第198話 たとえ全てを敵に回しても

「それじゃあ、もうあの男は好きにしていいんですのね?」

「あぁ。問題ない。もう血は手に入れた。後はお前の好きにしろ」

「うふふっ、ではお言葉通りに。失礼しますわ」


 高貴な令嬢を思わせる立ち振る舞いで一礼してから、ネヴァンが姿を消す。

 

「……ふぅ」


 それを見届けてからハルミチは深く座り直し、ため息をついてから天井を仰いだ。


「これでようやく一段階……長かった。ここまでこぎつけるのにどれだけの時間がかかったか……」


 すでに長い時を生きているハルミチの人生全体からすれば、この準備にかけた期間はそれほど長いものではなかったのかもしれない。

 だが、それでも長いと感じるほどにハルミチは動きだせるこの時を待っていたのだ。


「こういう気持ちは……一日千秋、だったか? まさしくそれだな」


 かつて友人から聞いた言葉を思い出し、小さく笑う。だがその表情はすぐに陰った。


「クロエ……」


 死んだと思っていた友人。かつて共に旅をした仲間。

 生きていることはノインからの報告で知った。だが、知っているだけであるのと、実際に会って生きているのを目の当たりにするのでは雲泥の差がある。

 クロエを目の前にした時、なんともいえない情動を感じたが、ハルミチはそれを無視した。

 己の感情は目的遂行のために邪魔でしかなかったから。

 だがそれでも間を置いてしまえば思い出すのはクロエのことばかりだった。


「っ……ダメだ。この程度のことで心を揺らすな。たとえあいつが敵に回ったとしても、俺は俺の目的を果たさなければいけないんだ」

「……マスター」

「ハクアか」


 ハルミチの元へやって来たのはハルミチと契約した魔剣であるハクアだった。

 肌も髪もなにもかもが白い。それに加えて人形のような美しさ。その無表情さも相まって、動いていなければ本当に人形と見間違える人もいるだろう。


「……何かあった?」

「なんのことだ?」

「誤魔化さなくてもいい。マスターのことは全部わかる。あの子のこと思い出してたの?」

「はぁ、こういう時契約してるっていうのは厄介だな。まるで全部見抜かれてるような気分になる」

「別に契約してるからわかったわけじゃない」

「どういうことだ?」

「マスターのことずっと見てるから。わかって当たり前」

「…………」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。お前の言う通りだよ。あいつの……クロエのことを思い出してた」

「クロエ……クロエ・ハルカゼ。マスターがかつて一緒に旅をした元仲間。あれがそうなの?」

「あぁそうだ。なんだかもうずいぶん前のことに思えるがな。いや、実際にもうずいぶん前のことになるのか」


 一緒に旅をしていた日々のことは今もハルミチの中に刻みこまれている。何があっても決して忘れることはない記憶だ。だが、今はもう違う。

 ハルミチとクロエの道は違え、キアラはもういない。


「彼女、契約してた」

「レイヴェル・アークナーか。確かに妙な力を持った奴みたいだが……」


 クロエの隣にいた少年。一目見てすぐにわかった。

 あの男がクロエと契約した奴なのだと。

 不思議な何かを感じさせる少年だった。クロエが契約したのも、そういった部分に惹かれてのことなのかもしれないと思わせるほどの。


「まぁ問題はないだろ。俺とお前の敵じゃない」

「そんなの当たり前。私達は最強。たとえ誰が相手でも負けない」


 少しだけ誇らしげに見えるハクアの様子にハルミチは少しだけ相貌を崩す。一緒に過ごす時間が長くなってきたおかげか、ハクアの些細な感情の機微を読み取れるようになっていた。


「そうだ。思い出した。ノインが次の準備ができたって」

「そうか。なら次の段階に移るとしよう」

「今回はどうするの?」

「そうだな……ファーラとヴァルガにはすでに別件動いてもらってる。ネヴァンもあの状態では使えない。だから今回はクランにグリモアへ行ってもらうとしよう」

「あの人に頼むの?」

「仕方ないだろ。すぐに動けるのは彼女しかいない」

「……マスターがそう言うなら。伝えてくる」

「あぁ、頼んだ」


 力を使って道を開いたハクアが姿を消す。そして部屋には再びハルミチ一人だけになった。


「……ふぅ。考えることもやることも山積みだ。今はクロエのことは気にしていられない。あいつのことは後回しだ」


 ハルミチは立ち上がり、部屋の奥の方に目を向ける。

 そこにはカプセル型の機械があった。中は特殊な液体、培養液のようなもので満ちている。

 その中には一人の少女が浮かんでいた。

 ハルミチにとってこの世界で誰よりも大切な少女。


「待っていてくれキアラ。もうすぐ……もうすぐだ。後少しでまたお前に会える。そうすればきっと……」


 培養液の中の少女——キアラを見つめるその目に浮かぶのは様々な感情。だが、その全てを押し殺しハルミチは決意を新たにする。


「そうだ。絶対に取り戻す。たとえ全てを敵に回しても、クロエをこの手で葬り去ることになったとしても」

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