第8話 その神社で結ばれるもの

 俺は息を潜めるようにして、ベッドの上で布団に包まり隠れていた。

 べつに廃墟の神社の鈴を落としてしまったからといってビビってるわけではない。ビビっているわけではないけれど、あんな罰当たりなことをしてしまったので、念のために隠れているだけだ。


「くそ……これも何もかも哲也のせいだ」

 

 そう、アイツのせいだ。哲也があんな変なことを言い出さなければ、俺はこんな余計な不安を抱える必要などなかった。

 しかも当の本人は寝坊してドタキャンしたくせに、約束を守った俺のほうがどうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ?

 そんなことを考え、今度学校で哲也に会ったら絶対に怒ってやろうと思っていた時、かぶっている布団の向こうから勢いよく部屋の襖が開く音が聞こえてきた。


「ちょっと直人! 晩御飯できたって何度も言ってるでしょ!」


「うわぁッ!」

 

 突然怒鳴り声が聞こえてきて、俺は慌てて布団から飛び出した。すると視界には、両手を腰に当てて文字通り鬼の形相で自分のことを睨みつけてくる姉の姿があった。


「んだよ、ねーちゃんかよ……。ってか、部屋に入ってくるならノックしろっていつも言ってるだろ」


「は? ふすまにノックなんて必要ないでしょ。それより御飯できてるからさっさと降りてこいって言ってるの」


「……」

 

 コイツどれだけ俺様なんだよと思いつつ、そんなことを言っても火に油を注ぐだけなので、俺は黙ったまま睨み返す。

 が、悲しいかな。弟の迫力など無いに等しいようで、姉は呆れたようにため息を漏らすと俺に背を向けて部屋を出て行ってしまった。


「……くそ」


 姉が階段を下りる足音を聞きながら俺は小さく舌打ちをすると、もう一度ベッドに倒れ込む。

 5歳年上の姉の夏海なつみは、最近母親よりも口うるさい。

 もともと口が悪いのにさらに口がうるさくなるとか、マジでタチが悪い。それでいて自分はよくモテるとか聞いてもいないのに自慢話しをしてくるので非常に迷惑。

 あんな人間がモテるとか、おそらく姉の周りにいる男たちは視力が非常に悪いか、それかただの巨乳好きかのどちらかだろう。


「はぁ……今日はほんとについてないな」


 静寂を取り戻した部屋で、俺は盛大にため息をついた。姉の小言はいつものことだけれど、今日の俺は本当についていない。

 廃墟の神社から逃げるように去った後、家までの帰り道の途中で犬のウンコは両足で踏み付けるし、何もないところでつまずいてしまったりと不幸続き。

 挙げ句の果てには家の近くで野良犬ではなく何故か野良猫に追いかけられてしまった時には、今の自分はネズミ以下の存在なのかとマジで悲しくなってしまった。

 できればこれ以上、俺の身に何も起こってほしくはないのだが……

 

「直人、早く降りてきなさいって言ってるでしょ! 家から追い出すわよ!」


「…………」


 さっそく起こった。ってか、飯食わないからって家から追い出すってどんな理屈だよ。あのクソ姉貴。

 俺は再び大きくため息をつくと、鉛のように重くなった身体に力を入れて、亀のような動きでのそのそとベッドから降りた。そして部屋を出ると、一階にあるリビングダイニングへと向かう。


「遅いッ! なにグダグダしてんの」


 すでに右手に箸を握りしめ、サバの味噌漬けを突いていた姉がさっそく怒鳴り声を放ってきた。

「うっせーな」と反抗期丸出しで口答えすれば、「あ?」とヤクザまがいな言葉が返ってきて、俺は一瞬背筋をビクリと震わす。……やっぱこの人怖い。


「こらこら夏海なつみ、そんなに直人のこといじめちゃダメよ」


「だってコイツが……」


 姉の暴君っぷりを止めてくれたのは、三島家の女としては珍しいほどおっとりとした俺の母親だ。男尊女卑という言葉があるけれど、古来より三島家ではなぜか女の方が強かったらしく、そして現在最も権力が強いのが……


