第35話 作戦会議2
佐伯家に歓待されて充実した正月は、あっという間に終わった。佐伯と一緒にアルバイトへ復帰し、また普段通りの生活に戻る。ほんの五日間一緒に過ごしただけで、佐伯とその家族がいつも傍にいることを、当たり前のように感じている自分がいた。
それをしみじみ感じたのは、バイトが終わり佐伯をアパートへ送り届けたあと、誰もいない自分の部屋に戻ったときだ。
数日火を入れていないせいで、部屋は随分冷え切っていた。もちろん灯りもなく、足を踏み入れた部屋は真っ暗だった。しかし、自分の寝ぐらを寒々と感じる理由がそれだけでないことは、明白だった。僕は再び、深い闇の淵へ戻された気分に襲われた。
ヒーターをつけ、その日に井上と話したことを思い出す。それはバイトの開始まで、あと僅かという時間のことだ。
『そろそろ正月気分を抜いて、本腰を入れないとね』
井上が言いたいことは、もちろん倉本の件だ。その言葉で、自分の浮かれた気分が砕かれた。倉本のことを意識していたはずが、いつの間にか僕は、つかの間の幸せな生活で気持ちが緩んでいたのだ。それは自覚していたことでもあった。
『坂田さんが詳しい調査を開始してくれる。一週間後くらいに、一度結果をすり合わせしたいそうだ』
僕は再び自分の気持ちを引き締めるため、どうやって倉本に全てを諦めさせるか、そのことを意識の中心に添えようとした。しかし気持ちを切り替えるのが、思っていたより難しい。
『遠藤、今回の件は真剣にいかないと、かなりやばいぞ。坂田さんまで巻き込んだんだ。本人が浮かれていたんじゃ、話しにならない』
どうやら井上は、全てお見通しのようだ。僕は辛うじて、『分かってる』と答えた。
僕は倉本の件で、自分が中途半端になってしまうのが突然怖くなった。あれだけ病床でシミュレーションを繰り返し、何度も失敗したのだ。最悪は奴と刺し違えようという決意も、なりを潜めている。
こんな気持ちでいたら、今度こそ殺られてしまう。僕は度々、佐伯が刺されて失神した状況を思い浮かべ、二度と彼女を同じ目に遭わせてはいけないと自分を鼓舞しようと試みた。それが上手くいったのかそうでないのか、何となく曖昧だった。
一週間後、井上を通して、坂田さんから会いたい旨の連絡が入った。調査は進んでいるようだ。
僕は約束の当日、期待と不安の両方を抱えて、いつものコーヒーショップへ出掛けた。
真実を知ることは、直面してみると意外に厄介だった。倉本が自分たちと同郷であることから、佐伯と倉本には、元々何らかの繋がりがあったのではないかと思い始めていたからだ。
倉本の佐伯に対する執着ぶりが、単に面子の問題から発せられているとは考え難い。この事件の背後には、もっと複雑な何かが隠れているような気がしてしまう。
久しぶりに訪れたコーヒーショップは、いつもと変わらず落ち着いていた。シックな店の雰囲気に合わせ、騒いでいる客は一人もいない。音楽を聞いたり読書をしたり、各自思い思いの時間を過ごしている。
そこへ現れた坂田さんは、相変わらず凡庸とした雰囲気を纏っていた。その点は、井上も似通った共通点を持っている。井上も坂田さんのあとを追いかけるように、店の入口に姿を現した。
三人で新年の挨拶を交わし、早速用件に入る。坂田さんが大判の茶封筒から、数枚の報告書を出した。
「新しく分かったことがありましてね。彼には、種違いの弟がいました」
確か倉本の母親は、彼を連れて再婚していたはずだ。
書かれている名前が、自分の神経に引っ掛かる。
篠原和夫 異父兄弟
倉本と随分歳が離れ、生まれた年が自分と同じだ。そして高校が、盛岡○一高等学校となっている。
「坂田さん、この篠原和夫って、僕や佐伯と生まれた年が同じで、しかも高校まで同じですよ」
つまり、高校の同期生ということだ。井上が目を見開き短い驚きの声を上げたあと、坂田さんがゆっくり頷いた。
「その名前に、聞き覚えはありませんか?」
僕は懸命に、記憶の糸を手繰り寄せる。何かが引っ掛かるのだ。それが何かに思い当たり、大きな声をあげそうになった。
「篠原和夫は、確か一年のときに事故死したはずです」
あれは夏休み中のことだった。彼はクラスメイト数名と一緒に海水浴へ行き、そこで溺死したのだ。夏休み中の出来事で、クラスの違う僕がその事故を知ったのは、休み明けの始業式だった。
「その通りです。そして彼が亡くなったとき、佐伯さんは彼と同じクラスでした。しかも彼と一緒に海へ行ったメンバーの中に、彼女がいたんです。当時の同級生に確認したので、間違いありません」
井上が訊ねた。
「つまり倉本と佐伯さんは、この篠原和夫を通して元々繋がりがあったということですか? 倉本の事件と彼の事故死が、関係あるとでも?」
坂田さんは、深刻な顔で続けた。
「それはまだ分かりません。このとき海へ行ったメンバーは、佐伯さんと亡くなった篠原和夫を含め八人います。つまり二人の他に六人のメンバーがいるわけですが、六人全員の居場所と現状が分かっています」
坂田さんが差し出した別紙に、六人の男女の名前、住所、現状が簡単に記載されている。
いずれも六人の現住所は、盛岡になっていた。現状は、四人が無職、女性二人は飲食店勤務となっている。
坂田さんが言った。
「遠藤さん、これを見て、何か感じませんか?」
全員が自分と同期なら、進学していれば学生のはずだ。
「自分たちの高校は、進学校なんです。ほとんどが当たり前のように大学へ進むはずですが、佐伯を含めて全員が進学していないのは、少し不思議な気がします」
坂田さんはここでも頷いた。
「そうなんです。しかも高校を卒業して、就職せずに自宅で引きこもりです。更にこの飲食店は、夜の水商売です。県内有数の進学校を出て揃いも揃ってこの状況は、違和感がありますよね」
思わず三人で、顔を見合わせる。井上が言った。
「坂田さん、海で起こった事故を、もう少し詳しく調べられませんか?」
「六人がこんな状況に陥った背景と合わせ、事故の件も詳しく調べようとしています。本人たちが話してくれたら簡単なんですが、引きこもりの四人は会ってもらえませんでした。水商売に出ている二人も、高校時代の話しになると途端に口をつぐんでしまうようです。ここはもう少し、時間がかかりそうですね。佐伯さんに話しを聞くことはできそうですか?」
坂田さんが言うように、彼女に詳しい話しを聞きたいところだ。しかし、突然そんな話しを持ち出せば、彼女は不審に思うだろう。悩む僕に、井上が顔をゆっくり左右に振る。
「佐伯さんには、まだ何も言わない方がいい」そして彼は、坂田さんに言った。「申し訳ありませんが、先ずは六人の調査を進めてもらえませんか? 僕たちが倉本の件で動いていることは、佐伯さんに秘密なんです」
坂田さんは微笑んで、あっさり言った。
「分かりました。本人に話すかどうかは、もう少し事情がはっきりしてから決めた方がいいでしょう」
僕と井上は、二人揃って彼に頭を下げる。
坂田さんは頭をかきながら、「そんなにかしこまらないで下さいよ」と気さくに笑った。
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