第36話 海の家の出来事

 バイトで佐伯に会っても、こちらは何事もなかったように、普段と変わらない態度で彼女に接した。

 バイトが終わり、彼女をアパートへ送り届けてから、僕は自分の部屋で坂田さんの話しを振り返る。

 坂田さんの情報は、自分にいくつかの疑問を提起させた。

 あの夏の日、そこへ出掛けたグループの中で一体何があったのか。佐伯は何かを隠しているのか。彼女は倉本の件とクラスメート自殺の件に、何らかの繋がりがあることを本当に気付いていないのか。あるいは元々、全く関係ないことなのか。

 明らかに、メンバーのその後の動向が妙だ。進学を諦めるのみならず、なぜ引きこもる必要があるのだろう。

 佐伯の水商売に入った経緯は知っている。そこに特別不自然な点はない。仕方ない状況にあったことは明白だ。

 他のメンバーも不本意ながら、背後に仕方ない状況があったのか。たまたま海水浴に行ったメンバー全員に不本意な災いが降りかかったとしたら、その偶然は神がかり的と言える。そうならそこに、何らかの作為が存在するのかもしれない。

 自分の背中に、嫌な汗が滲むような感覚があった。

 作為……。誰にも気付かれない、周到に仕組まれた罠。

 佐伯のケースは、親の借金が引き金になっている。借金のきっかけは、バブル崩壊による経済変調だ。そこに罠を仕込む余地はない。しかし、バブル終焉を倉本が随分前から予測できていたなら、じっくり何かを仕込むことは可能かもしれない。

 そこに倉本の仕込んだ罠があったとするなら、やはり倉本の恨みをかった原因を突き止める必要があるだろう。

 僕は色々考えて、高校の卒業名簿があることを思い出した。押入れの中にしまい込んだダンボールをあさってみると、分厚い青の背表紙がついた、各クラスの集合写真が掲載されている卒業アルバムが見つかった。

 手に取ると、かびの臭いが鼻をつく。その巻末に、卒業生の名前と住所、電話番号が載っている。

 それを一枚ずつめくりながら、話しを聞けそうな人間の当たりを付けた。もしかしたら気軽に話せる人間の中に、一学年で佐伯や篠原和夫と同じクラスの人間がいるかもしれない。あるいはそういった人を、紹介してもらうことも可能だろう。

 当時同じクラスにいた人間ならば、何かの噂を耳にしているだろうし、もっと詳しいことを知っているかもしれない。

 僕は坂田さんの調査と並行して、自分でも外堀を埋めることから始めてみることにした。


 翌日、早速何人かの知り合いに、電話を繋げることを試みた。盛岡の実家へ電話し、かつての同級生と言って現在の連絡先を教えてもらえば、普段やり取りのない人間に繋げるのは難しくない。

 二十人の実家に電話をし、本人と会話できたのは十四人。その中で一年のときに佐伯と同級生だったのはニ人だけだった。

 その二人に話しを聞いて、同時に当時の同級生を教えてもらうことで、最終的に八人の人間に話しを聞くことができた。いきあたりばったりの割には、まあまあの人数だ。

 僕は最初に一高出身の遠藤と名乗り、篠原和夫の事故の件を知りたくて電話をしたと、率直に用件を述べた。

 大方の反応は、どうして今頃そんなことを訊くのか、というものだった。これは当然の疑問だ。

 それに対して僕は、適当な嘘をついた。

 あの事件を洗い直している知り合いの刑事から、同期の人間の紹介を頼まれていることにしたのだ。しかし、仲間を勝手に紹介するのも気が引けるので、先ずは自分で連絡を取り、各自の了解を取りたかったと言った。

