第6話 待ち合わせ
翌日の朝は、雲一つない快晴だった。
今朝メッセージを送ってきた芽美いわく、こういう日は絶好の『
私は学校近くにあるコンビニの前で、今にもはちきれんばかりに膨らんだ鞄を両手で持ちながら彼女がやってくるのを待っていた。スマホの画面を見ると、時刻は現在10時10分。言い出しっぺの芽美の方が10分遅刻している。
「綾音ごめーん!」
ちょうど芽美にメッセージを送ろうとラインのアプリを開いた時、前方から聞き慣れた声が聞こえてきた。その声につられて顔を上げると、息を切らしながら走ってくる芽美の姿が見える。
「もう、10時に待ち合わせって芽美が言ったんだよ?」
「ごめん、ちょっと準備に手間取っちゃって」
駆け寄ってくるなりてへっと愛嬌のある笑顔を浮かべて誤魔化そうとする芽美に、私はわざとらしくほっぺを膨らませる。よく見ると普段はゆるやかウェーブの彼女の髪が、今日はクルクルと綺麗に巻かれているので、準備に手間取ったというのは本当なのだろう。
「さては芽美……今日拓真くんと会うつもりでしょ?」
「えッ! なんでわかったの?」
私の言葉に顔を真っ赤にして両手で口元を隠す芽美。そんな彼女を見てしまうと、遅刻してきたこともどうでも良く思えてきて、ついぷっと吹き出してしまう。
「そりゃわかるよ。そんなに気合いバッチリだったら」
クスクスと笑いながら私がそう言うと、今度は芽美がほっぺを膨らませる。
「だってアイツが昨日急に『明日部活終わったら暇なんだけど飯でも行くか?』ってメッセージ送ってくるんだもん。私が誘った時なんていーっつも忙しいって言ってくるくせに」
そう言って昨日のやり取りでも思い出しているのか、芽美はふんとわざとらしく腕を組んだ。けれどもその表情は文句を言いながらも明らかに嬉しそうだ。
「そんなこと言ってほんとは拓真くんに誘われて嬉しいくせに」
「ま、まあそれはそうだけど……」
急に小声になった芽美は恥ずかしそうにふいっと私から視線を逸らす。いつもなら自分のほうがよくからかわれているから、なんだかちょっぴり勝った気分。
すると照れ隠しのつもりなのか、芽美はキリッした目つきでこちらを見てきたかと思うとすぐに話題を変えた。
「って私のことよりも、今日は綾音が
「気合いって言われても……縁結びに行くだけだし」
私はそう言うと、篠崎先輩の名前を聞いてチクリとした胸を隠すように、よいしょと両手で持っていた鞄を左肩に掛ける。同級生の拓真くんと順調に恋路が進んでいる芽美とは違って、私の場合は縁結びだけではカバーしきれないほど前途多難なのだ。
そんはことを思いながら「はあ」と小さくため息をついた時、ふと芽美が不思議そうな声を漏らす。
「ねえ綾音、その鞄何入ってるの? すっごいパンパンだけど」
「ああこれ? 今日の講座で使う参考書だよ」
ほら、と言ってチラリと鞄の中身を芽美に見せると、彼女はすぐに「うげッ」と嫌そうな顔をした。
「やめてやめてやめて! 休みの日まで『数Ⅱ』とか『世界史』の言葉なんて見たくない!」
そう言って芽美は大袈裟なほど両手を顔の前でブンブンと振る。そんな彼女の姿を見て、私はついクスクスと笑ってしまう。
「芽美ってほんと勉強嫌いだよね。この前も『私に教科書は必要ないんだ!』って言って置き勉してたし」
「そりゃそうでしょ! 何が悲しくて休みの日まで教科書持ち歩かないといけないのさ。勉強好きな芽美のほうが変なんだよ」
「私だって別に勉強は好きじゃないよ。ただ……」
そこで一呼吸置いてから再び口を開いた瞬間、今度は自分の声と芽美の声が綺麗に重なる。
「どうしても薬剤師になりたいから」
互いに同じ言葉を口にした直後、バチリと芽美と目が合ってしまい、私は何となく恥ずかしくなって視線を逸らした。すると視界の隅で彼女がはあと大きくため息を漏らすのが見える。
「綾音のそーゆーとこほんとに凄いと思うよ。私なんて明日の進路でさえさっぱりわからないのに」
「べつに凄くなんてないよ。それに芽美の場合はわからないんじゃなくてただ考えたくないだけでしょ」
「いやいやいや、私だけじゃないって。この時期にちゃんと自分の進路のこと考えてるのって綾音ぐらいじゃない? あ、あと同じクラスの松下か。アイツ、家が漁業やってるかやって『俺は世界一の漁師になる!』って授業中に叫んではいっつも先生に怒られてるもんね」
そう言って芽美はその時の光景でも思い出しているのか、目を細めてクスクスと笑っていた。そんな彼女につられて、私もふっと口元を綻ばす。
確かに、別に進学校でもないうちの高校で、こんな時期から進路を決めている生徒はほとんどいないと思う。私自身、一年前はまさか自分がこんな道を志すことになるなんてまったく思っていなかったのだから。そう、あんなことが起こらなければ……
「それだけ綾音が薬剤師になりたい気持ちは本気ってことか」
不意に芽美の声が鼓膜を揺らし、私はハッと我に戻る。そして「うん」と静かに頷いた。
「お父さんとの約束だったからね」
私がいつも通りの口調でそう答えると、何故か芽美の唇が一瞬止まった。そして彼女はその長い睫毛をそっと伏せる。
「なんか……ごめん」
「え?」
私がきょとんとした顔をして聞き返すと、芽美は申し訳なさそうな表情を浮かべたまま言葉を続けた。
「その……嫌なこと思い出させちゃったかなって思って」
「……」
彼女らしくない元気のない声に、芽美が本当に心配してくれているのがすぐにわかった。そんな芽美の姿を見ていると何だか自分の方が申し訳なく思ってしまい、私は慌てて口を開く。
「もう、芽美は気にし過ぎなんだって。今日は私だけじゃなくて芽美と拓真くんの縁も結びに行くんだから、ちゃんと気合い入れなきゃダメだよ」
彼女の言葉を借りて同じことを言った私は、「えいッ」と芽美のほっぺを人差し指で突いた。するとおどけた効果があったのか、芽美の表情を覆っていた影がすっと消えていく。
「そうだよね! そのためにメイクだってバッチリしてきたんだから」
そう言っていつも通りの笑顔を浮かべる友人の姿を見て、私もクスリと微笑む。やっぱり芽美には暗い顔なんて似合わないや。
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