第196話 理想と現実

〈レイヴェル視点〉


 重苦しい空気が部屋の中に充満する。後ろにいる俺はともかく、対峙してる二人はどれほどの緊張感の中にいるのか想像もつかない。

 そして、最初に口を開いたのはクロエだった。


「カムイ、私が来た理由わかってるよね」

「……あぁ、そうだな。ここまで来て知らぬ存ぜぬでは通せぬであろうこともな。その様子だとローゼリンデから情報を貰ったということか」

「そうだね。情報料はまともに払えなかったけど、それなりの情報はもらった」

「ふっ、やはり彼女は貴様には甘いな。ワシが彼女から情報を買うのにどれだけの金を積んだことか」

「甘いって言うならもっと色々情報欲しいんだけどね」


 和やかなやり取りとは裏腹に、そこに張り詰める緊張感は少しも和らぐことはなかった。

 いつ切り込むかタイミングを計ってる、そんな感じだ。

 思わずゴクリと唾をのむ。


「今回の一件……全部、カムイの考えたことだったんだよね。ううん、正確に言うなら起きてる事を全部利用して今の状況を作りあげた。そうでしょ?」

「ど、どういうことだよクロエ。全部獣王様が考えたことだって」

「さっきロゼが言ってたでしょ。ロゼの所に来る前にとある人物に会ってたって、それがカムイだったってこと。今回の一連の騒動は一年前からカムイとハルが仕組んでたことだったの」

「仕組んでたって……いや、そんなことして何になるんだよ、どう考えても獣王様には不利益しかないだろ」


 国宝である『月天宝』は奪われ、この国にあった精霊の森も襲われた。しかもファーラさんとヴァルガさんはこの国を裏切ってあのハルミチってやつと一緒に去って行った。コルヴァも攫われてどうなったかわからない。

 獣王様にとってプラスに働く要素なんて何一つないはずだ。


「あるんだよ、カムイにとってプラスになることが。そうだよね」

「…………」


 獣王様は何も答えない。だが、答えないということが何よりも如実に答えになっていた。


「なんなんだよ、そのプラスになることって」

「いくつか考えられるけど……一番は、狐族の力を削ぐことかな」

「狐族の?」

「レイヴェルも聞いたでしょ。今のこの国で狐族の評判はあんまり……というか、良くないってことを。たぶんだけど……コルヴァ達は現王政への、カムイへの反乱を考えてたんじゃないかな。裏で同じようにカムイへの不満を抱えてる人たちを纏めあげて。その旗頭になってたのがコルヴァ達狐族だったんだと思う」

「……そんなことが」

「狐族が裏切っていることはわかっていた。でも明確な証拠は掴めていなかった。だからカムイは餌を撒いた。ハルと協力する形で罠を仕掛けて、狐族が食いついてくるように」

「…………」

「そしてカムイ達の予想通り、狐族は食いついてきて……ハル達と取引をする形で魔剣を手に入れようとした。そんなところじゃない? 間違ってる?」

「……いや、おおよそその通りだ。よくわかったものだ」

「これだけ材料を揃えられたらね。そっちにとって予想外だったのは、ライアが……【剣聖姫】が想像以上に強かったことと、私達が来たことかな」

「あぁ、まさしくその通りだ」

「待ってくれ。どうしてそこまでして……証拠を揃えるくらいなら別にそいつらを手を借りる必要なんてないだろ。時間はかかるかもしれないけど」

「この国を守るため……でしょ」

「……はぁ、本当はロゼから全部聞いていたのではないかと思うほどだな」


 獣王様は観念したようにため息を吐き、椅子に深く座り直す。


「あやつが……ハルミチがワシの元に来たのはロゼの言う通り一年ほど前のことだった。突然やって来たあやつは、ワシに向かってこう言った『俺に協力してくれれば、カムイの憂いを排除してあげる』とな。そしてその報酬として求められたのが『月天宝』と『狐族の血』だった」

「ハルがそんなことを……」

「もちろん最初は断った。いくら旧友とはいえ、手を借りるわけにはいかないと。それに何よりあやつの纏う雰囲気が普通では無かったからな」


 確かにロゼさんもそんな感じのこと言ってたな。そんなに変わってるのか。

 そこで獣王様の声が一段低くなる。


「だが、ワシが断ると奴は『月天宝』を力づくでも奪うと言い出した。そしてそれができるだけの武力があることも見せられた。あの白き魔剣の少女だ。あれの力は普通ではなかった。立ち会った兵が、そしてヴァレスがいとも容易く敗れてしまうほどに」

「でも、彼も魔剣使いなんでしょう?」

「あぁ、だがハルとあの少女の力は想像を超えていた。その時点でワシの選択肢はほとんどなくなったと言ってもいい。だがまぁ、考え方を変えれば渡りに船の提案ではあった」

「え?」

「国宝である『月天宝』を失うのは痛いが、それでこの国の不穏分子をあぶり出せるのであればつり合いが取れるだろう。そしてハルミチの組織が持つ武力の危機に晒されることも無くなる。今はハルミチに感謝しているほどだ」