 それで相手の反応を確かめることができるし、それを切り口に事件の話しをすることもできる。

 刑事と話しをしたくない人間は、知っていることを話すから伝えておいてくれというケースもあるだろう。

 しかし話しの内容は、一部を除いて、ほとんど誰もが知っている事故死の概要だった。

 それぞれ篠原和夫と一緒に海へ行ったメンバーを覚えている限りで教えてくれたけれど、その情報を合わせると、前日坂田さんに見せてもらったリストになった。

 色々情報を聞き出して気付いたのは、どうやら篠原和夫が、佐伯のことを好きだったということだ。彼が佐伯に手紙を出してふられたと教えてくれた人間が、三人いた。

 佐伯のことが話題に出た際、いかにもついでというふうに話しを掘り下げると、彼女は夜逃げしたという話しになったから、彼らが寄せる情報もまんざらでなさそうだ。

 それらによると、当時の佐伯はクラスの人気者で、いつも周りに取り巻き連中がいたらしい。しかしそのことで、佐伯を悪く言う人間はいなかった。かつて自分の見た光景が、一学年のときにも同じようにあったということだ。

 五人目に話した藤浪芳子という女性が、少し事情らしきことを知っていた。彼女は横浜の大学へ進み、横浜市に住んでいる。直接会おうと思えば充分可能な距離だ。

 藤浪芳子は自分が遠藤と名乗ると、あのクルーザーの遠藤さん? と、僕たちのバンド名を出して愛想がよかった。しかし嘘の刑事を登場させ篠原の名前を出した途端、彼女の受け答えが慎重になった。

『どうして警察は、今頃そんなことを調べるの?』

 そう言う彼女の声には、明らかに不安の色が浮かんでいた。

「詳しいことは捜査上の秘密で言えないと言われているから、僕はよく知らないんだ。篠原は溺死だって聞いたけど、本当は違うの?」

『さあ、事故って聞いてるけど』

 歯切れが悪い。

「あのとき一緒に海へ行ったメンバーが誰か、藤浪さんは知ってる?」

『ええ、覚えているわ』

「不思議なことがあるんだけど、そのメンバー全員が、進学を断念してるんだよ。それ、知ってた?」

 僕は、野次馬根性を発揮しているように装った。

『そうなの? 知らなかった』

 藤浪は、何かを考え込むように黙り込む。僕は少しの間彼女が話し出すのを待ったけれど、そのまま電話が切れることを恐れ、再びこちらから彼女に話しかけた。

「どうしたの? 何か思い出した?」

 それで彼女は、ようやく口を開いた。

『ねえ、このことは、私から聞いたって内緒にして欲しいんだけど……』

「うん、情報元は明かさない」

『実はね、篠原君が亡くなったとき、変な噂が立ったの。あれは事故じゃなくて、自殺だって』

「自殺?」

『そう、表向きは潮に流されて沖で溺れたことになってるけど、実は自分から海に入って、遠くに行っちゃったらしいの』

「でもそれって、溺れたのが自分の意思かそうでないのか分からないじゃない」

『でもね、篠原君って水泳が凄く上手だったのよ。校内水泳大会で、彼が他のメンバーをごぼう抜きにしてみんなを驚かせたことがあったの。それとね……』

「それと?」

『彼はクラスの中で、仲間外れにされていたの』

「それはどうして?」

『噂ではね、佐伯さんに付き纏っていたからだって。そのことに佐伯さんが迷惑してて、それで彼女の取り巻き連中が中心になって彼を除け者にしたみたい』

 なるほど、理由は自分のケースと違うけれど、自分の身に起こったことがその一年前にもあったということだ。

「でもさ、仲間外れになっていたなら、どうして海になんか一緒に行ったの?」

『そう。それが変だからこそ、話題になっちゃったのよ。彼を海へ誘った理由が、彼に決定的なダメージを与えるためだったっていうことらしいの。あくまでも噂だけど』

「決定的ダメージ? それって何だろう?」

『さあ……、例えば佐伯さんから完全に嫌われるように仕向けるとか、彼女の前で大きな恥をかかせるとか、そんなことじゃないかしら』

「なるほどね。それで藤浪さんは、海で何があったのか、具体的なことは知らないんだ」

『知らないわ。私は色々な噂を聞いただけで、その場にいたわけじゃないから。本人たちは、その話題を避けるように何も言わなかったしね。あっ、ただね、少しおかしなことがあったの』

