voice

ガイシユウ

#1

 

 娘が携帯をほしいと言い出した。

 

 高校の受験に合格したから、その褒美だ、というのが娘の主張。

 ワタシが妻に相談したところ、「もう良いんじゃないの?」と彼女は承諾した。

 そういうわけで、ワタシと娘の二人で携帯を買いに行くことになり、現在。

 娘は店先に並ぶ携帯に夢中である。

 

 ――あれはいつの話だっただろうか。

 

 ワタシもかつては、今の娘のように目を輝かせて、この手の中に納まる機械を眺めていたに違いない。


『彼女』と出会ったのは、ワタシが高校の受験に合格した、その次の日だ。

 店先に並ぶ携帯の中で一つを選び、店員がそれと同じ機種のものを持ってきた。

 白い箱に丁寧に包まれて、艶のある黒い直方体がワタシの前に置かれる。

 

 それが、『彼女』との初めての出会いだった。


◆◆◆


 携帯を初めて手にした夜。

 ボクは嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて仕方がなくて。


 もう高校生になると言うのに、こんな小さな機械でこんなにも心が上下する自分に、苦笑いを浮かべながらも、それでも嬉しかった。


 なんだか、大人の仲間入りをしたかのような感覚。


 この感じは、初めて親にインスタントカメラを買ってもらった時のようだ。子供が背伸びして手に入れた『大人』の証。


 この小さくて黒い長方形が、今のボクにとってはそうだったのだ。

 

 ――もう寝ないと。

 

 ボクは携帯を枕元において、目を閉じた。

 目を閉じても、時々携帯があることを確かめるように、右手を耳の側に伸ばして触れる。冷たくて硬いものが指先に当たりホットする。


 その繰り返しを何順かしたところで、変化は起きた。


 真夜中の午前二時だというのに、携帯が震えたのだ。

 マナーモードにしていたので、鳴り響くことはなかったが、いかんせん枕元に置いていたせいで、バイブの振動が頭に響いてしまった。

 

 ――誰からだろう。

 

 ボクは、小刻みに震える携帯を手にして、ぱかりと開いてディスプレイで相手を確認する。


 だがしかし、相手は謎のまま。

 なぜなら、表示されたディスプレイの電話番号は、ボクの持つ携帯のそれと同じだったのだから。


 出るか出ないか。


 それを決める間も携帯はなり続け、さんざ迷ったあげく、ボクは電話に出た。


「あ、あの!」

 夜の闇に溶けて浮くような、少女の声。


 凛としていて、けれどそれでいて、どこか儚げで。もしボクが右手を強く振ってしまえば、霧散してしまいそうな、そんな声。


「はい。えっと、どちらさまですか?」

 電話の向こうの相手とは裏腹に、ボクは落ち着いた声で対処する。

 いや、内心は恐怖と焦りで満ち溢れていた。


 自分と同じ電話番号を持つ携帯が、存在するとは考えていなかったからだ。

 必死に頭を動かしながら、ただ受け答えに全ての思考を費やした。


「初めまして。わたしは、アナタの携帯です」



 その声がボクの思うようなものではないと知ったのは、彼女と出会ったその翌日だ。


 夜中の話をすると、クラスメイトたちは渋い顔をして、「不良品をつかまされたんじゃないのか」という。


「本人」に聞いてみても、彼女はただ自分が「ケータイ」としか言わず、それ以外の何者でもない、と答えるだけだ。


 彼女の話をまるきり信じるわけではないが、しかしそれ以外に現状を説明できる事実は、ボクの頭にはなかった。


 

