第7話 もう一つの縁結び

「うわーッ、これじゃあディズニーランドじゃん!」

 

 目的の神社まで訪れるや否や、芽美が開口一番にそう言った。目の前には人、人、人の行列。神社の入り口にある受付からもの凄い数の人たちが並んでいた。


「確かに……」


 普段なら芽美のオーバーな表現にツッコミを入れる私も、さすがに今回ばかりは同感してしまった。いくら縁結びで有名とはいえ地元の神社だし、朝からそんなに人なんていないだろうと思っていたが、これは予想外だ。


「やっぱここの縁結びが凄いって話し、本当だったんだ!」

 

 そう言って、ぱぁっと朝顔が咲くみたいに笑顔を浮かべる芽美。そんな彼女とは反対に、人混みが苦手な私はさっそくぎこちない笑みを浮かべる。

 どれほど効果が凄いのか知らないけれど、並んでいる人たちを見ると自分たちのような若い女性が多いので、縁結びで有名というのはどうやら本当なのだろう。


「これは張り切って並ばないと!」と小走りで列の最後尾へと向かった芽美に、ちょっと待ってよと私も慌てて後を追いかける。


「うーん……アトラクションだと20分待ちってところかなぁ。ファーストパスとかあるといいのに」


 両手で双眼鏡の形を作って覗き込む芽美が、列の先頭を見つめながら言った。その視線の先を私も追ってみる。


「この感じだと中も凄そうだね……」


  意気揚々としている芽美とは反対に、私はそう呟くと小さくため息をこぼす。これだったら荷物になる鞄は家に置いといて、あとで取りに帰ったほうが良かったかもしれない。

 そんなことを一人思いながらふと足元を見た時、石畳がやけに綺麗なことに気付いた。


「なんかこの神社って最近リフォームしたらしいよ」


 私の小さな疑問に答えるかのように、ふいに芽美の言葉が聞こえた。見るとこの神社について何か調べているのか、彼女はぶつぶつと呟きながらスマホと睨めっこしている。


「そうなんだ。だからこんなに綺麗なんだね」


 神社とリフォームという言葉の掛け合わせが何だか斬新で芽美らしいなと思いつつも、私はその事には触れずに辺りを見回す。神社を囲う玉垣や、その隙間からチラリと見える本殿も、そのどれもが朝の陽光を浴びて煌びやかに見えるほど真新しくて綺麗だった。


「たぶん縁結びの人気でがっつり稼いでるんじゃない?」

 

 そう言ってニッと悪戯っぽい笑みを浮かべる芽美に、「こらこら」と私は苦笑する。


「そんなこと言ったら、縁結びの神様に見放されちゃうかもしれないよ」


「げッ、それはマズいわ! 今の嘘、嘘だから!」


 神様、嘘だからねぇ! と空に向かって声を上げる芽美に、私は思わずクスクスと肩を揺らす。どんな時にも素直で全力な彼女は、一緒にいても飽きることがない。


「ほら芽美、列が動いたよ」


 いつまでも空の神様に向かってなむなむと手を合わせている芽美の肩を突つくと、私たちはようやく動き始めた列を進んでいく。受付で入場料を払って、立派な門をくぐると、案の定中も参拝で訪れた人たちで溢れ返っていた。


「げッ、爆混みじゃん!」


 境内に足を踏みれた瞬間、芽美がうげぇーと声を漏らす。


「ほんとにディズニーランドみたいだね……」

 

 溢れかえる人混みを見て、私も思わず芽美と同じことを呟いてしまう。が、実はまだディズニーランドもシーにも行ったことがないのだけれど。


――だったらいつか綾音も連れて行ってやろうか?

 

 まだ小学生の頃、私がそんな話しをした時に篠崎先輩が言ってくれた言葉をふと思い出してしまい慌てて首を振った。


 ああもう、こんな時に変なこと思い出さないでよ私……


「はぁ」と思わずため息をつくと、隣を歩いている芽美が突然私の右肩を叩いてきた。


「ほら綾音! あそこだよあそこ!」


 キャッキャっと嬉しそうに声を発する芽美が指差す先には、まるで太陽みたいに鮮やかな朱色をした大きな鳥居の姿。そしてその先には、山の斜面を背にしてこちらを向いている立派な拝殿も見える。その手前に溢れかえっている人たちは、男性よりも圧倒的に女性の方が多い。


