第39話 作戦会議3

 下手な乱闘騒ぎよりも凄まじい武勇伝だった。倉本という人間の執念深さと知性を、まじまじと突きつけられたような気がした。

 同時に、ふとあることに気付いた。倉本がそれほどに優秀なディーラーならば、経済の動向にも精通していたはずだ。ならばかつてのバブル崩壊も、随分前から読んでいたのではないだろうか。そうであれば、佐伯の父親が窮地に追い込まれるよう細工をすることも可能だったかもしれない。夜逃げに至るまでの過程で、倉本の影がどこかに潜んでいたのではないだろうか。

 呆然とする僕に、坂田さんが言った。

「これが倉本という男です。かなり厄介な男ですよ。やる事全て、正しいかどうかは別として、鉄筋を数本束ねたように強固な筋が通っています。粗暴なように見えて、一度狙いを定めたら、周到に考え抜いた手段を用意して相手を屈伏させる」

 恐怖さえ感じている僕の横で、井上が冗談を言うように言った。

「まるで坂田さんみたいですね。二人が対決したら、どうなるんだろう」

「僕なんか全然だめですよ」

 坂田さんが笑い、井上もつられて笑う。

 恐れおののく自分がまるで馬鹿のように、二人は倉本のことを気にしていないように見えた。

「遠藤さん、海で起こった事故の件、あなたが調べた通りでした。全ては倉本の復讐です。あのとき篠原和夫を死に追いやったメンバーの家庭は、全て経済的に追い詰められていました。家が放火で焼ける、一家の大黒柱が車で轢かれ死亡する、会社での不正を暴かれ懲戒免職になる、スキャンダルを捏造され家庭崩壊、佐伯さんと同じように借金で追い込まれた手口もありました。立ち直ろうとすると追い打ちをかけるように新たな災難が降りかかる。たまったものではありません。そして海に行った本人は路上で待ち伏せされ、何度も暴力を振るわれています。出歩けば暴力を振るわれ、次第に引きこもるようになったようです。女性は一人だけ本当のことを教えてくれましたが、レイプ被害に遭っていました。恐らく他の二人も同じでしょう。夜の店で働いている二人は地元ヤクザの女になって、仕方なく働いているようです。これらは本人たちに確認しました」

「え? 本人に会えたんですか?」

「ええ、結構苦労しましたが、ヤクザに怯えているなら力になれるといい含めて、じっくり懐柔しました」

 ほぼ事情が飲み込めた。

「それで倉本は今、どうしていますか?」

「奴の隠れ家をはっていますが、全く動きがありません。ただ倉本は、僕が動いていることに気付いているようです。倉本の組の桜木という若頭が、自分の自宅へ挨拶に来ましたよ」

 若頭は、組のナンバーツーだ。

「自宅へ?」

「ええ、どこでどうやって住所を調べたのか分かりませんが、高級和牛ステーキ肉を持ってね。つまり、僕の家族は自分たちの手の内にあるということを伝えに来たんでしょう。礼儀正しい訪問でしたよ。顔合わせに伺っただけだと言い、手土産を置き深々とお辞儀をして帰りました」

 井上は既に聞いて知っていたのか、不機嫌な顔でじっと坂田さんの言葉を聞いている。

「しかしご心配には及びません。念のため、家族は家内の実家へ移しました。あそこは要塞みたいなものですから、まず安全だと思います」

 僕はいたたまれなくなり、思わず坂田さんに詫びた。

「大変なご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

「この世界に首を突っ込むと、まあこんなこともありますよ。だからそれは気にしないで下さい」

 坂田さんは、そんなことがあっても余裕があるのか、大して気にしているふうでもなかった。

「だからこちらも倉本に挨拶しておきました。一人暮らしは不便でしょうとコメントを付けて、潜伏先のアパートへ、高級牛肉缶詰めセットを送っておきましたよ」

 そう言った坂田さんが笑い、井上もつられて笑う。

 僕はとても驚いて、笑うどころではなかった。つまりあの倉本に、こちらもあなたの居場所は分かっている、仕掛けてくるなら受けて立つと宣言したようなものだ。自分の手の届かない領域で、静かに戦いの火蓋が切って落とされているような気がした。

 倉本はローズマリーの実質オーナーだった岡本に聞いて、佐伯の件に警察中央幹部や一円連合の関わりがあることを既に知っているのかもしれない。そんなコネばかりを使い、姑息な腰抜け野郎だと思われているのだろうか。いずれにしてもそういったこちらの動きが、倉本をますます刺激している可能性がある。

「おそらく奴は、色々調べて作戦を練っている最中と思います。自分が動くべきタイミングをじっくり見定めながらね。だから油断なりません。重要なことは、遠藤さんや佐伯さんの住んでいる場所を、絶対に知られないようにすることです」