 彼女は、最初は隠すつもりだったのに気が変わったのか、それとも本当に何かを思い出したのか分からないけれど、とにかく彼女の警戒心は随分薄れていた。

「おかしなこと?」

『そう。海の件とは関係ないかもしれないけど、一緒に行ったメンバーでね、二人の家が立て続けに火事になったの。それって偶然かもしれないけど、他のメンバーの親が交通事故に遭って亡くなったり、通り魔に襲われて大怪我したっていうのもあったわ。佐伯さんの家は夜逃げしたっていうし、みんなの家に不幸が訪れたのよ。同時にじゃないけど、あのときのメンバーに色々なことがあって、暫くしてからまた噂になったの』

「それは妙だね。それで、どんな噂?」

 彼女は躊躇いがちに、声のトーンを下げた。

『あのメンバーに不幸が起こるのは、篠原君のたたりだって』

 あまりに真剣な物言いだった。言った本人も、それを口にしたことを後悔するように沈黙して、こちらの反応を伺った。

「そんなこと、みんなが信じてたわけ?」

『信じてたわけじゃないけど、でも結局みんなが進学を断念したんでしょう? きっと親が亡くなったり借金がかさんだりで、みんなそれどころじゃなくなったのよ。実は私も海に誘われたんだけど、一緒に行かなくてほんとによかったと思ってるの。だってあのときのメンバーが、次々不幸になっていくんだもの』

「そういったことを信じたくなる何かが、当時あったってこと?」

 そう訊きながら、きっと何かがあるのだろうと僕は思った。

『それは分からないけど、あのメンバーに加害者意識みたいものはあったかもしれない。だからみんな、表立ってあの話しをしなかったわ』

「なるほどね」

『ねえ、もっと話しを聞きたいなら、一緒に食事でもしながらどう? バンドの話しも聞きたいし。私がそっちに行ってもいいわよ。東京のどこにいるの?』

 追加の情報があるなら興味はあるけれど、その様子では電話の話し以上に何かを望めそうになかった。

「うん、もっと話しを聞きたいけど、最近は忙しくて時間を取れないんだ。また今度電話するよ。今日はありがとう」

 彼女は不服そうに『そう……、残念ねえ』と言い、僕は余計な話しが始まる前に電話を切った。

 そして、最後に話しを聞いた加藤剛毅という男が、具体的なことを知っていた。

 東京の有名大学へ通う加藤は最初、疑心暗鬼にこちらのことを根掘り葉掘り聞いてきたけれど、それに正直に答えてやると、結局『あれっていじめでしょ』と、いかにも断定的に言った。更に、『あそこまでやったら、洒落にならないよ』と、抜き差しならないことまで言い出した。

 その口調には、当時起きたことは全てお見通しといった自信が見え隠れしていた。

「あそこまでって?」

『これってさ、あまりおおっぴらに話せないことだけど、本当に大丈夫?』

 期待の持てそうな言い方に、僕はきっぱり言ってやった。

「もちろん大丈夫だよ。加藤の名前を出されたくないなら、最後まで匿名にするか、話しそのものを自分の胸にしまい込む」

 加藤は躊躇いがちに『まあ、そういうことなら』と言い、『でも、本当に頼むよ』と念を押した。

 僕はもう一度、「約束は守る」と言って、加藤がようやく語り始めた。

『当時、篠原は佐伯のことが好きだったんだ。そのことは、クラスのみんなが知っていた。篠原が佐伯に手紙を渡したことも、なぜかクラス中に知れ渡っていた。佐伯は篠原の気持ちに応えられないと断ったらしいけど、それでも篠原は彼女に付き纏っていることになっていたんだ。それが彼女の取り巻き連中から、ひんしゅくを買う引き金となったみたいだ。そもそも佐伯に憧れていた男は多かったんだ。だから篠原の行動には、誰もが顔をしかめていたよ。しかしそれは、偏見に基づく誤解なんだけど』

 僕はときどき相槌を打ちながら、淀みない彼の説明を聞いた。

『そして篠原に対するいじめが始まった。無視したり上履きの中に泥を入れたり体操着を隠したり、そういう子供じみたことから始まったんだ。けれど問題は、海へ行ったときのことだよ。僕はそれを、当時一緒に海へ行った人間から直接聞いたんだ』

