#2
翌日。
ボクはスミレと一緒に、近所のアクセサリーショップに来ていた。
スミレの意見を聞くために、常に通話状態にして店内を歩く。
きっと他人からすれば、ボクは誰かの意見を聞いて買い物をしているように見えるのだろう。
「お花がいいです。それもスミレの」
小さな銀色の十字架ばかりが並べられたコーナーに立ったボクに、スミレはそう言った。
一応、ボクは男の子だよ、と反論したが、スミレに「これだけは譲れません!」と、これまた大声で言われ、しぶしぶスミレのストラップを買うことにした。
家に帰ってボクは、スミレに買ったストラップを取り付ける。
何だか味気なかった黒色の長方形に、何だか個性が生まれたような気がした。
「ほら、つけたよ」
スミレにそう言うと、電話の向こうで彼女は小さく息を漏らした。
「あぁ……ありがとうございます」
その声の裏に、どれほどの感情が隠されているのだろうか。
彼女の声は、わずかだか震えていて、それを押し殺すように、わざと低い声を出していた。
「わたしたちは、生まれたままの姿では、誰とも変わらないのです。誰かに、何かをつけてもらわないと、その他大勢と同じになってしまう。だから、あなたが買ってくださったこのスミレの花は、わたしの宝物です」
なんだか、すごくボクに『偏っている』気がする。
彼女のあまりにもボクを信用する言葉に、少し引っかかってしまった。
「あのさ。変なことかもしれないけど、スミレは何も見えないし、何も感じないんだよね?
ってことは、キミにスミレのストラップが付いているかどうかも、わからないんだよね?
もしかしたら、別のストラップが付いているかもしれない。それこそ、銀の十字架とかが」
ボクの問いから、ややあって、彼女は落ち着いた声で返す。
「そうですね。確かにそのとおりです。わたしには、声しか聞こえません。
あなたの言葉が、わたしの世界の全て、と言っても過言ではありません。
ですから、あなたが好きなように言えば、それら全てが、わたしにとっての真実になりえます。
もしわたしに付いているのが、スミレのストラップでなかったとしても、わたしにはわかりません。
でも、あなたは嘘を付いていませんでしたよ。
もし、嘘をついていたとしたら、あなたの声はきっと、あんなに穏やかではなかったでしょうから」
◆◆◆
学校の図書室というところが、ボクは大好きだった。
静かだし、ボクの好きな本もたくさんある。
中でも『UMA大百科』なる、いかにも眉唾な書籍がボクの大好物で、放課後、図書室でじっくり一時間読みふけるのが日課になっていた。
今日もその例に漏れることなく、手馴れた動作で見慣れた本棚から借り慣れた本を引き抜いた。
厚さとしては、週刊誌並みにペラいその本を、ボクは白く長い机の上に置き、腰を深く座って読む。
ツチノコやら、ビッグフットやらが、さも実在するかの如く書かれたページをめくり、ボクはもしかしたら、スミレもここに載っているかもしれない、と考える。
「もしもし」
誰かに尋ねる言葉ではあるが、口調は決してそうではない声が、ボクの耳に飛んでくる。
その声の主は女の子で、座っているボクの側で仁王立ちして、見下ろしていた。
黒くて長い髪に、陶器みたいに白い肌。人形みたいに大きな瞳に、小さな顔。
間近で、あまりにも綺麗なその子を見てしまって、ボクの心臓は寿命が縮むくらいに、早鐘を打っていた。
「な、何か?」
のどに絡まって、急にシャイになった言葉を何とか外に引っ張りだして、ボクは答える。
「その本」
彼女は、机の上に広げられた『UMA大百科』を指差す。
「アタシに貸してもらえないかしら?」
「え?」と、思わずボクはつぶやいてしまう。
「いつもいつも、放課後借りに来てもなかったのよ、その本。ずっと借りたかったのに。あなたが借りてたのね」
むぅと膨れて、彼女はボクをじっと見つめる。大きな瞳が、ボクを見据えた。
「その、出来ればで、いいんだけど。あなたが読み終えたら、次はアタシに貸すっていう、約束をしてもらえない?」
「う、うん。いいよ。っていうか、本当はもう読み終わっちゃってるんだ。だから、はい」