「でさ、キミの名前は一体なんていうの?」


 彼女がケータイであると、そう納得してから少し経ったある日。

 ボクはふと、そんなことを彼女に聞いた。


 降りしきる五月の雨音を縫うような、彼女の細い声がボクの耳に届く。


「――名前?」

 彼女の声は困惑の一色に染まっていて、ほんの少しだけ泣きそうな、そんな声。


 ボクはそんな声を聞いてしまって、押し黙るしかなかった。


 ――彼女には名前がなかった。


 なんとかしないと、とボクは頭をフルに回転させる。


「わたしには、名前がありません」と彼女は、解決策を模索しているボクに割り込んだ。


「もし……。もしですよ。あなたがよろしければ、名前をつけていただけませんか?」

「え? ボクが?」


 突如として出現した解決策は、それはとても素敵なことだろうが、ボクにとっては非常に困ったものだった。


 なぜなら、ペットの犬猫ならともかく、『彼女(?)』の名前の決めるなんて。

 なんというか、クラスメイトに『頼む、俺の名前を決めてくれ』と言われるようなものだ。


 さっきまで高速で回っていたボクの頭は、すでにぴたりと止まっている。


「え、え~っと、ね~」


 と、しどろもどろになりながら、ボクは何かないかと、自室を見回す。

 だが、部屋にあるものといえば、教科書やらマンガやら、携帯ゲーム機やらばかりで。


「あの、あの!」

 彼女の声がボクの耳に響いた。


「できれば、わたしが生まれた日にちなんだもので、考えていただけないでしょうか。わたしが稼動したのは、たしか四月二十四日だったはずです」


「じゃあ、四月の――、」

 とボクは部屋のカレンダーを一ページ前に戻してつぶやく。

 日付が書かれた上に、きれいな『スミレ』が映っていた。


「花にしよう。四月の花。そう、スミレだ。キミは今日から、スミレだよ」


「―――スミレ」

 彼女はかみ締めるように言う。その声には、うれしさと何かの契約めいた響きが混じっていた。


「はい! わたしは今からスミレです」

 いつもよりも、少し高く、そして飛び跳ねるように『スミレ』はその言葉を口にした。


 スミレとの生活は、ボクにとってみれば、とても新鮮なものだった。

 なぜなら、両親以外でこんなにも自分と常に、話し、そばにいる『存在』は居なかったのだから。


 仲のよいクラスメイトと言えど、こうまではならないだろう。

 彼らとは、四六時中話しをすることは出来ないし、夜寝る前にベッドの中でこそこそと話をすることも出来ない。


 スミレと一緒に過ごす間に、いくつかわかったことがある。


 まず、彼女には目がない。

 というのも、スミレが感じられるのは、音だけで、ほかは何も見えないし、感じないそうだ。


「それってどんな感じなの?」

 とボクが以前聞くと、彼女は

「とてもさびしいんです。真っ暗で、一人ぼっち『でした』。えぇ、過去の話です。今は、あなたが居ますから」

 とちょっと、誇らしげな声で答えてくれた。


 彼女からも着信という形で、ボクに話しかけることが出来る。

 また彼女の以外との通話も聞こえているらしい。


 クラスメイトたちとの会話や、両親に頼まれた買い物の内容も、スミレには全部筒抜けだった。

 なんだか、プライバシーを覗かれているような気もしたが、彼女ならば、とボクは心の中で許していた。


 次に、バッテリーだ。

 どうやら、彼女はバッテリーが切れると死んでしまうらしい。まさに、寿命なのだそうだ。

 その話を聞いてから、ボクは常にスミレの電池残量に気を配るようになった。

 ちょっとした油断で、彼女との関係が終わってしまうのは嫌だ。


 その日、ボクとスミレはいつものように、一緒に布団に入り、夜、こそこそと二人きりで話をしていた。


 夜、寝る前に彼女と話すのが、いつしかボクの日課になっていた。


 まるで、ベッドの中でこっそり漫画を読んでいた、あのころのような興奮が、ボクを包む。

 彼女との会話は、そういったものを感じさせてくれる。


「あの」スミレのやや遠慮がちな声が、夜の闇の中から聞こえる。「ひとつだけ、お願いをしてもいいでしょうか?」

「何?」


 普段、めったに何かを頼むことのない彼女が。とボクは少し珍しがった。


「わたしに、何かストラップ等は付いていますでしょうか?」


 ストラップ。ボクはそういえば、と彼女の左上を見つめる。そこには、紐を通すべき二つの穴があり、まだ空いたままだ。

 ボクはスミレを買ってから、一度もストラップをつけていない。


「いや、そういえば、買ってから何も付けてないなぁ」

 と、少しだけ申し訳なく思いながら、ボクは答える。


「そうですか」

 彼女の声は沈んでいて、ほんの少しだけ泣きそうなソレだった。


 なんだかとても悪いようなことをした気になって、ボクは慌てて言葉を継ぎ足す。


「じゃあ、明日何か買いに行こうか。スミレの好きなストラップを買おう」


「本当ですか!?」

 もう夜中だというのに、彼女の声は甲高く大きく。


 痛いくらい嬉しがっているのが伝わって。

 

 ボクはそれが嬉しかった。

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