第3話 そこにあったのは…… (その1)

「ハメられた……」


 蒸し暑い空気の中、俺はそんなことをぼそりと呟いた。目の前に広がるのは、瑞々みずみずしい色をした稲の葉がどこまでも広がる田園風景。そして後ろを振り返れば、マイナスイオンがたっぷり漂っていそうな雑木林。

 ここは学校からわりと遠くない場所にある山の麓で、時刻は現在10時10分。なのに一人。そう、つまり哲也は遅刻している。


「なんで既読にならねーんだよ、あのバカっ!」


 俺はスマホに映るラインのアプリの画面を睨みながら思わずそんな言葉を毒づく。

 普段学校では遅刻も提出物忘れも滅多にしない哲也だが、意外とプライベートではルーズな一面があることを知っている。まして休日は基本昼過ぎから行動するアイツが、朝の10時に待ち合わせとか……

 ピコン、という音ともに右手に握っているスマホが震えた。哲也だ。そう思い、急いで画面を見た俺は、そこに表示されているメッセージを見て思わず絶句する。


「……『今起きた』って、フザけんなよッ!」

 

 カァっ! と俺の声に驚いたカラスが後ろの木から勢いよく飛び去った。その音に俺もビビって、「うおッ」と思わずビクつく。


「驚かすなよバカラス……」

 

 遠くに飛び去っていくカラスを今にも打ち落とさんばかりの気迫で睨みつけていた俺は、しばらくしてその視線を背後の茂みの方へと向ける。そしてその一箇所に見える奇妙な部分を凝視する。


「……」

 

 俺の視線の先、距離にして2メートルほど離れた茂みの足元を見ると、そこはぱっくりと口を開けていて、どこに続いているのかまったくわからない石畳の階段がチラリと見えている。哲也が待ち合わせ場所の目印として教えてきたものだ。


「何でこんなところに階段なんてあるんだよ……」

 

 俺はそんなことを呟くと階段の真正面まで近づき、その上を見上げた。が、石畳の階段を上がっていく視線は鬱蒼うっそうと生い茂っている草木のせいですぐに遮られてしまう。

 最初哲也からこの階段が待ち合わせの目印だとラインのメッセージで連絡がきた時は、「コイツぜったい俺のことからかってるだろ」と本気で疑ってしまった。

 なんせ一緒に送られてきたこの場所を示した地図アプリのURLを開いてみたら、山しか表示されていないし、神社のマークなんてどこにもなかったからだ。

 ただでさえど田舎のこの町で、そんな有名な神社があればすぐに噂なんて広がるだろうし、数少ない観光名所の一つとなって賑わっているはずだ。だから半信半疑どころかほぼ疑いしか抱かずここまでやってきたつもりだったのだが……

 不気味に来訪者を待ち構えるその石畳の階段をもう一度まじまじと見て、俺は思わずゴクリと唾を飲み込む。

 幽霊なんて信じちゃいないし、ましてや妖怪とか化け物とかそんな存在も信じていない。しかしそんな俺でさえも、混沌へと続いていそうな石畳の階段を見ていると、得体の知れない何かが出てきそうな気がして一瞬身震いしてしまう。


「……まさか地縛霊と縁が結ばれたりしないよな」

 

 不安と恐怖のせいで、思わずそんなことを一人呟く。

 本当にこの先に神社があって縁結びを行ったとしても、こんな場所に建っているような神社ならヤバいヤツと結ばれてもおかしくはない。ましてフラれて心が弱っている今の俺なら、その心の隙間を狙って魑魅魍魎が集まってく……


「いや……そんなことはない。神社もあるわけない。絶対ない!」


 俺は恐怖を誤魔化すように、そんな言葉を力強く連呼する。そして無意識に家路の方へと向きかけていたつま先をもう一度石畳の階段の方へと向けると、大きく深呼吸をした。

 哲也にドタキャンされたどころか、「お前ビビって登らなかったんだろ?」とか後から言われるのも癪だ。だったらここは噂の根拠を確かめて、「神社なんてねーじゃねえかバーカ」とか逆に言ってやりたい。

 それに……このまま確かめもせずに中途半端なまま帰ってしまうと、何だか夢にまで出てきそうでちょっと怖い。


「よし……」


 暑さが理由とは違うじとりと滲み始めた額の汗を右手の甲で拭うと、俺は勇敢な一歩を踏み出した。

 苔や落ち葉まみれになっているその階段に右足をつけた時、心なしか、ほんの一瞬周囲の空気が変わったような気がした。たぶん俺の一歩が日陰に入ったからだろう。そう、きっとそうだ。たぶん……

「やっぱ帰ろうかな」と弱気な声が漏れそうになったが、どうせ誰も見ていないので本当にヤバくなったら帰ればいいだけ。逃げればいいだけだ。

 そう思い、覚悟を決めるためにゴクリと唾を飲み込むと今度は左足で二段目に登る。が、すぐに目の前には生い茂った草木が迫ってきていた。


「……」


 何でこんな育ってんだよ、と心の中で毒づくも、こればっかりは文句を言ったところで退いてくれるわけもないので、俺は仕方なく両手で枝葉をかきわけていく。これじゃあこの前俺の告白を茂みの中からじっと観察していた哲也と一緒じゃねーか。

 そんなどうでもいいことを無理やり考えて、俺は徐々に大きくなっていく不安を誤魔化そうとした。

 茂みをかきわけて中に入るとすぐにまた開かれた空間になっていて、石畳の階段がちゃんと続いていることが確認できた。……が、その先にはまた茂み。どうやらこんな感じでこの先も続いていきそうな予感がする。

 最初の茂みの関門を乗り越えてしまったので戻るのも面倒だと思った俺は、仕方なく誘われるようにゆっくりと階段を上っていく。そしてまた茂みをかきわけて……、みたいなことを何度か繰り返した。


「この階段……一体どこまで続いてんだよ」

 

 大自然の洗礼なのか、それともただ俺の邪魔をしたいだけなのかわからないような試練を繰り返す途中で、俺は苛立ちながらそんな言葉を漏らした。『標高』だなんて表現するにはおこがましいほどの距離しかまだ登っていないけれど、道が道なだけに、すでに千メートルは突破した気分だ。

 次また同じ光景が出てきたら引き返そう。と、そんなことを思いながら、俺は目の前にある一際大きな茂みの中へとガサゴソと入っていく。知らぬ間に切ったようで人差し指の先端からは血が出てるし、服も靴も葉っぱや土で汚れている。

 あーやっぱ登るんじゃなかったとひしひしと後悔の念がこみ上げてきた時、不意に今までとは違う形で視界が開けた。


「なんだ……ここ?」


 目の前に現れたのは石畳は石畳でも階段ではなく、真っ直ぐに伸びている道だった。そしてその先を目で辿っていくと、山の中とは思えないほどの開かれた空間と、さらに奥には……


「……神社だ」

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