――読み終わった、というのは嘘だ。本当は、この子が喜ぶところが見たかったから。
だから、ボクは嘘をついた。
「ほ、本当に?」
彼女はヒマワリのような笑みを浮かべて、甲高く、大きな声を上げた。
うれしそうに、短く礼を言ってボクの手から、その本をひったくって、大事そうに両手で持つ。
「ねぇ」
あんまりにも彼女が嬉しそうだったから、ボクはもしかして、と。
「君、もしかして、そういうの、すきなの?」
「そうだけど?」
変? とそんな顔をして、彼女は答える。
「なら、ボク、そういう本いっぱい持ってるよ。それも貸してあげようか?」
次に聞いたのは、またしても彼女の甲高い声と、そして『ありがとう』の乱舞だった。
◆◆◆
スミレの声を穏やかな川の流れ、せせらぎとすると、彼女の声は気ままな風だ。
ときに酷く穏やかで、ときに酷く荒々しい。
感情の起伏が、とてもわかりやすい。
声を聞いただけで、喜怒哀楽が否応なしにわかるのだ。
図書室での一見以来、ボクらは度々会うようになった。同じ趣味を持つもの同士、親睦を深めるのに、さほどの時間は必要なかった。
すぐにボクたちは互いの携帯電話の番号と、住所を交換しあった。
彼女は、ボクと同じ学年で、隣のクラスの生徒。名前は『港霧絵(ミナト キリエ)』。
『霧って感じが入ってる割に、君ってすごくはっきりしてるよね』とボクが言ったら、彼女は『裏表がないってこと?』と、少し不満をぶつけてきた。
その会話が行われたのは、寝る少し前で。
それはつまり、スミレと話す数分前の時刻だった。
「どうして、そんなに不満そうなのさ」
ボクがベッドの上に座って携帯の向こうの、彼女に言う。
「だって、それってつまり、アタシが単細胞みたいってことじゃない。こう、単純っていうか」
電話の向こうの港の声は、わずかに曇っていた。
のどの奥で、息を殺すような音が聞こえる。
「ボクはそれで良いと思うけどな。だって、君の言う言葉は、全部本当なんだから。それってすごく良いことだと思うよ。誰も裏切らないもん」
「なるほどねぇ。すごく前向きに考えると、そういうこともあるわね」
それから、少しの間をおいて、彼女はまた次の言葉をつむぐ。
「あのさ、なんだかいやな質問になっちゃうけど。もしかして、アナタって前に誰かに騙されたりしたの?」
「うん。前に飼ってた犬なんだけどね。マルチーズだと思ってたら、じつは狆っていう日本犬だったんだよ」
「それ、は、酷い話、ね………」
彼女の声は、アハハハハ、ときっと目に涙さえ浮かべているであろうほどの、嬌声となって、それじゃ、と言い残して切れた。
ボクはしばらく、ベッドの上で一人横になって天井を見上げる。
天井の染みがだんだん人の顔に見えてきたところで、スミレに『話しかけられた』。
「誰ですか、あの人は」
と、スミレの声はほんの少しだけ、苛立ちを帯びていた。
彼女の透明な青色の声音が、わずかに紺に染まったような。
「なんだか最近、ずっとアナタと喋っていませんか?」
矢継ぎ早にボクの耳に飛び込む彼女の言葉は、今までのものとはあまりにも違うものだった。
「どうしたのさ、急に」
軋むような音を立てる心を押さえつけて、ボクは答える。
「いえ。ただ………以前より、わたしとの対話が減ったような気がしたので」
その声は、あまりにも弱弱しく。
前のような、はきはきとした口調ではなく、今にも泣いてしまいそうな。
いや、もしかしたらもう、彼女は涙を零しているかもしれないくらいの声だった。
ボクの声こそが、世界のすべてだと、以前彼女は言った。この声だけが、他者とのつながりなのだと。
もしそれが少なくなってしまったら、きっと悲しいはずなのに。ボクは気づくことが、出来なかったのだ。
「あ」
ボクは返事に困ってしまった。『大丈夫』では、安いのだ。『ボクはずっと一緒だよ』では、うそ臭い。
では、なんと彼女に言えば良い。一言でなくて良い。彼女を救えるだけの言葉が、今のボクには見つからなくて。
―――ボクはその時初めて、言葉というものの重さを知ったのだ。
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