第12話 佐伯の秘密
夜七時頃に仙台へ到着し、広瀬通りに面したビジネスホテルへチェックインを済ませたあと、僕たちは牛タンを求めて仙台の繁華街へ繰り出した。
ホテルから大通りを渡り、東北一の繁華街と言われる国分町方面へ向かうと、牛タンのみならず、三陸直送の新鮮な魚介類を堪能できる店もたくさんあるとフロントで教えてもらう。松本はその話しに色めきたち、ホテルを出発すると、食事処を目指し大股でずいずいと進んだ。こうなると僕と井上は、ただ彼女に従うだけである。
大通りを渡ると、両脇に雑居ビルがずらりと並び、途端に人通りが激しくなった。多くの男たちが先頭の松本に視線を向け、すれ違ってから振り返る。松本は、日本人離れしているのが顔だけではなく、メリハリのあるボディもまた圧巻なのだ。しかし近寄り難い雰囲気も人一倍で、街中で彼女へ声をかける勇者はいない。そんな女性が見た目の冴えない井上と同棲していると知ったら、ほとんどの男は卒倒するだろう。しかし身近にいて二人を知るほど、この二人はお似合いだという気がしてくるから不思議だった。
僕たちは、木の板に牛タン焼き専門店と書いた看板を掲げる、少し古びた店に入った。道から奥まった所にくすんだ色の格子戸を持つ、見るからに老舗という店だった。戸を開けると、カウンターの上に並ぶウイスキーや焼酎、日本酒の一升瓶が目に入る。その内側で調理する捻じり鉢巻をした割烹着のおじさんが、威勢よく、「へい、いらっしゃい」と言った。
常連客らしい数人が、カウンター席を牛耳っている。僕たち三人は、恐る恐るテーブル席に陣取った。
カウンターの後ろに、毛筆の豪快な文字で書かれたメニュー看板が何枚も掛かっている。
井上と松本は、暫くそれを眺めていたかと思うと、牛タン焼き盛り合わせ、牛タンシチュー、牛タン角煮、牛タンサラダ、牛タンステーキ、牛タンおろしあえ、牛タンたたき、ご飯と、まるで競い合うように交互に注文を出す。支払いがいくらになるとか、三人分の胃袋の大きさがどのくらいかなどには、まるで無頓着だ。
テーブルの上は肉料理ばかりで、色とりどりな花畑には程遠く、赤茶色に野菜の緑が少し混ざる、荒野のジオラマのような光景になった。しかしこんなに食べられるのかと思った料理は瞬く間に消費され、また牛タン焼き盛り合わせが追加注文される。
この牛タン料理の味と、井上や松本の食べっぷりは圧倒的だった。二人は飢えた獣のように次々と料理を口に運び、追加の料理もあっという間に胃袋へ収めた。
ついでに古びた店構えに似合わず値段も極上だったけれど、あまりの食べっぷりのよさに、怖い顔の店主は料金を少しまけてくれた。決して貧乏学生が食べる代物ではないけれど、それを井上が、たくさん食べた責任ということで支払ってくれる。
外へ出ると、日照りの余韻を充分残す、蒸した暑い空気が僕たちに覆い被さる。その空気をかき分けるように、大勢の人間が行き先の当てなどないように、酒焼けした顔を見せて歩いていた。
せっかくだから、食後の散歩がてら、僕たちは国分町の奥まで行ってみることにした。お腹が満たされたあとの、いたずらな探検気分でのことだった。店を出て、ホテルと反対側へ進めば国分町の中心へ出る。
次第に周囲は、イルミネーションが増えていった。外壁の上から下までずらりとバーの看板が並ぶ雑居ビルだらけになるまで、それほど歩く必要はなかった。
もちろん、そうした大人の遊び場所へ足を踏み入れるつもりはない。僕も井上も、その手の場所は興味本位で見学すれば充分なのだ。その内部に興味がなくはないけれど、大枚を叩いて冒険するには至らない。
それでも三人にとってそこは、珍しい場所に変わりなかった。僕たちは、国分町の奥へ吸い込まれるように進んだ。
たまに学割で安くすると声を掛けられたりするものの、女性連れの明らかな学生に、滅多に客引きから声がかかることはなかった。
僕たちはネオンジャングルに迷い込んだ小動物のように、挙動不審と疑われてもおかしくないほど周囲を見回しながら、界隈を見学した。
たまに雑居ビルの出口に、客を送り出す女性を見かけた。綺麗にカールされた髪を揺らす、ラメ入りのロングドレスに身を包んだ女性や、今にもパンツが見えそうなミニスカートから、子鹿のようなすらりとした足をこれみよがしに露出する女性たちだ。どの女性も濃い目の化粧をし、ハイヒールを履き、送り出す客の身体にさり気なく触りながら上品な笑みを顔に浮かべている。
夜の女性たちに目を奪われながら、ふと松本の存在を思い出し振り返ると、彼女もまた心を奪われたように、その女性たちの様子を見つめている。
確かに僕たちにとって、そこは居合わせるだけで刺激のある、不思議な場所だった。
そこへ、更に僕たちの興味を引く出来事が起こった。一点の曇りもないほど磨きこまれた黒塗りのメルセデスが、前方のビル出口に横付けされたのだ。三人の視線は、自然とそこへ釘付けとなった。
運転手が素早く車から降りて、後部座席の大きなドアを開け、頭を垂れてかしこまる。ドアを開けた男はまだ若く、明らかにその筋の人だった。
