第3話 招待ライブ
バンドのメンバーは示し合わせて、揃って東京の大学へ進んだ。田舎でバンド活動の手応えを得て、今度はそれを東京で試したかったということだ。
もちろん都会に出て一人暮らしを始めるというのは、自分にとって人生を左右するかのような大事件だ。しかし当時、それをそんな軽薄な理由で決めていいかという迷いはなかった。
あるわけがない。東京で暮して、東京でバンドをやりたかったのだから。
若いうちは、思考や論理と決断や行動の間に様々な断層がある。しかし当時の自分は、そんなことを自覚できるはずもなかった。常に先行する思いは、今しかできないことをやっておきたいといったものや、どうにかなるというものだ。よく言えば意欲的あるいは情熱的、悪く言えば楽観的で無謀、独りよがりといったものだ。
東京に出た僕は先ず、真っ直ぐ進む電車と右や左からやってくる電車が、上下で交差するという立体的な鉄道の構造と配置に、未来都市を見たかのように驚いた。日本経済の規模や底力を、そこに見せつけられたような気がしたのだ。
田舎で電車を利用するときは、時刻表で時間を確認し、それに合わせて駅へ行く必要があった。しかし、次々と電車がやってくる都会はそんな面倒なことが不要で、僕はそこに、生活レベルがランクアップしたような錯覚を覚えた。
そして特に東京へやってきたことを強く実感させたのが、いつでもFM東京を聴けることだった。常に最新の洋楽ヒット曲をノイズのない音で楽しめることは、自分にとって何にも変え難い喜びであった。
しかし生活に慣れてくると、そこに潜むネガティブな面も見えるようになった。都会は多くの人が集まるせいで、眠らない街があり、多種多様な人間の欲望が渦巻いている。
人間の欲望に応えることこそが、ビジネスの根幹だ。
結果、何でも物流し、金儲けが最重要という考えが潮流としてある。近所付き合い、人情、そんなものは二の次で、危ない人がいるから知らない人には関わるなという教えもある。
孤独は慣れているものの、都会の孤独はまた違う種類のそれのような気がした。そして田舎では感じられないせせこましさがある。
とにかく多くの欲望や思惑や悪巧みや良心や親切やなんやかやが混ざり合い、ときにはそこから自分を防衛する必要が生じる。実際には防衛が必要ない状況でも、よく分からないから人間性悪説が前提の態度や行動となる。結果都会から人情が消えた。そのせいか気が休まらず、とにかく疲れやすい。
しかしそんなことはお構いなしに、東京へ出てからというものボーカルの隆史は、積極的にみんなを引っ張った。
レコード会社のプロモーションイベントがあれば参加し、有名なライブハウスのオーディションを受け、それらのレギュラーバンドになった。路上ライブを頻繁にやり、渋谷公会堂のような大きなステージにも出演できた。出演バンドは東京で名の売れたバンドや、既にインディーズ系でデビューを果たしたバンドに限られ、のちにメジャーデビューを果たしたバンドもそこに混ざっていた。東京は田舎と違い、そういう世界の懐が段違いに深かった。
僕たちはいつでも、ステージのパフォーマンス性を重視した。観客を盛り上げてなんぼの世界であることを、僕たちは肌身で知っていた。いくら上手に演奏しても、感動や感激のないバンドは脈がない。上手だね、と褒められることはあっても、それが観客の心を動かすには至らないのだ。つまりクリエイティブな世界でよくある、人の魂を揺さぶるためのプラスアルファが必要ということだ。
しかし僕たちは、そこでも客に迎合しなかった。自分たちが自分たちのステージに酔いしれるにはどうすればいいのか、その点だけにフォーカスした。自身が陶酔できるステージを実現すれば、客が盛り上がるのも常だったからだ。
全てが刺激的で、躍動的だった。夢があり、その分創作に苦悩が付き纏うようになり、しかし満足のいくものができれば喜びも大きかった。
主な活動は東京都内のライブハウス出演で、依頼があれば、地方のステージにもできる限り出向いた。普段人間関係の全くない人たちの反応は、掛け値なしに受け取れるからだ。