「メンバーから直接? それは誰から?」

 彼は少しの間、無言になった。

『それは言えない。それに、これから言うことは、俺から聞いたことを絶対に秘密にして欲しい。結構やばいことなんだ。約束してくれるなら、話してもいい』

 もちろん僕は誰にも言わないと、もう一度約束する。有力な情報を得ることができるなら、百回約束してもいい。いよいよ話しが、問題の核心へ差し掛かるのだ。僕はつばを飲み込んで、受話器に神経を集中させた。

『普段から標的にしている篠原を誘ったのは、最初から彼を嵌めるためだった。子供じみたことはもう止めるから、仲直りの印に一緒に海へ行かないかと誘ったようだ。最初に行くことを渋った篠原は、佐伯も行くことを知って首を縦に振ったらしい』

 ここで彼は、再び言葉を切った。自分の知る事実を打ち明けていいものかという、彼の逡巡が感じられる。

 僕は辛抱強く待った。下手に催促すると、やっぱり話すのを止めると言われそうな空気を感じた。しばしの沈黙を壊すように彼が一つため息をついて、話しを再開した。

『篠原は元々、気の弱い男だったんだ。手紙のことにしても、周りが面白がって篠原を焚き付け、無理やり書かせたようなものだった。俺は篠原から、直接色々な話しを聞いていたよ。それを知ったとき、やっぱりそんなことかと合点がいったんだ。佐伯に付き纏うと言っても実際のそれは、授業中や普段、つい彼女へ視線を向けてしまう程度のことだった。しかしそれが粘着質で気持ちが悪いと言われ、周囲の反感をかったというのが事実だ』

「なるほど、誤解というのは、そういうことか」

『そう、一度色眼鏡で見られると、事態がどんどんエスカレートする。酷い話だ』

「それは分かるよ」

『俺は彼が死んでから、グループメンバーの一人を問い詰めた。殴って無理やり吐かせた。彼が死んだあと、何かおかしいと思っていたんだ。

 海へ行ったとき、篠原は喜んでいたらしい。彼は佐伯と仲良く話していたみたいだ。なにせあのグループでまともに篠原の相手をしてくれたのは、彼女くらいのものだったらしいからね。だから佐伯は、何も知らなかったんだと思う。

 砂浜でしばらく遊んでから、海の家で食事をして、その後ゲームが始まった。後出しジャンケンゲームだよ。リーダーが勝ち負けあいこのいずれかを叫んでグーチョキパーのどれかを出す。参加者は最初の号令に従った内容を出さなければならないやつさ。俺もやったことがあるけど、やっているうちに頭が混乱して、うっかり間違えてしまうゲームだ。

 これで篠原を嵌めるために、みんなは事前に打ち合わせをしていたんだ。仲間にしか分からない秘密の合図を決め、リーダーが何を出すか、みんな知ることができるようにした。真面目な佐伯に言ったら反対されるから、彼女はこの計画で蚊帳の外さ。だから彼女も秘密の合図は知らない。罰ゲームは軽いものを用意して、最初は適当にやるんだよ。それで最後のゲームは、罰ゲームをみんなの前で素っ裸になるってことにする。女性が負けた場合は問題だから、このゲーム参加者は男だけっていうのも予め決めていた。これだと企みを知らない佐伯が被害者になることはない。男の参加者は四人で、最終ゲームのリーダー役は女性の誰がやるかも決まっていた。そして予定通り篠原が負けて、彼が罰ゲームをしなければならなくなった。

 篠原が裸になれとみんなに詰め寄られたとき、佐伯はもう止めようと言ったらしい。しかし周りが許さなかった。気の弱い篠原は、相当うろたえたようだ。既にみんなの思うつぼってやつだ。男だけならまだしも、佐伯もいたんだから当然だ。それで篠原は、裸にならない代わりに何でもやるから勘弁してくれって、ほとんど土下座でお願いしたらしい。

 篠原がうろたえ土下座までしたから、みんなはもう満足していた。しかし佐伯までもがうろたえたのは計算外だった。彼女は必死に、もう止めようと頼み込んだらしい。だからみんなは、代わりの罰ゲームを了承した。