ビルの出口に夜の蝶たちが現れ、更に後方から女性たちに囲まれた背の高い男が姿を見せた。縦縞のスーツを着込み、髪をオールバックにした、歳は四十に手が届くかどうかの組幹部らしき男だ。背の高い、黒のロングドレスを着る女性の肩を抱いている。ドレスから露出する肩は、男に抱かれた部分を除き、雪のように白い。
僕はそのとき、ある違和感を覚え、その光景を注視する。自分の足は、自然に止まっていた。
男は見送りに出た女性たちに軽く手を上げ、肩を抱く女性を車の中へと促す。そして女性のあとに続き、自分も車内へ身体を滑り込ませた。
若い男がドアを閉め、小走りに運転席から車に乗り込むと、メルセデスのテールランプはみるみる小さくなり、通りの向こう側へ消えた。
見送りの女性たちが、手のひらを返すように営業スマイルを止め、そそくさとビルの中へ戻る。
「あれってきっと、連れ出しってやつだね」
意識というものを囲う枠があるとすれば、そんな井上の声は、明らかに枠の外側へ届いていた。
「連れ出しって何よ?」
「あのヤーさん、お金を払って店の女を買ったんだよ」
「何それ? ああいうバーって、そういうこともやってるの?」
「大っぴらにはできないけど、政治家や会社の幹部要望には応えたりするらしい。要は店の売り上げに影響する人のご機嫌取りか、表向きは普通のバーで、裏でそっちの商売をしているか」
「なんか嫌ね」
井上と松本が交わす会話の内容が、僕には理解できなかった。
彼女は買われた……? どういうことだ。
「遠藤君、どうしたの? 早く行こうよ」
松本が僕に振り返っていた。二人が歩き出したのに、僕の足が止まったままだったからだ。足が動かないわけではない。ただ僕は、どうすべきか分からなかったのだ。
「おい、遠藤、どうしたんだよ。早く行こうよ」
二人が、歩き出す気配のない僕のそばへ戻った。
僕はようやく声を絞り出した。
「さっきの女、佐伯だった」
「はあ? さっきの女って?」井上が、眉間に皺を寄せる。
「メルセデスに乗り込んだ女」
今度は、井上と松本が顔を見合わせる。
松本が、不安そうな顔をこちらに向けて言った。
「なんかの見間違えじゃないの?」
「そう思いたくてよく見たけど、やっぱり佐伯だった」
何かの間違いであって欲しいと思いながら、僕は彼女が佐伯だったことを確信していた。はっきり顔を見たのだ。あの純真な笑顔はなくても、車に乗り込むときに彼女の放った重苦しい雰囲気が、それまで佐伯の手紙から感じ取れた空気と見事に一致した。これまで抱いた掴みどころのない謎が、一本の糸で繋がったような気がした。
松本が、はっと気付いたように言った。
「賢治、お金いくら持ってる?」
「まさか、あの店に入ろうってわけじゃないよね?」
「そのまさかよ。店に入って情報を聞き出すの」
井上は驚いて、身体をのけぞらせる。
「それは無理だよ。いくら取られるかも分からないし、店が一見の客に、働いている女のことを教えるはずがないから」
「井上、こんな店って、いくらくらいするものなの?」
「遠藤までなんだよ。気持ちは分かるけど、あんな組幹部の出入りするところだ。下手をしたら、三人で十万やニ十万は取られるぞ。持金が乏しくなったら、仙台からすぐに撤収しなきゃならなくなる。店は逃げないから、どうするかは落ち着いてから考えるべきだよ」
結局僕は井上に説得され、ホテルの部屋に戻ってから、悶々とする時間を過ごすことになった。翌日三人で彼女の家に行ってみることにしたのはいいけれど、一旦ホテルの部屋で一人になると、彼女と顔を合わせたくない気持ちが自分の中でうごめき始めたのだ。
彼女の秘密に近付くことが、果たしてよいのだろうか。彼女はそれを望んでいないような気がした。そして自分も、それを望んでいるわけではなかった。
彼女は既に、自分が到底手の届かない場所で暮らしているように思えた。ヤクザな男と一緒に高級外車に乗り走り去った様子は、僕を尻込みさせるのに充分だった。権力も金もコネもない自分が、あのような世界にどう立ち向かえばよいというのか。
それにあの姿は、彼女自身が望んでそうしているのかもしれない。そうであれば、余計な詮索をして介入するのは、彼女にとってただの迷惑ではないのか。
僕は仙台へ来たことを後悔しながら、気晴らしのためにつけた部屋のラジオ放送を、そのうち睡魔が襲ってくることを期待しぼんやりと聴いた。
しかし眠りは、一向にやってこなかった。時計の針は、夜の二時を指している。
佐伯は今、一体どこで何をしているのだろうか。かつてクラスの人気者だった頃の彼女が、瞼の裏に次々と浮かぶ。お嬢様であった彼女は、どこでどうつまずいてこうなったのだろう。大まかな経緯を知っていながら、小さなコマが線上で繋がらない。多くの可能性が浮上し、海岸に打ち寄せる波のように次々消滅する。
きりのない、無駄な思考と分かっていた。それでも考えは、立て続けに襲来した。
この意味のない無限の思考に終止符を打つには、やはり彼女の住む場所へ行くしかないのだろうと、最後に僕は観念した。
それから僕は、いつの間にか眠りに落ちたようだった。
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