東京での活動がニ年目を迎えたクリスマス直前にも、僕たちは宮城県仙台市の、あるライブハウスに遠征することが決まっていた。その店で主催するクリスマスイベントに、出演依頼があったのだ。過去にも数回、そこで演奏させてもらっている。
僕たちは当日の午前中、東北新幹線で仙台へ移動した。
仙台駅に降り立つと、尖った冷気が肌を突き刺す。たかだか三百五十キロ北上しただけで、寒さの質が東京と明らかに違うのだ。それだけで、否が応でも遠征気分が盛り上がる。
ライブハウスは仙台市街から外れた、四百人を収容できる箱を持つ大型店だ。コンクリート打ちっぱなしの天井には、空調や電気配線の太い管がむき出しになり、照明設備がいくつもぶら下がっている。音響調整のため、全ての壁は厚手の黒カーテンで覆われているから、照明が落ちたら真っ暗だ。
当日は出演バンドが多く、客も満員御礼状態だった。他のバンドと比べられるという意識が働き、緊張と気合が生まれる。
自分たちの出番になり、僕たちは四百人を超える観客の前で、演奏の準備を始めた。観客の中には、少なからず僕たちの出番を心待ちにしている人がいる。会場はまだ静まり返っていた。そこに集まる人たちの度肝を抜いてやろうと、僕たちはいつものように、静かな闘志をみなぎらせる。
準備が整い、室内照明が落ちた。
ドラムがソロで、バスとスネアのスローなフォービートを刻み始める。
バスは腹に響き、スネアは抜けるような鋭い音に軽くエコーが掛かる。ドラムの周りが、薄暗いブルーの照明で照らされていた。
四小節のドラムソロに続き、ベースがエイトビートの音を被せ、更に時間差を付けツービートでギターがねっとりと演奏に加わる。マイナーコード進行で、ときどきハウリングを誘発するよう、リズムの刻みを止めてコードの音を引き伸ばす。
ここで音がよく出てくれば、僕たちは頭で考えることを止め、あとは身体が覚えている演奏を陶酔の中で進めるだけだ。
客の身体がリズムに合わせて動き出す頃からボーカルが登場し、歌というよりシャウトに近い声を張り上げ客を巻き込む。
そしてフォービート基調の最後の音をギターとベースで引っ張り、ギターのハウリングと共に、ドラムのスネア連打で急激に曲をエイトビートへと切り替える。
同時に白いスモークが猛然と吐き出され、ステージ上にフラッシュが点滅する。店内が興奮の坩堝と化すまで、さほど時間は掛からなかった。
ステージから逆光で見えにくい観客が、縦ノリでリズムを取り出すのを感じる。演奏側と観客が、一体になる瞬間だ。
大勢の観客が揃って縦ノリ状態になると、もし客観的にそれを観ている人がいたら、その人は怖いものを感じるらしい。縦ノリ集団が、集団トランス状態に見えるからだ。
暗がりに包まれた会場が、ひと塊となって揺れ出す。観客にもフラッシュが降り注がれ、みんなが髪を振り乱した。もはやトランス状態。
僕は腰を落とし、ギターを膝まで下げて素早くコードを移していく。時折マイクスタンドをボトルネック替わりに使い、ぎらつくスライド音を入れながら、同時に低音の弦でコードを奏でる。
客のボルテージが、また一段高まったのを感じたときだ。僕はふと、客席のある女性に気付いた。彼女は身体を動かすこともなく、じっと立ってステージを見つめている。
リズムに揺れる客の中で、固定されたその女性の顔が、一瞬亡霊のように見えた。身体はじっとしている割に、突き刺すように鋭い視線は、周囲と異質の思い詰めた空気を纏っていた。
だからこそ、僕は気を奪われたのだ。通常僕たちは、一旦自分たちの世界に入ってしまえば客など見ていない。ただ客を、視覚でも聴覚でもなく、五感を超えた部分で感じるだけとなる。けれど僕は演奏中に、彼女と目が合ったような気がした。
ギターを弾き身体を動かしながら、僕はその女性の面影に、記憶の断片を刺激された。
「佐伯?」
照明がステージを照らし出すと、自分から客席が見えなくなる。再びスポットライトが客席を舐めたとき、もう彼女はそこにいなかった。
僕は演奏しながら、もう一度客席を見回したけれど、結局彼女を探し当てることはできなかった。観客席は、盛り上がる客で熱気を帯びている。
僕は再び、パンクで荒れる狂気の世界へ引きずり込まれた。
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