「早くあそこのお賽銭箱に行ってお願いしようよ!」


「ちょっと芽美、そんなにはしゃいでたら……」


 迷子になるよと言葉を続けようとした時、今度は彼女の左手が私の右手をがしっと力強く掴んだ。

「え?」ときょとんする自分をよそに、芽美は私の方を見てニヤリと笑うと、「レッツゴー!」と言って勢いよく拝殿へと向かって行く。


「ちょっ、芽美! 待ってよ、待って……」


 グイグイと私を目的地に連れて行こうとする友人。そのせいで通り過ぎる人たちに参考書がたっぷりと入った重たい鞄がぶつかってしまい、背中の冷や汗が止まらない。


「さすがにここからは並ばないといけないかぁ」


 お賽銭箱の前で激しく混み合う群集に近づくと、芽美はやっとその足を止めた。それにつられて私も立ち止まると、両手を膝につけて大きくため息を吐き出す。


「あれ、綾音なんか疲れてない? 大丈夫?」


「う、うん……大丈夫」


 ぎこちない口調でそう答えるも、「ちょっと休まない?」という視線を相手に送るが、一人盛り上がっている彼女が気付くはずもなく、キョロキョロと人混みの中に抜け道を探している。


 芽美って、ほんと元気だな……

 

 思わず同い年で同じクラスの女の子に対して、何だかおばあちゃんじみたことを心の中で呟いてしまう。

 私も芽美みたいにもっと活発で明るい女の子だったらもしかしたら先輩と……と、またも余計なことを考えてしまいそうになって首を小さく振った時、ふと視界の隅に何かが映った。


「すっごく立派な木……」


 ぼそりと無意識にそんなことを呟いた私の視線の先には、とても大きくて雄々しい巨木が一本立っていた。この神社の御神木だ。

 高さはゆうに10メートルは越えており、まるで扇を開いたように伸びている枝はどれも太くて、長い歳月をかけて育ったことが一目でわかる。


「すっごーッ! こんなおっきな木、見たことないよ!」


 抜け道を探すのを諦めたのか、いつの間にか私の隣に並んでいた芽美も、同じように御神木を見上げながら声を上げた。


「なんか歴史を感じるね」


 一歩前に出た私は、天に向かってどこまでも伸びようとする太い枝を見上げながら言った。

 歴史ある神社というのは、さっきネットで調べていた芽美から教えてもらっていたけれど、目に映るものがどれもこれも綺麗だったのであまり実感が持てなかった。

 でも、この御神木は違う。こうやって立っているだけで、この神社が、そしてこの場所が、自分たちの想像もつかないぐらい遥か昔から存在していたことを静かに教えてくれていた。


「ひょえー! 樹齢800年だって、マジ神さまじゃん!」


「そんなに生きてるの⁉︎」

 

 立て札の前で驚いた表情を浮かべている芽美に向かって、私も思わず感嘆の声を漏らす。樹齢800年……うん、やっぱり想像つかない。


「今から800年前となると……戦国? 戦国時代?」


「違うよ、戦国時代はもっと後。800年前は鎌倉時代でしょ」

 

 私がわざと呆れた口調でそう言うと、「だよねー」と芽美があははと笑って誤魔化す。そして逃げるようにすぐに話題を変えてきた。


「ね、綾音! この木に触ったらご利益があるんだって。先にこっちで願い事していこうよ」


「え? 向こうは並ばなくていいの?」


 芽美の提案に、私はチラリと拝殿の方を見る。


「いーからいーから! お願いできるものは何でもしとかないと」


 ね? と屈託のない笑顔を浮かべた彼女は、まるで動物がマーキングするみたいにペタペタと御神木に触り始めた。

 そんなに触ったら逆にご利益が逃げちゃうんじゃないかなと私は苦笑いを浮かべつつ、そっと右腕を上げる。そして、恐る恐る神木へと手を伸ばす。ぴたりと触れた指先からは、目の前の老樹がたしかに生きていることを伝えるかのように、じんわりと温もりが伝わってくる。

 その不思議な温かさと包み込まれるような安心感に自然と瞼が閉じそうになった時、突然真横から芽美の声が聞こえてきた。


「綾音はほんとに謙虚だなー、そんな触り方だったらお願い叶わないって。もっとこうしっかり願わないと、一生幸薄女になっちゃうよ」


「幸薄……」

 