「直人や、いついかなる時も腹だけは空かしてはならん。男たるもの常に気を張れ」


「…………」


 うちのばーちゃんだ。今年米寿を迎えるばーちゃんだが、はっきり言ってその迫力はコンビニの前でたむろしている不良の比ではない。

 ばーちゃんがどんな人かと聞かれれば、俺の頭に真っ先に思い浮かぶのはジブリ映画のキャラクター。ユバーバだ。

 幼い頃、あの映画を初めて家のテレビで見た時、ユバーバが登場した瞬間「あ、おばーちゃんだ」と俺は恐れ知らずにもそう言ったらしい。

 らしいというのはその時の記憶が俺にはなく、代わりに額には今も消えない小さな傷があるのだけれど、この傷とばーちゃんの事件性はないと思っている。たぶん……無関係のはずだ。

 姉には口答えした俺も、さすがにばーちゃんの言葉には何も歯向かわず、いつもの自分の席に座る。左には姉、その姉の前にばーちゃんが座っていて、ばーちゃんの右側には母親。そして俺の真正面には……


「あれ? 父さんは?」


 いつもなら誰よりも先に椅子に座ってお疲れの一杯を飲んでいる父親の姿がない。休日なのに出かけているのか? と疑問に思った時、その答えが母親から返ってくる。


「お父さんは今日残業で遅くなるって言ってたから、たぶん帰ってくるのは11時過ぎになるんじゃないかしら」


「11時過ぎって、今日は仕事休みじゃないのかよ」


 俺は母親の言葉にそう言うと、リビングの壁にかかっている時計をチラリと見る。時刻は現在19時30分。仕事がある平日でも父親がだいたい家に帰ってきている時間帯だ。


「休日出勤で残業とかマジでブラックだな……その会社大丈夫なのかよ」


 ぼそりとそんなことを言えば、コツンとすぐに頭を叩かれた。


「何言ってんのよ生意気に。そのおかけであんたもご飯食べれるんでしょ。ちょっとはお父さんに感謝しなさい」


 うっせーな、の代わりに「いってーな」とわざとらしく左手で頭をさすりながら姉の横顔を睨んだ。けれど向こうはふんとした態度でこちらを見ようともせずに箸を進める。


「あんたみたいに将来のことなーんも考えてない人間は就職だってできないわよ」


「は? 俺はまだ高二だぞ? そんな時から将来のこと考えてる奴なんていないだろ」

 

 言われっぱなしに腹が立った俺は、反撃と言わんばかりに自論を述べる。が、向こうの防壁はなかなか固い。


「バカね、いるに決まってるでしょ。少なくとも私はあんたの歳で今の進路は決めてたわよ」


「……」

  

 圧倒的な上から目線で話してくる姉。しかもそれが事実であることは俺も知っているので、反論したくても何も言えない。

 悔しさを誤魔化すように俺はサラダを口いっぱいに頬張ると、CMに出演できそうなほどシャキシャキと力強く音を鳴らした。すると今度は母親の声が聞こえてくる。


「直人、進路は焦って決めなくてもいいけれど将来家庭を持った時はお父さんみたいにお仕事頑張らないとダメよ」


 姉よりも百倍優しい口調で、けっこうシビアなアドバイスをしてくるうちの母親。その隣でばーちゃんも、「男は忍耐」と深く頷いているところを見ると、どうやら三島家では休日出勤も残業も昔から肯定のようだ。


「はぁ……」

 

 俺は箸を握りしめると、小さくため息を漏らした。きっと三島家の男として生まれた俺は、あと何年かすれば今の父親と同じように社畜として定時も休日も関係なく働いているのだろう。

 この前のホームルームでは担任が、「夢や目標を持って進路を決めましょう」なんてお決まりのフレーズを言っていたが、こうやってサラリーマンの実態を知ってしまうと、そんな前向きな気持ちで進路なんて選べるはずがない。というより、進路なんて考えたくもない。

