第5話 彼女の日常
「ね、
放課後を告げるチャイムが鳴るやいなや、私の一つ前に座る
「いやそのー、明日はちょっと……」
予備校が、の「よ」の字を口にした瞬間、勘の鋭い芽美が先に先手を取ってくる。
「まさか、『予備校がある』なんて言わないよね?」
「げッ」
図星を突かれてしまい、思わず口端がヒクっと吊り上がってしまった。するとそんな私を見て、芽美が不服そうに目を細める。
「えー、綾音この前土曜日は予備校ないって言ってたじゃん!」
「ごめん芽美……明日は受験対策の特別講座がやってて、それをどうしても受けたくてさ」
だからゴメン! とパンと手を合わせて小さく頭を下げる私に、「もう」と友人は呆れたようにため息を漏らす。
「あーあ、せっかく駅前に新しくできたモールに一緒に行こうと思ったのに……。しかもあそこ、綾音が好きな苺のパンケーキのお店もできたらしいよ」
「ほんとに⁉︎」
芽美の言葉に目を輝かせてしまった瞬間、同時にぐぅとお腹から小さな音が聞こえてしまい、私は恥ずかしくなって思わず顔を伏せる。すると伏せた頭の向こうから、クスクスと芽美の笑い声が聞こえてくる。
「綾音ってほんとに食べること好きだよね。なのにそんなに細くて顔も可愛いとかズルいぞ」
「ちょ、いきなり変なこと言わないでよ! それだったら芽美のほうだって……」
動揺しながら私が言葉を続けようとした時、ふと廊下の方を見た彼女が「あッ」と声を漏らした。
「
「うそッ!」
その名前を聞いた瞬間、ドクンと胸の中で太鼓が鳴った。本当は気づかないフリをしようと思ったのに、私もつられてつい廊下の方を見てしまう。
すると視線の先には男友達と楽しそうに話しながら、今日も爽やかな姿で廊下を歩く先輩の姿。そして向こうも何か感じ取ったのか、ふと自分と視線が合うと、先輩は幼い頃から変わらない優しい笑顔を浮かべて右手を上げてきた。
ドキッと驚いた私は、またもぎこちない苦笑いを浮かべて慌てて会釈する。
あぁ……やっぱり切ない……
篠崎先輩の姿が見えなくなった瞬間、私は「はぁ」と大きくため息をついてコツンとおでこを机につけた。するとそんな私の心境を察した芽美が、同情するかのように口を開く。
「まあまあ、そんなに落ち込まなくてもまだこれから何かあるかもしれないじゃん。それにほら、綾音の方が篠崎先輩と付き合い長いんだし」
「まぁそうだけど……」
と、言いつつ私はまたもため息を吐き出してしまう。そう、こんな私を見てわかるように、さっき廊下を歩いていた篠崎先輩は近所に住んでいる幼なじみで、私の初恋の人なのだ。
幼い頃から面倒見が良かった先輩は、両親が共働きだった私の面倒もよく見てくれていた。近くの公園で一緒に遊んでくれたり家で勉強を教えてくれたりと、今考えたら赤面してしまうようなこともたくさんあったけれど、近所の人たちからはいつも「兄妹みたいね」と言われるほど仲が良かったのだ。
そんな先輩のことを小学生になったばかりの私は呑気に「優しいおにーちゃんだなー」ぐらいにしか思っていなかったのに、学年が上がるにつれて何故か一緒にいるだけでドキドキするようになってしまい、中学生になった頃にはそんな感情は『恋心』へと姿を変えていた。
だから偶然……ではなくちょっと意図したところもあったのだけれど、篠崎先輩と同じ高校に入学が決まった時は本当に嬉しかった。小中とずっと同じ学校に通っていた私は、今度はついに同じ高校の制服を着て篠崎先輩の隣を歩けるのだと。
そして、ずっと胸に秘めていたこの気持ちを今度こそ伝えるのだと。そう……そう思っていたのに……
「まあでも二年も付き合ってる彼女がいたら、ちょっとハードル高いけどね」
グサリ。
そんな音が本当に聞こえてきそうなほど、芽美の言葉を聞いて私の心が悲鳴を上げた。それが思いっきり顔に出てしまっていたのか、「あ……」と芽美が非常に気まずそうな表情を浮かべる。
「もう……芽美は誰の味方なのさぁ」
「あはは……ごめんごめん。そんなつもりで言ったわけじゃないんだけど」
そう言ってぎこちない笑みを浮かべる芽美に、私はぷくぅと頬を膨らませる。すると突然芽美が、「あッ」とまたも声を発した。
「そうだ綾音! 一緒に『
「え? 神社?」
まったく予想していなかった話題に、私は思わず睫毛をパチクリとさせる。
「そう! この近くにあるらしいんだけど、『縁結び』の神社ですっごい有名なんだって」
「縁結び……」
私は無意識に芽美の口から出たキーワードをぼそりと呟く。縁結びで有名……ということは、もしかしたら篠崎先輩と……。
思わずそんなことを考えてしまいそうになり、私は慌てて首を振った。いくら先輩に彼女がいてアプローチできないからって、そんな神頼みに頼ってしまったら……
「いけない私」と思わず声に出して呟く自分の前では、すでにスイッチが入っているようで、芽美がうんうんと力強く頷いている。
「こうなったら神様でも仏様の力でも、使えるもんは何でも使っておかないとね! ほら言うでしょ、『仏の顔も三度まで』って」
「芽美……それ使い方間違ってるし、そんな言い方したらバチ当たっちゃいそうで怖いよ」
「あははッ、大丈夫だって! それに神様も純粋な恋心を持つ
あっけらかんとした友人はそう言ってニコリと笑う。心配性でちょっと引っ込み思案の私と違って、芽美は何に対しても積極的で夏の太陽みたいに明るい女の子なのだ。
そんなところが魅力的で私はいつも羨ましいと思うのだけれど、今回の件の本当の目的はおそらく……
「そんなこと言って……本当は芽美が
そう言うと、ギクっという音がピッタリと似合うような動きで、芽美が小さく肩を震わせた。それを見て私は思わずぷっと吹き出してしまう。
「やっぱり当たりだったか」
「……」
不意を突かれて言葉が思いつかなかったのか、芽美は「へへぇ」と思わずこちらがキュンとしてしまうような照れ笑いを浮かべる。
それを見て「あぁ、私も彼女のようにこんな可愛らしい笑顔ができればなあ」なんて密かに思っていると、そんな芽美がふとまた口を開いた。
「綾音、ちなみに明日の予備校って何時から?」
「え? 明日は14時からだけど……」
答えた瞬間私は思わず「しまった」と胸の中で呟く。マズい。この流れはもしかして……
私の不安を的中させるかのように、芽美の唇がニヤリと不敵な弧を描く。そしてその直後、逃がさないと言わんばかりの元気な声でこう言った。
「それじゃあ、朝は空いてるってことだよね⁉︎」
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