 そこでメンバーの一人が、沖に見えるブイまで泳いで、その上に立って手を振れと言ったんだ。一キロくらい先にあるブイだったようだ。篠原は水泳が得意なことをみんな知っていたから、それくらいはできるだろうと思ったらしい。佐伯はそれにも反対した。しかしみんなは、最初に決めたルールだから、ゲームに参加した時点で最後まで決まりに従うのが当たり前だ、それでも嫌だと言うなら、今後は佐伯も篠原と同様、誰からも相手にされなくなると冷ややかに言った。それで篠原自身が、それをやると言い出した。流石に怒った佐伯は、そこで荷物をまとめて帰ったらしい。

 それでもこのゲームは終わらなかった。グループメンバーの一人が、篠原に難なく罰ゲームをこなされたら面白くないと思い、彼が海に入る直前、波打ち際で篠原に缶ビールを飲めと渡したんだ。海の家から見物するメンバーも、それを知っていた。篠原は仕方なくそれを空けて、海へ入った。

 彼らが行った浜は、入り組んだ湾の多い三陸の中で、たまたま外海が近い砂浜だった。酒を飲んで潮流の速い外海に出たら、水泳の得意な篠原だってひとたまりもない。彼はブイの上で手を振ることなく、帰らぬ人になった。これがあの事件の真相だよ』

 思わず僕は言った。

「そんな……、酷い」

 そんなことで、大人になり掛けた一人の人間の未来が、前触れもなく幕を閉じたのだ。

『そう、酷いよ。悲惨ないじめだ。いじめというより、これはもう犯罪だ。溺死だから検死があった。それで篠原の体からアルコールが検出され、一緒に行ったメンバーはそのことを随分追求されたようだ。しかし海の家で酒盛りしていた事実はないし、未成年が酒を飲んで宴会していたことは確認されなかった。ただ海の家の店員が、そのメンバーの誰かがビールを一本だけ買ったと証言したんだ。メンバー全員がそれを否定し、店員も誰が買ったかまでは覚えていなかったから、結局それは本人が買って飲んだことになった。それで最後は事故死に落ち着いた』

 彼の言葉が途切れると、途端に重苦しい空気が漂った。空気というよりも、自分の体内に異物を詰め込まれたかのような息苦しさだ。倉本からナイフで刺されたときの状況に似ている。

 そんな中で、僕はあることに気付いた。

「ねえ、加藤は今まで、そのことを誰かに話したことはある?」

『こんなこと、誰にも話せないよ。もし警察に尋ねられたら話したかもしれないけど、結局俺のところには誰も来なかった』

「どうして今日は教えてくれたの?」

『警察が動いているんだよね? 俺は篠原の友だちだった。だから色々調べたんだ。この話しは暴力をふるい、しかも他言しない約束でようやく聞き出した。それでも割り切れない悔しさが残るし、俺は今でもこの事実を消化し切れずにいる。事実を知ってしまった俺は、いつも免罪符を求めていたんだ。だからこの話しは、その知り合いの刑事に話してくれて構わない。ただ、誰が教えたかについては勘弁してくれ。警察なら当事者に訊けるだろうから、あとは自分たちで調べるように頼んで欲しい』

 僕は丁重に礼を言い、その通話を終わらせた。

 何とも言えない後味の悪さが、胸の内に広がっている。知らなければよかったとさえ思った。他人の自分でさえ怒りが込み上げる内容なだけに、もし身内であれば尚更だろう。

 倉本の怒りは、おそらくここに端を発している。自分の将来を簡単に棒に振り、牢獄にぶち込まれても構わない意気込みで、弟を死に追いやったメンバーへ復讐しているのだ。

 しかし話しを聞く限り、佐伯に罪はない。倉本は誤った情報を信じているのか。それとも関係者は、有無を言わさず一連託生という理屈か。あるいはまだ隠れた事実があるのだろうか。

 いずれにしても、背景が随分見えてきた。あとは坂田さんの情報とすり合わせ、信憑性を吟味すればいい。

 押し寄せる切なさに堪えながら、僕はすぐ、井上にこの情報を伝えた。

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