 そんなことを一人ぶつぶつと頭の中でボヤいていると、またも隣から声が聞こえてきた。


「そういや直人、あんた珍しく朝から出かけてたけどどこ行ってたの?」


 唐突な姉の質問に、ギクっと俺の肩が震えた。


「べ、べつに何だっていいだろ……」


「ふーん。どうせあんたのことだから、朝っぱらかゲーセンとか行ってたんでしょ」


 ポイ捨てするように姉の口から吐き出された言葉に、俺の頭の中でカチンと音が鳴る。


「は? んなわけねーだろ。大事な用があったんだよ大事な」


「大事な用事って何よ?」


 姉の言葉に何かと歯向かってしまいたくなる性格が逆に仇となってしまい、俺は触れられたくない今朝の出来事に対して自ら墓穴を掘ってしまう。

「ちょっとな……」と目を逸らして言葉を濁せば、「ほらやっぱり」とすぐに疑いの言葉が返ってきた。


「あんたみたいな奴に大事な用事なんてあるわけないでしょ」


「なッ、ほんと失礼な奴だな……俺にだって大事な用事ぐらいあるっつーの!」


 ヒートアップしていく二人の子供を前に、「まあまあ」と優しくなだめようとしてくれる母親の声が聞こえるも、そんな言葉ではもう止まらない。

 売り言葉に買い言葉で、「じゃあ何の用事があったのよ?」と再び挑発的な口調で尋ねてくる姉に、俺は一瞬口ごもる。


 クソっ……ここでまた濁した言い方をすれば姉の思う壺だ……


 そんなことを思った俺は、これ以上姉にバカにされるのを避けるために慎重に言葉を選んだ。


「神社だよ……ちょっと社会見学に」


「は?」


 俺の言葉に、何故か姉だけではなく母親とばーちゃんまで視線を向けてきた。どうやら、かなりの地雷を踏んでしまったらしい。慌てて言葉を付け足そうとすると、ぷっと吹き出した姉の方が先に口を開く。


「神社って……あんた嘘つくならもうちょっとマシな嘘つきなさいよ」


「嘘じゃねーよ! ちょっと近くにある神社まで行ってたんだよ」


 顔を熱くしてすぐさま反論すれば、「この辺に神社とかないじゃん」と姉はお腹を押さえて今度は大笑いする。たぶん俺の話しが全部嘘だと思っているのだろう。

 そんな相手にどうやって自分の話しを証明してやろうかと頭を抱えていると、予想外にも違うところから声が聞こえてきた。


「直人や、お前さんもしかして『結鈴ゆすず神社』に行ってきたのか?」


「え? ばーちゃんあの神社知ってるの?」

 

 不意に聞こえてきたばーちゃんの言葉に、俺は思わず目を丸くする。するとそんな孫の反応を見たばーちゃんが、けらけらと愉快そうに肩を揺らした。


「もちろん知ってるとも。私らの世代だと『縁結び』といえば結鈴神社が有名だったからねぇ」


 縁結び。再び出てきたその言葉に、哲也の顔が一瞬脳裏に浮かぶ。


 アイツが言ってたことって、本当だったんだな……


 思いもよらないところで証言を得ることができてポカンとした表情を浮かべていると、またも口うるさい声が隣から聞こえてくる。


「なになに直人、あんた縁結びのお願いに行ってきたの⁉︎」


 突然目の色を変えて興味津々に身を乗り出してくる姉。そのあまりの気迫に、「うおッ」と俺は思わず椅子からずり落ちそうになってしまい慌てて身体を支える。


「ね、なんで? なんで縁結びなの? もしかして好きな子ができたとか??」


 矢継ぎやに飛んでくるデリカシーのない言葉に、俺の心がグサグサとダメージを受ける。好きな子ができたどころか、こっちは玉砕したばかりだ。


「べ、べつにそんなんじゃねえよ……」とぎこちない口調で答えると、相手の口元がニヤリと動く。


「ははーん、やっぱりそうなんだ」


「だから違うって言ってるだろ! 勝手に決めつけんなよ」


 ガルル、と噛みつかんばかりの勢いで姉の顔を睨んだ時、視界の隅で不思議そうな表情を浮かべていたばーちゃんがそっと口を開いた。


「あそこの神社、もう無くなったものとばかり思っていたが、まだ残ってたんだねぇ」

 

 そう言ってばーちゃんは過去を懐かしむように目を細めた。きっと俺が生きてきた時間よりもはるか昔のことを思い出しているのだろう……というより、ばーちゃんのその横顔に愛嬌よりも何故かたくましさを感じてしまうのは俺だけか?