 その言葉にムッとした私は、芽美の方を見ると目を細めた。すると彼女のすぐ真上、まるで拝殿を案内するかのように御神木の一番太い枝が伸びていることに気付いた。私はその枝に向かって両腕を伸ばすと、彼女に見せつけるかのように両手をピッタリと合わせる。


「神さま神さま! どうか私が立派な薬剤師になって、大切な人たちを助けることができますよーに」


 そう力強く願い事を口にした私は、「私だってやればできるんだから!」と言わんばかりの顔を芽美への向ける。すると彼女も私の勢いに驚いたのか、大きな瞳を何度もパチクリとさせた。


「あ、あのさ綾音……」


「何?」


「願い事って、人に言ったら叶わないんじゃなかったっけ?」


「…………」


 不意を突かれた言葉に、私は思わず「あっ」と声を漏らして顔を熱くする。それを見て我慢できなくなったのか、芽美がぷっと吹き出した。


「綾音ってしっかりしてるけど、たまにそういう天然なところあるよね」


 可愛い、とまるでペットにでも言うように言葉を付け足す芽美に、私はまたもムッと頬を膨らませるも、間違ってしまったのは自分の方なので反論することはできない。

 代わりにくるりと芽美に背を向けると、拝殿の方へと向かってスタスタと先に歩き始める。


「ごめんごめん! 私は綾音のお願い事なんて何も聞いてませんよー」


 あははと愉快そうな声を漏らしながら、芽美は小走りで私の隣までやってくる。ニヤニヤとした笑みを浮かべる彼女に向かって、私は恥ずかしさを誤魔化すようにふいっと顔を逸らした。

 そんなプチハプニングもありながら、私たちは拝殿の前に集まる人だかりに混ざると、入り口で待っていた時と同じくらいの時間をかけて、ようやくお賽銭箱の前まで辿り着く。


「よしッ、やっとこの瞬間がきた!」


 並び疲れた私と違って相変わらず元気な芽美はそう言うと、昨夜一生懸命になって磨いたというピカピカの五円玉を財布の中から取り出す。


「え? なんで3枚もあるの?」


 同じように財布から小銭を取り出そうとした時、ふと芽美の手元を見て私は言った。すると彼女は何故かえっへんと胸を反らす。


「だってこの方が願い事叶いそうじゃない? 十五円で『じゅーぶん御縁がありますように』って」


「……」


 凄い執念だ。って、こんなにも貪欲さをアピールしてしまうと、さすがの神さまも引いてしまうのではないだろうか?


 そんな私の心配をよそに、芽美は磨き上げた五円玉をぎゅっと握りしめると、さらに念を込めている。


「よーし、これでいっちょぶっとい縁結んでやるか!」


「ねえ……その気合いの入れ方、ちょっとおかしくない?」


 あまりにやる気満々の友人の姿に私はぷっと吹き出してしまい、その拍子に握っていた五円玉が手から滑り落ちてしまう。

「あッ」と声を上げて慌ててキャッチしようとしたが、指先に当たっただけの五円玉は、何の心の準備も出来ていないままお賽銭箱の中へと吸い込まれるように入ってしまった。


「ヤバい綾音! 早くお願い事しないと」


「え、ちょっ、ちょっと待って……」

 

 芽美は私の言葉を遮るようにお賽銭箱の中へと五円玉を放り投げると、鈴紐を揺らしてカランカランと軽快な音を奏でた。それに急かされるようにして私は慌ててパンと手を合わせると目を瞑る。


 えーと……私の……私の願いは……


 縁結びが目的でやってきたので素直に篠崎先輩とのことをお願いすればいいだけなのに、「先輩には彼女がいるし」とか「向こうはそんな目で見てないかも」とかここにきて余計な感情が邪魔をしてきてなかなかお願いすることができない。

 チラッと薄目を開けて隣を見れば、さすが準備バッチリなだけあり、芽美は授業中でも見せたことのないような真剣な表情でお願い事をしている。

 それを見て余計に焦ってしまった私は、再びぎゅっと瞼を閉じると咄嗟に頭に浮かんだ言葉をそのまま心の中で唱えた。


 縁結びの神様! どうか私にとって運命の人がすぐに現れてくれますよーに!

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