなら、もっと全国的に有名になっていてもおかしくないはずだ。


「まさか……不幸なことがあって呪われたとか?」

 

 素っ裸になっているせいか、そんなことを考えた瞬間、背筋にゾワリとした寒気が走った。

 俺はそれを振り払うように慌てて首を振ると、ここは早く己の身を清めて温めたほうがいいと思い風呂場の扉を開けた。その瞬間、ムワッとした熱気と共に入浴剤の匂いが鼻腔をかすめた。

 じんわりと温かい風呂場の空気に包まれて少し落ち着きを取り戻した俺は、そのままゆっくりと右足を踏み出す。おそらく先に入っていた姉が換気扇をつけ忘れていたのだろう。狭い空間には視界を遮らんばかりに白い湯気が立ち込めていた。


「ったく、換気扇ぐらいつけろよな……」


 俺は相手がいないことをいいことにそんなことを声に出して愚痴ると、扉の横にある換気扇のスイッチを押した。ヴゥンと年季の入った機械音が鳴り始めると同時に、視界を覆っていた湯気は逃げ出すように通気口へと吸い込まれていく。

 徐々に視界がクリアになっていく中で俺は再び風呂場へと足を踏み入れると扉を閉める。そして姿見の下にある小さな棚にタオルを置くと、いつものようにバススツールに腰を下ろそうとした。……が、ふと誰かの視線を感じたような気がして俺はピタリと動きを止める。

 え? と思わずキョロキョロと辺りを見回すが、もちろんこんな狭い空間には自分以外誰もいない。


 き、気のせいだよな……

 

 俺は急速に込み上げてくる恐怖心を誤魔化すように咳払いをすると、再びバススツールに腰を下ろそうとした。と、その時。視界に妙なものが映っていることに気づいた。


「……」

 

 それは俺の目と鼻の先にある姿見の中でのこと。湯気で曇っているその鏡面には、晩飯を食べ過ぎたにしては妙にくびれがくっきりとした腹部が映っているのだ。

 おかしいのはそれだけじゃない。

 いくら男にしては貧弱な身体をしているとはいえ、手首足首はやけに細いし、よく見ると肩や腰回りは丸みを帯びている。それに、胸もなんかやたらとボリュームがあるような……


「……え?」

 

 換気扇によって曇っていた視界が完全にクリアになった瞬間、俺は鏡に映っている自分の身体を見て絶句した。直後、今度は視線を上げてそこに映る自分の顔を見て悲鳴を上げる。


「うわぁあッ!」


『きゃああッ!』

 

 突然頭の中に響いた別の人間の声に、俺はさらに叫び声をあげた。その拍子につるんと足を滑らしてしまい、まるでバナナの皮でも踏みつけてしまったかのように勢いよく尻餅をつく。


「いってッ!」

 

 あまりの痛さに思わず声を上げるも、姿見が再び視界に入った瞬間、恐怖のせいで一瞬で痛みを忘れる。


「どうしたの⁉︎」

 

 突如風呂場の扉が勢いよく開いたかと思うと、血相を変えた姉が顔を出してきた。そしてパニック映画のヒロインさながらに怯えている俺の姿を見て、今度はぎょっとした顔を浮かべた。


「お……お……おんな……」

 

 常軌を逸した弟の姿と声に、姉は「は?」といつも以上に顔をしかめた。


「女が何よ?」

 

 冷水のように冷めた言葉を浴びせてくる姉に、俺は声を絞り出して必死に叫んだ。


「お、女の子がいる!」

 

 ピンと伸ばした右腕と人差し指の先、本来であれば自分が映っているはずの鏡の中には、何故か知らない女の子が映っているのだ!


「女の子って……アンタ以外誰も映ってないじゃない」


「えッ⁉︎」

 

 その言葉に俺が「何言ってんだよ!」という顔をして姉の顔を見上げれば、相手は「何言ってんのこのバカは?」という呆れた表情で睨み返してきた。


「ちょッ、ちょっと待てよ! はっきり映ってんじゃん!」

 

 俺は声を荒らげると、もう一度鏡の方をビシッと指差した。

 何度見てもそこに映っているのは俺ではない、見知らぬ女の子だ。

 しかも何故か相手も尻餅ついたような格好をして怯えている。


「アンタね、いい加減にしなさいよ! 夜遅くに大声出すわ暴れるわって、頭狂ってんじゃないの?」


「なッ!」

 

 こんな時でもトゲトゲしい言葉を言い放ってくる姉に、俺は思わず相手の顔をぎゅっと睨みつける。

 が、どうやら姉には本当に何も見えていないようで、恐れる様子もなく堂々と鏡の中を覗き込んでいるではないか。

 すると何故か、鏡の中に映っている女の子が姉の顔を見上げてさらに怯えたような表情を浮かべた。


 な、何なんだよあの女は……

 

 姉には見えない、でも、俺には見える。

 これはもう間違いなく心霊の類に取り憑かれてしまっている。

 そう確信した俺は、頭上でぶつぶつと文句を言い続けている姉を押しのけて、素っ裸のまま脱衣所へと飛び出した。


「コラっ身体拭け! 服着ろ!」

 

 脱衣所から大慌てで逃げ出す俺の背後から姉の怒鳴り声が聞こえてきたが、今は知ったこっちゃない!

 俺はそのままドタバタと階段を駆け上がって急いで自分の部屋へと逃げ込むと、今度は勢いよく襖を閉めた。そしてヘナヘナとその場にしゃがみ込む。


「マジで何だったんだよ……あの女……」

 

 どれだけ首を振ろうが瞼をぎゅっと閉じようが、くっきりと脳裏に刻まれてしまったさっきの恐ろしい光景が頭から離れない。

 耳の奥からバクバクと聞こえる爆発寸前の心音が、そんな俺の恐怖心をさらに刺激する。

 どうなってんだよ、と歯をカチカチと鳴らしながら呟けば、ふと頭によぎったのはあの時の映像。

 廃墟と化したおぞましい場所と、それに突然千切れてしまった鈴の紐。これはそう……間違いなく……


「……あの神社の呪いだ」

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