第7話 彼女の孤独

 大晦日前日の夜、いつもと同じくふらふらになってアパートへ戻ると、一通の封書が郵便受けに入っていた。封筒の裏にはKYと、佐伯のイニシャルがぽつりと書かれている。

 目が覚めたようにはっとして、身体の中に蓄積された疲れが少し和らいだ。砂漠の中で、豊富な透き通った水をたたえる、オアシスを見つけたような気分だった。

 僕はすぐに手紙を開けず、神聖な物へ触れる前の儀式のように、シャワーを浴びてからコーヒーをベッドサイドに置き、それからベッドの上にくつろいで、ようやく手紙を開封した。

『親愛なる遠藤君へ。

 手紙を書くと言いながら、第一弾が遅くなってしまいました。ごめんなさい。

 いざ便箋に向き合うと、中々筆が進まないものですね。書くという習慣がないからかしら。それも何度か続ければ慣れるのではないかと、根拠のない期待をしてはいるのですが。

 仙台ではありがとう。久しぶりに遠藤君に会うことができて嬉しかった。大袈裟な言い方かもしれないけれど、こうして遠藤君に手紙を書くことができるのは、今の私にとって至福なことです。私の孤独は、前にも増して闇を深めているからです。

 詳しくは言わなかったけれど、私は今、働いています。そうやって家族の生活を助けています。大学へ進みたい気持ちはあったのですが、私の環境がそれを許してくれませんでした。

 それはそれでもいいの。ただ私は、自分を理解してくれる人が必要でした。こうして自分の愚痴や、考えていること、思っていることを一方的に綴るだけでいいの。それを読んで、何かを感じてくれる人がいるだけで、人の心って救われるものなの。

 以前遠藤君へ手紙を渡したときに、私は自分の孤独な気持ちをそこへ書きました。そして今再び、私は同じようなことをここに書いています。しかし私は、以前の自分が如何に甘かったのかを痛感しています。今更ですが、当時の私は随分恵まれていたのですね。

 かつて遠藤君が私の手紙を読んだとき、きっと内容の半分も理解できなかっただろうことが、今の自分にはよく分かります。それを考えると、少し恥ずかしくなります。本当に馬鹿みたい。

 だから今ここに書いていることも、来年になったらまた、自分のことを馬鹿みたいと思うかもしれません。

 それって自分が、少しずつ強くなっているということなのかしら。それとも、弱くなっているのでしょうか。考えようによって、どちらにも取れてしまうので、少し迷います。

 言わずもがな私の生活環境は、以前に比べて劣化しました。何一つ不自由のない暮らしから、不自由しかない暮らしになったのですから。

 不自由には物理的な事も含まれていますが、食べることくらいはきちんとできているので、そこは心配しないで下さい。

 今は、精神的自由がなくなりました。開放感がなくなった、と言ったほうが正しいかしら。あるいは心のゆとりがない、と言うべきかもしれません。

 上手く表現できないの。色々なことが四方八方からすぐそこに迫っていて、身動きできる空間が少ないという感じなの。あくまでも精神的に、という話しです。

 そして相変わらず、私の周囲には自分が信頼を寄せることのできる人がいません。環境が変わってもそうなら、それは私自身の問題かもしれないと思うところはあるのですが、事実としてそうなのです。

 以前も同じことを書きましたが、世の中にこれほど多くの人が存在していながら、どうしてかしらと不思議に思うことがあります。私はそういう星の下に生まれたと思うのは簡単ですが、何か敵前逃亡のような気がして、できるだけそうは思わないようにしています。

 これって、私の価値観の問題なのかしら。それとも、周りの価値観の問題? そんなことを考えていると、私の心はどんどん捻れていくようで少し怖いの。既に絞りきって、一滴の水も出ないくらい捻れているのに、それを更に絞ろうとしている雑巾のような感じ。最後は破けて壊れるかもしれません。

 ごめんなさい、ネガティブ過ぎましたね。

 反省。

 遠藤君は、今、何をしているのかしら。アルバイトをするって言ってたけど、忙しいですか?

 また遠藤君のライブが観たいな。あのカナリヤという唄、とても身に沁みました。また聞きたいです。

 返事は不要です。また手紙書きます。さようなら。』

 カナリヤという唄は、童謡のカナリヤからヒントを得て作った曲だった。ある高名な作詞家が、知的な詩だと褒めてくれたものだ。

『唄を忘れたカナリヤは、お前のために焼いてやる。ダスト、ダスト、ダスト……』

 ハードビートのこの曲は、ファンの間で、僕らのオリジナル曲で一番好きだと言ってくれる人が多い。

 この詩は、カナリヤが唄えなくなってそんなに悲しい想いをしているなら、焼いてお前の悲しみを終わらせてやる。最後は慈悲深く食ってやるから心配するな、お前はもうゴミ同然なんだ、という内容だ。

 ツインバスを使った激しい曲だけれど、この詩が身に沁みるというのは、彼女が自分の境遇とこの歌詞を重ね合わせているのかもしれない。

 そう考えると、僕は心が痛んだ。

 佐伯は唄を忘れたカナリヤではないし、ましてゴミなどではない。この世にゴミのような人間などいないのだ。いつも駄目な奴だと叱られる井上を僕は尊敬しているし、全てのアルバイターから嫌われるダボハゼには、彼を頼りにする家族がいる。

 佐伯が何をどう考えているのか知らないけれど、少なくとも僕は彼女を可愛い女性だと思っている。そう思うのは、僕だけではないだろうとも思っている。それだけで充分なはずだ。それ以上を望む必要がどこにあるのだろう。欲張れば、不幸になるだけだ。

 僕は何度も返事を書きかけて、結局便箋を無駄にするだけで終わった。

 彼女の闇が一体どこからやってくるのか、よく分からなかったからだ。それを知らずに安直な慰めを言うのは、きっと間違っている。

 それによく分からないけれど、踏み込んではならない線が引かれている気がした。その線をまたぐために、おそらく僕には、彼女の苦悩を共有する覚悟が必要となる。それは単純なことではない。覚悟を決めるということは、他人事に終わらず、自分が苦しくなっても逃げ出さないということだ。

 僕にはその覚悟がなかった。つまり自分は、彼女の言う本当の友だちになれる気がしなかった。

 それで彼女の事情を訊くのがためらわれたし、浅はかな慰めや励ましの言葉を掛けるのもはばかられた。

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