第27話 人の痛み

 僕はどうにもならない憂鬱を封じ込め、ライブ出演のために仙台へ行った。

 もちろん佐伯を連れていくのは諦めた。そして一年前と同じように演奏で燃焼し、その後の打ち上げには参加せず、すぐに殺風景なホテルの部屋で一人になった。

 耳をやられているせいで、部屋の中が静まり返っていた。久しぶりに燃え尽きた反動が、自分を何かの抜け殻のようにしている。身体が気怠く、生気というものが残っているのか怪しい状況だった。

 明かりを落とした部屋から、ぼんやりと夜の街を眺めてみる。佐伯とこの街で再会したという感慨や懐かしさは、そこになかった。

 しかし、それはそれでよかった。一旦僕は無になり、そこから自分が何を感じるのか、見定めたかったのだ。

 馴染みの薄い街で、明かりも音もない部屋に身を置き、目的や考え事を持たずにひたすら夜の街を眺めてみる。つまりそれは、いつもと違う環境で、何もしない時間を作るということだった。

 何もせず何も考えないことは、いざ実行すると案外難しかった。それをするために、僕は一旦、全てを投げ出す必要があった。何がどうなっても構わないという境地に、自分を追い込むのだ。ライブで燃え尽きた脱力感が、それを上手く手伝ってくれた。

 窓を通して見える景色には、通りを走り抜ける車やバイクがあり、歩道を歩く人たちがいて、オフィスビルの窓向こうには、残業するワイシャツ姿の人たちがいた。街灯があり、信号機が点灯し、ビルの灯りや看板の照明がある。しかしそこから、何かが息づいている気配は感じられず、目を引く物もなかった。歩く人でさえ、機械仕掛けの人形のように見える。自分の予備知識として相手の内面や人生背景や諸々が介在しなければ、生きている人間でさえ物と同じであることに気付く。

 唯一有機的に見えるのは、風に呼応する木々だった。それだけが大地に根を張り、酸素を吐き出し、確実に生きながら人間の生きる土地を維持している。感情を持たず、動的な活動のない木々に強い生命を感じるのは、不思議なことだった。おそらくそれは、木々が人を傷付けたり貶めることがないことを、自分が信じられるからに違いない。人間も同じように、お互い素朴に生きる存在であれば、自分や佐伯はもっと救われるのかもしれない。

 おそらく、二時間は外を眺めていただろう。部屋の明かりを落としているせいで、夜の街は鮮やかだった。しかし温もりや人情は感じられず、実に寒々としている。

 底なしの侘しさがそこにあった。

 佐伯はこの街で働いていたのだ。頼る人もなく、嫌な思いをしながら、たった一人で闘っていた。彼女は体を売っていたのではなく、家族を守るために闘っていたのだ。

 彼女の孤独を、初めて理解できたような気がした。ほんの二時間で、僕は深い闇の中を歩くような孤独感を味わった。そして彼女は、その何百倍もの時間、一人で闘っていたということになる。

 突然佐伯が恋しくなった。彼女が傍にいてくれたら、こんな寂寥感せきりょうかんに襲われることはないはずだ。そして彼女も、誰かが傍にいるだけで、孤独から逃れることができたはずだ。

 きっと彼女は、それを強く望んでいたのだ。僕は彼女のそういった叫びに、気付いていなかった。その深刻さを、理解していなかったからだ。

 人の痛みを知ることがとても難しいことに、僕はようやく気付いた。

 そして僕は、泣きたいくらい悲しくなった。

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