第19話 県警本部2

 佐伯が事情聴取を受けている間、安藤さんは席を外し、僕たち三人は応接室で待つことになった。

 移動した部屋の窓を通し、怪しい人間がうろついていないか外の様子を確認したけれど、特に異常は見られない。県警本部は国分町に近いけれど、やはり彼らが見張るとすれば、少し離れた仙台中央署の方だろう。

 秋特有の高い青空の下には、平和な日常があった。ケヤキやトウカエデの街路樹が、いたる所に緑の塊を作っている。それが太陽の下で、涼しげにしかも逞しく息づいていた。

 制服の婦警さんが運んでくれたお茶をすすりながら、僕は井上に訊いてみた。

「もし安藤さんの後ろ盾がなかったら、井上はこの問題を、どうやって解決する?」

 井上は、さして考えずに答えた。

「真っ先にすることは、佐伯さん一家を何処かに隠すことだよね。隠れ家は東京の僕らのアパートでもいいわけだから、難しくない。次に、ヤクザにはヤクザで対抗する手も考えていた」

「どうやって?」

「関東を仕切る一円連合に、若旦那と呼ばれている、坂田さんという人がいるんだ。彼は一円連合総長五所川原親分の、娘婿なんだよ。坂田さんというのは元々普通の会社員なんだけど、組織の中で色々な実績を残し、陰のドンと呼ばれているんだ。実はその人と知り合いなんだよ」

 僕はその話しに、感心を通り越し呆れた。警察トップのコネが駄目なら、暴力団トップのコネを使うという発想は、どう考えても普通の学生のものではないだろう。

「そんな凄い人と、どうやって知り合いになるわけ?」

「以前暴力団に拉致されたとき、親父が手を回してお願いしたのがその人だったんだ。警視庁のマル暴担当刑事を介してお願いしたらしいけど、監禁場所に、坂田さん本人が駆け付けてくれた。ただね、暴力団のコネを使う場合、彼らの世界で筋の通らないお願いは難しい。そんなことをごり押しするなら、警察の方が簡単だよ。国家権力はね、ときにはヤクザ以上にヤクザなんだ」

 やはり井上は、色々なことを考えている。

「それが駄目なら少し面倒だけれど、何かの罠を仕掛けるしかない。それには時間もかかるし、緻密さが必要で大変だ。とにかく正攻法は通用しないし、自分たちが前面に出たら危ない。制約があり過ぎて、この手の問題は厄介なんだよ」

 その厄介な問題に、彼は二重三重の手を考えているというわけだ。僕のように、無理だと簡単に決め付けず、簡単に諦めない。結果を得なければ、自分には死が待っているという状況があるように、執念深く問題を追いかける。

 そういえば、アルバイト先の居酒屋も、経営状態が見事にV字回復した。オーナーは喜び、井上は他の店舗もコンサルティングしてくれとお願いされた。そして彼のバイト代は、いとも容易く倍になった。そして井上は、有益なレポートができると喜んだ。

 こういうことは、才能によるものなのだろうか。それとも、執念の成す技なのだろうか。もし才能であれば、自分に真似るのは難しい。しかし井上にそんなことを言えば、それは言い訳だと指摘されるだろう。


 佐伯の聴取は、一時間半にも及んだ。ようやく佐伯が戻ると、もう少し待って欲しいと言われる。聴取内容を検討し、あとで方針を伝えたいとのことだ。

 応接室に現れた佐伯の顔は、以前の彼女のように明るくなっていた。正式な聴取ではないため、記録には一切残さないと言われたそうだ。その非公式な事情聴取で彼女は、盛岡時代から現在に至る出来事を、一通り話したようだ。もちろん僕たちは、彼女に事情聴取の内容を詳しく聞いたりしなかった。

 事態が進展を見せ始めたため、彼女は心に、ゆとりを取り戻しつつあった。彼女の笑顔には、春の陽射しに似た柔らかさが、再び宿り始めている。

 彼女は喉が乾いたと言い、僕は佐伯と二人で応接室を抜け出し、売店に水を買いに行った。途中の廊下で、婦警さんが向こうからやってきて、足を止める。

「これから本部長に報告を上げるから、もう少し待ってね」

 佐伯の事情聴取をしてくれた婦警さんのようだ。二十代後半の、ショートヘアで精悍な女性だ。すらりとした体型に、タイトスカートがよく似合っている。

 佐伯がお辞儀をして、「宜しくお願いします」と言った。彼女は去り際に僕をちらりと見て、「その彼が遠藤君?」と言った。佐伯が照れるように「ええ」と答えると、婦警はにこりと笑い、再びさっそうと本部長室の方へ向かった。

「こんな場所って、みんな事務的に見えるから不思議だね」

 佐伯は意外そうな顔を僕に向けた。

「そうでもないのよ。あの人、野村さんっていうんだけど、とても親身に話しを聞いてくれたの。二十八歳、独身、恋人募集中ですって。相手は、警察官以外の人が希望らしい」

 佐伯は、肩をすくめてくすりと笑う。ようやく、彼女らしい仕草で出てきた。

 また廊下を歩き出すと、佐伯が言った。

「ねえ、松本さんって、手紙に書いてあったアマゾネスの人よね?」

 そういえば、最初の自分の手紙にそんなことを書いた。こんなふうに関わり合うことになったのだから、今思えば、当時から手紙で井上や松本のことに触れておいたのは、正解だったかもしれない。

「そう、彼女がアマゾネスだよ」

「つまり井上さんは、恋が実ったということ?」

「そういうことになるかも。いつの間にか、あんなふうになっていた」

 自分にも詳しい経緯は分からない。二人の場合、松本の方が井上に惚れているようにも見えるし、実は二人は、恋人同士ではないような気もする。あまりに二人の会話や態度が自然過ぎて、二人は実は、兄と妹ではないのかと疑いたくなるほどの家族的親密さが見えるからだ。恋人的親密さではなく、家族的な、ということだ。

「松本さんって、女性から見てもすごく綺麗よね。それに頭がよくて優しい。井上さんも頼りがいがあって、自分に人より秀でたものがあっても他人を見下さないし思いやりもある。二人とも、とても信頼できる人たちよ。それで私、とても不思議なの。どうして遠藤君の周りには、そんな人がいるのかなって。私の周りには、誰もいないのに」

「佐伯の周囲のことは分からないけど、あの井上や松本が友だちというのは、僕も幸運だと思ってる。そういう巡り会わせって、運もあるんじゃないかな?」

「だったら私は、不運の女?」

「普通だよ。誰でもそういう人に巡り会うチャンスがあるけれど、巡り会わなくても不思議じゃない。だって、偶然の産物みたいなものだから」

「そうかもね。私が遠藤君を見つけたのも、偶然だから。知ってる? 私、遠藤君が一人でコンサートをやっている会場に、偶然いたのよ」

 そんなことに全く気付いていなかった僕は、少々慌てた。あの当時、自分の歌や演奏は独りよがりで、思い出すと恥ずかしさがこみ上げてくるからだ。

「初めて知った。驚いたよ。恥ずかしいなあ」

「あら、どうして? たった一人で、何十人もの人の心を掴むのよ。凄いことじゃない。遠藤君のギターストロークは、気迫がみなぎっていた」

「そう? 初めて言われた」

「人って他人をけなすのは得意だけど、褒めるのは慣れていないのよ」

「僕は、褒められるのも慣れていない」

 彼女が笑ったとき、売店が目に入る。僕はそこで、四人分のミネラルウォーターを買った。

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