「ねえおばーちゃん、その神社ってそんなに縁結びで有名だったの?」


 やっと俺のことを解放してくれた姉が、今度はその興味の矛先をばーちゃんに移す。するとばーちゃんは、「ああそうだよ」と言ってニコリと笑う。


結鈴ゆすず神社は小さな神社だけれど、この国で一番最初に縁結びの神様をまつったとされる神社だからね。『結鈴で結んだご縁は末代まで』、私らの若い頃はみんなそんな風に言っていたよ」


「へぇーそんなに凄い神社なんだ」

 

 目を輝かさせて感心する姉の隣で、俺は反対にきゅっと眉間に皺を寄せる。まさかあの廃墟と化した神社が、そんなに凄い場所だったとは……

 半信半疑だった俺の心をさらに納得させるかのように、ばーちゃんがまたも言葉を続ける。


「それに私も昔、結鈴神社で縁結びを願ったからこそあの人に出会えたからねぇ」


 そう言ってばーちゃんは、その視線をリビングに置かれた仏壇へとそっと移した。仏壇の中にある写真には、俺が知っている頃よりも少し若いじーちゃんが笑って写っている。 

 じーちゃんは俺が5歳の時に亡くなってしまったが、生前は俺の父親と同じで働き者だったらしい。……まあ、結婚した相手がうちのばーちゃんだったら否が応でも働き者になりそうだけどな。

 なんてことを思って視線を戻すと、「どうした直人?」とばーちゃんがカッと目を見開いて俺のことを見ていた。

「な、何もないです!」と慌てて答えた俺は、すぐさま両手も首もブンブンと振る。  

 え? いま心が読まれてたとかじゃないよね?

 動揺する俺の前で、ばーちゃんは一息つくように母親が入れたお茶を飲むと、今度は昔話でもするかのような口調でゆっくりと話し始めた。


「結鈴の縁結びは、今の自分にとって本当に必要な人と巡り会わせてくれる。たとえどんなに遠く離れていても、まだ出会ったことがなくても、必ず大切な人と結ばれることができる。偉大なる結鈴の神様のお力によってな」


「……」

 

 話し方なのか、それともやっぱりうちのばーちゃんだからか、普段の自分なら「どうせただの迷信だろ」と思ってしまうようなそんな話しも、この時ばかりは思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。何だか自分にまで見えない力がかかっているような気がして。

 そんなことを思いながら眉間に皺を寄せていると、不意にばーちゃんが俺の方を見てきた。


「ところで直人や、まさかとは思うがお前さん結鈴神社で悪さなんてしてないだろうね?」


「えッ⁉︎」

 

 もうほとんど「げッ」に近い声だった。まさかの不意打ち。そのせいか、ばーちゃんだけでなく隣にいる姉までもが俺の顔を見て目を細めてきた。


「あんたもしかして、何かやらかしたの?」


「す、するわけねーだろ! 俺はただあの神社で……」


 ……鈴を千切りました。


 なんてことは口が裂けても絶対に言えない。もしもそんなことを言ってしまったら、俺は本当にばーちゃんに口を裂かれてしまう!

 なーんにもしてないって! と先ほど以上に両手と首をブンブンと振れば、「怪しいわね……」と姉はさらに目を細めてきたが、それ以上は何も言ってこなかった。

 ギリギリ助かった、と安堵の息を小さく漏らすと、再びばーちゃんの声が聞こえてくる。


「結鈴神社の神様が結んでくれるのは、ただのご縁なんかではない。そんな神聖な場所で悪さなんてしてしまうと……末代まで呪われることになるから気をつけなよ」

 

 そう言って何故か不気味な笑い声を漏らすばーちゃんに、俺は思わずブルリと肩を震わせる。おいおい、さっきまでの昔話モードはどうしたんだよ……

 怖がる自分とは対照的に、相変わらず興味津々の姉は恐れ知らずにもばーちゃんの話しをさらに促す。


「ねえおばーちゃん、結鈴神社の神様は何を結んでくれる神様なの?」


「知りたいか?」

 

 あえて低い声で問いかけてくるばーちゃんに、俺たち兄弟はゴクリと唾を飲み込むと、ゆっくりと頷いた。

 するとばーちゃんは深く息を吸ってから、厳かな口調でこう言った。


「結鈴の神様が結んでくれるものは、私たち人間にとって最も大切なもの……すなわち、『たましい』だよ」

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