第4話 再会
ステージが終わり楽屋に戻ると、だくだくとした汗が自分の全てを濡らしていた。達成感とか充実感という清涼なものではないけれど、それと似たじんじんとしたものが、気だるさを伴い身体の芯に残っている。
少し前の狂乱を夢だと思わせる殺伐とした楽屋で、帰り支度を始めた。ニ十畳程度の楽屋を全てのバンドが使用するため、そこで出演準備を行い、演奏が終われば素早く撤収する慣わしになっている。ボーカルの隆史は押し掛けたファンの相手をし、楽器を扱う僕は、地味に汗で汚れたギターの手入れをした。
祭りが終わってしまえば、いつもこんなものだ。まるで違う次元の世界を行き来しているように、ライブと日常の間にあるギャップは大きい。
店のオーナーが、PAコンソールの脇で腕組みをしながら小難しい顔を作り、ステージの演奏を見つめていた。いつも無口な人で、ライブの評価は一切口にしない。彼の評価結果は、次のイベントに呼ばれるかどうかで分かる。そんな彼に挨拶をして店を出ると、新幹線を降りた際に感じた寒さが、ますます鋭利な刃物のように肌へ突き刺さった。元々低かった気温は更に下がり、今にも雪がちらつきそうな気配だ。
その日は特別に寒い日だった。冬本番にはまだ早い時期、東北の中では温暖な仙台で、それは十二月の気温ではなかった。東北の寒波の原因は、大体がシベリアから流れ着く大寒気団だけれど、それは津波を食い止める防波堤のような奥羽山脈にガードされ、太平洋側の上空をあの極寒の空気が飛来することは滅多にない。
とすればこの異常な寒気はどこからやってきたのか分からないけれど、とにかく深々とした寒さだった。
目の前には片側三車線の広い産業道路が走るだけで、周囲に人の気配はない。そこが商業地域から外れているためだ。しかし、人の通りが少ない割には街灯が規則正しく並び、過剰なほど立派な歩道が整備されている。
周りが静かになると、耳鳴りが大きくなった。大音量で耳がやられているためだ。道路を走る車の音や隆史の話し掛ける声が、一枚の膜を通したようにくぐもっている。
この耳鳴りはいつものように、暫く続く。何年もこんなことを繰り返していると、本当に聴力を落とすかもしれない。
数人の女の子たちが、店の外へ出て寄ってきた。地元の女子高生と大学生の、二つのグループだ。
いつものように、ボーカルの隆史が対応する。お陰で僕たちは寒空の下、女の子たちに囲まれることになった。しかし、隆史もその日の寒さが身にしみたようだ。彼は機転を利かせ、ファンの女の子たちを食事に誘った。殺伐とした景色に不釣り合いな、彼女たちの奇声が湧き起こる。
レストランへ向けて、みんなで歩き出したときだった。ライブハウスの裏口に通じる狭い路地に、女性が一人で立っていることに気付いた。
道路沿いの街灯が、彼女の背中を薄っすら照らしている。薄暗い路地だけに、そこが特別な寒冷地帯になっているように、とても寒々とした光景だった。おそらくバンドの誰かを待っているのだろうけれど、その健気さが哀れにも思えてくる。僕は彼女の待つ誰かが早くやってくるよう密かに祈りながら、そこを通り過ぎた。
しばらく歩いてからだ。僕の中で
僕は戻るべきか迷った。佐伯はかつて、僕たちの前から逃げるように姿を消して、それから四年近くも経っている。こんなところで会うはずがない。しかし一旦気になり出すと、この疑いはその日の寒風のように、自分を責め続けた。
結局僕は、忘れ物を取りにいくと嘘を言い、その集団から抜け出すことにした。
早足で店の前に戻り、さっきの薄暗い小路を覗くと、彼女の痕跡は跡形もなく消えて閑散としていた。少し前まで人がいたことを、真っ向から否定している佇まいだ。
そうなると、僕は取り返しのつかないことをしたように後悔した。彼女を見掛けたその場で、すぐに確かめるべきだったのだ。
通りの左右を見回しても、人の気配は皆無だった。白色の街灯の下に伸びる殺伐とした歩道を、寒風だけが渦巻いている。
もはや手の打ちようがないと諦めたとき、自分の視界に何かが飛び込んだ。大通りを挟んだ向こう側の人影が、意外なものを発見したように、呆然とこちらを眺めていたのだ。
彼女は白いオーバーを着て、短い黒のブーツを履いていた。髪が肩の辺りで短めに切り揃えられた、上背の高い細身の女性が、ぽつんと車道の向こう側に立っている。
「佐伯……」
化粧をしているのか、少し大人びて見えたけれど、彼女は間違いなく佐伯だった。
僕はとっさに彼女へ向かって手を上げ、彼女の方もすぐに手を振り返してくれる。四年ぶりに意思が通じた瞬間だった。
二人の間を通る大通りを、行く手を遮るように切れ目なく車が走っている。車道は渡れそうにない。辺りを見回すと、少し先に信号機があった。
僕がジェスチャーでそっちへ行くと合図をすると、それが上手く伝わり、彼女は両手で大きな丸を頭上に作る。
遠目で細かい表情は分からなくても、彼女の顔には間違いなく笑みが浮かんでいる。
僕が通りの向こうを見ながら信号機に向かって歩き出すと、彼女も同じ方向に歩き出した。まるで映画かドラマで見る恋人同士の再会シーンみたいで、少し妙な気分だった。
それでも僕の歩調は、不思議と緩まなかった。この引力じみた吸引力は一体何だろうと考えてしまうほど、自分の気が急いている。
信号機のボタンを押して横断歩道が青に変わるのを待つ間、彼女も通りの向こうに立つ。他に誰もいない道路を挟み、二人で向き合う格好となった。
信号を待つ間に寒さが身にしみて、自然と足踏みになる。
この寒空の下で、彼女はどれくらい僕を待っていたのだろう。あの女王様は、前からこんなに健気だったのだろうか。そして彼女に、どんな言葉を掛けるべきだろう。
差し迫った話題もない中で、何か早まったことをしているような不安が、突然僕の中を駆け抜けた。
横断歩道の前に車が止まり、信号が青に変わる。寂しい横断歩道に、通りゃんせのか細いメロディーが流れる。
彼女は僕より先に車道へ踏み出し、小走りでやってきた。結局僕は、道路を渡らず彼女を待った。
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