「どうして……」


 クロエの肩が震えている。それは怒りのせいか、悲しみのせいか。

 絞り出すような声で言った。


「本当にそれでよかったと思ってるの?」

「……どういうことだ?」

「ハルの提案に乗って、不穏分子をあぶり出して。それでよかったって、本気で言ってるの?」

「……あぁ、でなければ狐族の反乱を裏付ける証拠を揃えるのは大変だっただろうからな。その時間が省けただけでも上々だろう」

「そうやって誤魔化さないで! わかってるでしょ。カムイ……あなたは国民を売ったんだよ? 不穏分子だったなんて言うけど、それでも狐族だってあなたの守るべき民なのに」

「…………」

「ねぇ覚えてる? あなたはこの国の王になった時のこと。あなた私に言ったよね。このケルノス連合国に住む民に違いはない。善人も悪人も、全てが俺の愛すべき民だって。その言葉通り、あなたはどんな人とだって正面からぶつかってわかり合って、この国を理想に近づけようとしてきた。それなのにどうしてっ!」


 奥底から溢れ出る激しい感情をクロエは獣王様にぶつけた。

 だが、そんなクロエに大して獣王様は冷たく言い放った。


「理想と現実は違うのだクロエよ」

「え……」

「確かに言った。このケルノス連合国に住む限り善人も悪人も愛すべき民であると。だが、それは所詮綺麗事だ」

「…………」

「この国の中だけで済むのであればまだマシだっただろう。だがそうではない。この国の領土を狙う外敵は確かに存在する。ワシはそんな奴らから国を守らねばならんのだ。そんな時に内敵にかまけているわけにはいかんのだ」

「だから排除するっていうの?」

「あぁそうだ。ワシの意に沿わぬというのであれば、それすなわちこの国の敵だ」

「それ……本気で言ってるの?」

「王はワシだ。ワシはこの国を守らねばならんのだ。もしハルミチの提案を断ればどうなったか……考えずともわかる。ハルミチの持つ圧倒的な力を使われ、力づくで『月天宝』は奪われていただろう。ヴァレスはそれを守るために戦い死んでいたかもしれん。そして魔剣使いというこの国の絶対守護者を失えば、我先にと外敵がこの国を攻めてくる。そんなことを認めるわけにはいかんのだ」

「だから、狐族くらいは売ってもいいって?」

「それに何の問題がある。あやつらは内敵だ。この国の力を損なわず、内敵を処理でき、ハルミチ達と争う必要もなくなる」

「昔のあなたは——」

「今と昔は違う」

「っ!」

「不変であるお前達とワシは違う。所詮はただの獣人。この歳になればできることにも限界がある。守るべきものも多くある。全てを救い、全てを守る。確かにそれができれば理想的だろう。だが、理想は所詮理想でしかない。王たるワシが現実を見なければならん。その意味で……お前の知るカムイはもういない」

「ぁ……っ……」


 手が真っ白になるほど強く手を握りしめるクロエ。その胸中に渦巻く感情がどれほどのものであるのか想像もできない。


「王に求められるのは正しく現実を見て、民を導く力だ。理想を謳うだけの王は国を破滅に導くだけだ」


 おそらくそれが獣王様が王として生きていくなかで出した答えなんだろう。

 でも……。


「確かに獣王様の言う通りかもしれません。王になったことが無い俺にはわからないことだらけですから。でも、だからって理想を目指さないのは違うと思います」

「……なに?」

「理想を掲げ、そこに至る現実的な道を作りあげる。それもまた王としての在り方なんじゃないかってそう思うんです」

「レイヴェル……」

「それに、さっきからずっと外敵、内敵って、敵にばっかり目を向けてますけど。外にだって味方はいるはずじゃないですか。どうして全部自分の力だけでなんとかしようとするんですか」

「黙れ。何も知らぬお前が……」

「えぇ知りません。あなたから見れば俺なんて政治のことなんて何もわかってないただの若造でしょう。でも、だからこそ言えます。今のあなたは王として間違ってるって」

「ワシが……間違っているだと?」

「確かに敵も多いかもしれない。でも絶対に味方だっているはずなんです。ここにいるクロエみたいに。理想を掲げれば、その理想に賛同する人が集まって来る。そうして集まった力はきっと何よりも大きな力になるって、俺はそう信じてます」

「…………」

「すみません、勝手なこと言いました」


 この考えが正しいなんて自惚れてるわけじゃない、けど、それでも何か言わずにはいられなかった。

 そしてちょうどこのタイミングで部屋の外から声をかけられた。


「カムイ様、次の予定のお時間が」

「……あぁわかっている」


 時間切れ……か。正直クロエはもっと色々言いたいことがありそうだが。


「すまぬなクロエ。もう時間だ」

「……ううん。時間をくれてありがとうカムイ。でも、それでもやっぱり私は納得できないよ」

「で、あろうな」

「また、来るから。絶対に逃がさないからね」

「はは、怖いことを言うな」

「もう決めたから。逃げないし、目を逸らさないって」

「……そうか」


 部屋の扉が開き、ヴァレスさんが部屋の中へと入って来る。

 そして入れ替わるように俺達は部屋を後にし、王城から出た。

 こうして、長いようで短かった獣王様との話し合いは終わったのだった。


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