 それほど執念深く頭の切れる奴なら、こちらの住所や行動範囲を知られてしまえばお終いだろう。

 暫く坂田さんの話に耳を傾けていた井上が、そろそろ本題に入ろうと言った。これから倉本に対して、どう対応するかということだ。

 僕はここで、自分の感じていることを言っておくことにした。

「これは倉本の、篠原和夫への仕打ちに対する仇討ちです。倉本に、全面的な非があるわけではありません。もちろん心情的に、ということです。とすれば、倉本を一方的に追い詰めても、問題は解決しないような気がするんです」

 そこで井上が言った。

「遠藤、そのことは理解しているよ。ただ、倉本の心情を考慮するとしたら、これをどうやって解決する? 篠原和夫が生き返るならいいけど、それは土台無理な話だ」

「そう、篠原和夫は生き返らない。でも倉本ほど頭のいい奴なら、弟が生き返らないことは理解できているはずだよ」

 井上も坂田さんも、ここで怪訝な顔を作った。

「遠藤が何を言いたいのか、上手く理解できないけど……」

「つまり、いくら復讐してもいくらみんなが不幸になっても、篠原が生き返らないことくらい倉本はとっくに分かっているということだよ。それでも倉本は、執拗にこの件を追いかけている。おそらくそれには、別の理由があるんだ」

 僕は倉本の経歴を何度も見つめて、一つ気付いたことがあった。それを地元の知り合いに頼み確認してもらった結果を、僕は井上と坂田さんに伝えた。

 二人は僕の話を、重苦しい雰囲気で聞いた。そして今後の方針の中で、僕が調べた件をどう扱うか、判断しかねているようだ。

 暫く沈黙が続いた。その沈黙を、坂田さんが破った。

「分かりました。ではこうしませんか? 倉本は既に、一円連合へ喧嘩を売ろうとしています。桜木が自分の自宅へ来たことは既に我々の会長や若頭も知っていますから、一円連合は、組織として売られた喧嘩を買おうとしています。それはそれで準備を進めながら、遠藤さんが話した件を同時進行で進めませんか? この件は、喧嘩で勝ち負けをつけても確かに解決しないのかもしれません。日を決めて、倉本を今のねぐらから引きずり出します。遠藤さんの方は、どの程度かかりますか?」

 全く見当がつかなかったけれど、僕は一先ず、三週間くれるように頼んだ。

 こうして方針は決まった。

 僕は自分の提案を実現させるため、しばらく盛岡へ帰らなければならなくなる。

「井上、悪いけど、またバイトを休まなきゃならない。何とかしてくれないかな」

 井上は仕方がないじゃないかと言い、バイトの方は引き受けてくれた。金銭面は、全てを坂田さんがサポートしてくれる。自分が盛岡で動く間、倉本に近づく可能性もあるため、ボディーガードを一人つけてもらうことにもなった。

 本物のヤクザと行動を共にするのは恐ろしかったけれど、一歩間違えば危険なことも確かだ。

「ボディーガードは腕のたつ人間を選びますから、心配しないで下さい」


 盛岡へ出発する当日、どんな強面の人間が来るのか恐々とする僕の前に現れたのは、大柄で少し顔の怖い女性だった。

 佐伯も一緒だったのには驚いた。彼女は明らかに旅支度をしてそこにいる。

「どうしてここに?」

「あなたが何かを企んでいるのはお見通しよ。井上くんに頼み込んで、今日のことを聞き出したの」

 坂田さんが苦虫を噛み殺したような顔で、説明してくれる。

「詳しい事情を話したら、佐伯さんがそれは自分も行くべきだと言い出しまして。いやあ、すみません。賢治君が、遠藤さんに宜しく伝えてくれと言ってました」

 それで井上がそこにいない理由が分かった。彼は意外と姑息で気の小さなところがある。

 坂田さんがもう一人の女性の背中に手を添えて言った。

「それとこっちは貞子といって、実は私の妻なんです」

「え?」僕はまた驚いた

「事情を話したら、この件はどうしても自分が行くといってきかないものですから。佐伯さんも行くならボディーガードは女性の方がいいような気もしたので、結局彼女に行ってもらうことにしました」

 貞子さんが口を挟んだ。

「こんな若い子と一緒に旅するなんて、滅多にないチャンスだもの」

 冗談なのか何なのか、さっぱり分からなかった。明らかにその筋と思われる無口な強面も困るけれど、女性がボディーガードというのもまた、どう考えていいものか。

「貞ちゃん、そんなことを言ったら彼が怖がるじゃないか」

「あら、やっちゃん、ヤキモチ焼いているの? やだなぁ、いい歳して」

 横で佐伯がくすくすと笑っている。

 坂田さんが僕に向いて言った。

「まあこんなんですけど、腕は確かですから。その辺の男はまず敵いません。ターゲットが敵地に行ってどうするんだとは言ったんですが、こういうことは女性の方が役に立つからと」

 自分が盛岡でやろうとしていることは、確かに女性の方が助けになる。それに佐伯がいれば話しを進めやすくなる。

 こうして新幹線は、僕たちの一縷の望みを乗せて滑らかに発車した。

 ホームで手を振る坂田さんが、あっという間に小さくなった。

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