第2話 急な提案

「ごめんなさい!」

 

 どこまでも突き抜ける夏空の下、同じように澄み切ったような声で俺はたった今、謝罪された。自分たち以外誰もいない校舎の裏で目の前にいるのは、最近切ったばかりだというミディアムヘアをふわりと揺らして頭を下げる人物。

 彼女の名前は、みなみ沙織さおり

 俺が今日まで想いを寄せてきた、学年が一つ下の女の子だ。


「いや……その……」

 

 と、咄嗟に口を開いてみたものの、続く言葉が思い浮かばず、俺は「ハハっ」と魂が抜け落ちたような乾いた笑い声を漏らす。いやたぶん、本当に魂が抜け落ちちゃってるよこれ……ハハっ。

 そんなことを思って痛む心を少しでも誤魔化そうとしていると、目の前にいる相手はくるりと背を向けて、何も言わず俺の顔も見ず、校舎の入り口に向かって逃げるように走り出した。

 そう、俺こと三島みしま直人なおとはたった今……フラれたのだ。


「…………」


 小さくなっていく彼女の背中をただ無言で見届けていると、それを追うようにして俺と彼女の思い出も遠のいていく。人は死ぬ直前に走馬灯が見えるって話しだけれど、別に死ななくたって見えることがわかった瞬間だった。

 ハイスピードで回想されてはモノクロになっていくそんな思い出たちの中に一人浸かって傷心していると、近くの茂みが怪しげにガサゴソと動いた。そしてその直後、枝葉をかきわけながら中から二本足で立つ生き物がぬっと現れる。熊じゃない……友人の斎藤さいとう哲也てつやだ。


「どうだった?」

 

 眼鏡の奥の目を輝かせながら失恋したばかりの俺にそんな言葉を添えてくる友人に、俺は苦虫を噛んだようなしぶーい顔を向ける。そしてすぐに首を小さく横に振る。すると哲也が驚いたように目を見開いた。


「マジかよ⁉︎ だってお前この前二人っきりでデートに行ったって……」


 はしゃいでたじゃん! と何の悪気もなく心の傷口に塩を塗ってくる友人に、俺は盛大にため息を吐き出すと顔を伏せた。そうだ……あの時の俺は愚かにも、まだあの子と付き合えると思っていたのだ。

 何ならそれがきっかけで始まるであろうあんなことやこんなことを毎晩妄想しては一人盛り上がっていたのだ。

 クソ……あの時の俺を、今は全力で撃ち殺してやりたい。

 そんな自分に対する苛立ちを感じつつも、どうやらフラれたショックの方がデカすぎるようで、洪水に飲み込まれていくかのように心が悲しみに飲み込まれていく。

 けれど、さすがにこの告白作戦を一緒に企てて協力してくれた友人の前で泣くわけにもいかないので、俺は涙の代わりに言葉を漏らす。


「いいんだよ……どーせ俺なんていっつもフラれる運命で、一生彼女なんてできねー寂しい奴なんだよ」


「…………」


 おいちょっとそこ無言になるなよ。何かフォローしてくれよ。マジで生涯独り身になりそーで怖いだろ!

 ピクリとも眉を動かさず哀れみの目を向けてくる哲也に、俺は同じく目線だけでそんなSOSを訴える。すると相手はやっと友人として慰めの言葉を思いついたのか、おずおずとした様子で唇を動かす。


「ま、まあ……たぶん、これも一つの人生経験ってことできっと……」


「……」

 

 きっと、何だよ。そこで止めんなよ。その先がすげー気になるだろ。

 俺はそんな不満も視線に滲ませつつ、言葉の続きを促すようにじーっと友人の顔を見つめた。  

 すると気まずくなった相手は逃げるように徐々に視線をスライドさせていく。……が、その途中で何か思いついたのか、「あっ」と哲也が突然声を上げた。


「そうだ直人! こういう時はあれだあれ、『縁結えんむすび』だ!」


「…………は?」

 

唐突過ぎる哲也の発言に、俺は一瞬フリーズしてしまう。そして今度は訝しむ目で相手の顔を睨んだ。


「……なんだよ縁結びって」


「え、直人お前……縁結びも知らないのか?」


「バカそういう意味じゃなくて、なんで俺がそんなことしないといけないんだよ」


 フラれたばっかだぞ、と自分で付け足した直後、今度は己の言葉が刃となってグサリと胸に突き刺さる。ダメだ……これは当分の間この傷は癒えないだろう。

 そんなことを思いながら、「うぅ」と痛む胸をさりげなく右手で押さえて隠す自分とは反対に、なぜか哲也は少し興奮気味に話しを続ける。


「それがこの前部活の女の子たちが話してたんだけどさ、何でもこの辺りに超有名な縁結びの神社があるらしいって話しだぞ! すっげー効果抜群らしくて、どんな縁もバンバンくっつくんだとか」


「……」

 

 胡散くさ。ってか何だよその瞬間接着剤みたいな縁結び神社。ずっとこの辺りに住んでるけど聞いたことねーぞ。だいたい『縁』とか『運命』とかそういう目に見えないものが一番怪しいし、信じられねーんだよな。そんなんで彼女できて幸せになれるんだったら、今頃どこの神社もラーメン屋みたいに行列ができてるっつーの。

 そんな捻くれたことを思いながら眉間に皺を寄せていると、それでもさらに哲也は説得を続けてくる。


「それに今回のことで沙織ちゃんはお前の気持ちを知ったわけだし、もしかしたらこれがきっかけで心変わりするかもしれないだろ。その験担ぎってことでもちょうど良くないか?」


「いやだから……俺はもういいって。べつにそこまでして付き合いたいわけじゃ……」


  ……付き合いたい、めっちゃ付き合いたい! いやもう最悪付き合えなくてもいいから、せめて……せめてフラれる前の関係には戻りたい。

 けど、もう無理だろうなぁ。と、逃げるように去っていった南さんの後ろ姿を思い浮かべながら俺は思わずため息をつく。

 ただでさえ女子と話すことが極度に苦手なこの俺が、自分をフッた女の子と今まで通り話せるような度胸も勇気もあるわけない。

 まして向こうからすれば、フッてしまった相手が一つ上の先輩なのだから、余計気まずく思っているはずだ……って俺、後輩の子にフラれちゃったんだよな。情けないよな。

「はぁぁ」と今日一番のため息を吐き出して頭を抱えていたら、哲也がポンと俺の両肩に手を置いてきた。


「まあそんなに絶望するのはまだ早いって。こっから縁結びの神様と手を組んで起死回生を狙うんだろ? ってことで明日は10時集合ってことで」


「は? 何勝手に決めてんだよ。それにお前明日って、土曜で学校休みだぞ」

 

 バカなこと言うなよといわんばかりに目を細めれば、相手は何故かきょとんとした表情を浮かべる。


「だからいいんだって。だってよく考えろよ直人、放課後に男二人で縁結びに行くなんて笑いのネタか罰ゲームだろ?」


「…………」


 だったら休みの日でも一緒だろ、とすぐさまツッコミを入れようとしたが、「ヤバいッ」と急に焦った顔をした哲也の方が先に口を開く。


「いっけねー、もう部活のミーティング始まる時間じゃん! 橋本部長怒ると怖いから早く戻らないと」


 それじゃッ、と哲也はビシッと右手を立てると、俺の話しは一切聞かずに背を向けて、急いで校舎の方へと走っていく。そんな後ろ姿を、俺はまた黙ったまま呆然と見つめていた。どうやら今日は、俺に難題だけ残して去っていく人たちが多いようだ。

 なんてことを思いながら「誰が行くかよ」とぼそりと呟いた時、偶然かそれとも相当な地獄耳なのか、ピタリと足を止めた哲也がこちらを振り返ってきた。そして、「絶対こいよ!」と笑顔で余計な一言だけ言い残していくと、校舎の中へと颯爽と入って行った。

 おそらく今頃、南さんも参加しているであろう部活のミーティングに向かって。

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