第178話 血の目覚め

『ふふ、驚いたわ。まさか私の毒を受けて動く余裕があるなんて。あなたが何かしたのかしら?』

「もう死んでてもおかしくないくらいなのにねぇ。君の力ちょっと侮ってたかも」


 そう言って驚きと共にクロエを称賛するクルトとネヴァン。だが、当のクロエはと言えばクルト達以上の驚きで頭がいっぱいだった。

 なぜなら、クロエは何もしてない……というよりも何もできなかったからだ。だからこそクロエは一人でクルト達に戦いを挑んだのだ。

 クロエが見た限りでは、レイヴェルは動けるような状態ではなかった。それこそクルトの言う通り、いつ死んでもおかしくないと思うほどの重体。

 なぜレイヴェルが動けているのか、それはクロエ自身にも全くわかっていなかった。


「…………」

「レイヴェル?」


 クロエが呼びかけてもレイヴェルは無言、無表情のままで何も答えない。

 あまりにも普通じゃない状態に、悪寒のようなものがクロエの背を走る。今のレイヴェルは何かが違うと、クロエの本能がそう告げていた。

 それはクロエの魔剣としての本能。その本能が目の前にいるレイヴェルに対して、異様なまでの警鐘を鳴らしていたのだ。

 今まで感じたことのない感覚に、クロエは目の前の状況をうまく呑み込むことができないでいた。


『ん? あなた……』

「どうしたのさ」


 ネヴァンも魔剣として同じような感覚があったのか、笑いは鳴りを潜めた。

 本能的にレイヴェルのことを警戒しているのだろう。


『クルト、仕留めるわよ』

「? どうしたのさ。いくら動けるって言っても君の毒で瀕死の状態だ。そこまで警戒することなんてないさ」

『いいから早く!』


 クロエとネヴァンが抱いた警戒感。それはおそらく魔剣でなければわからないものだ。だからこそ、クルトの目にはレイヴェルがただの瀕死状態に見えていた。

 そして、この状況において生まれたその意識の齟齬は致命的な隙となる。


「魔剣は……殺す」

『っ、下がりなさいクルト!』

「え?」


 クルトの間抜けな声が響く。それとほぼ同時に、クルトの右腕が宙を舞っていた。

 驚きに大きく目を見開くクルト。次いで襲って来るのはクルトが久しく感じていなかった痛みだった。


「あ……あぁああああああああっっ!!!!」


 その事実を頭が理解した瞬間、クルトの喉から絶叫が迸る。

 ボトボトと崩れ落ちる大量の血にクルトは残った左手で傷口を抑えるが、その程度で止まるようなレベルの怪我ではなかった。


「ちっ!」


 飛ばされた右腕に握られていたネヴァンは地面に着地する前に人の姿へと変身する。

 その速さはクロエも目で追えないほどだった。

 目の前にいるのは確かにレイヴェルだ。それなのに、何かが違うとクロエはそう感じていた。クロエの魔剣の力とも違う、異質な何かがレイヴェルの体を支配していると。

 人の姿となったネヴァンは紫髪の女性だった。その端正な顔を今は苦々し気にゆがめている。


「まさか私が人の姿に変身する羽目になるなんて……」


仕方のないこととはいえ、人の姿へと変身することはネヴァンにとって屈辱的なことだった。ネヴァンは完全に人のことを見下している。契約者であるクルトのことですら自分の力を使うための道具としてしか見ていないのだから。

 そんなネヴァンにとって、誇りある魔剣としての姿ではなく、見下している人と同じような姿にはなりたくなかったのだ。

 ネヴァンは斬り飛ばされた右腕を拾うと、一直線にクルトの元へ駆ける。


「ぼ、僕の……僕の腕がぁああっ!!」

「黙りなさい。私の力で繋げるわ」


 ネヴァンはそう言うと、毒の力を使って無理やり右腕を繋げる。


「ぐっ、うぅ……」

「もう動かせるでしょう。ほら、さっさと立ちなさい」


 クルトを気遣う素振りなど見せもせず、ネヴァンは半ば無理やりクルトのことを立ち上がらせる。クルトは苦悶の表情を浮かべながらも、繋がった右腕の感覚を確かめた。


「あぁ問題ない。動くよ」

「ならさっさとしなさい。今度油断して下手なことしたらどうなるか……わかってるわよね?」

「っ……わかってるさ。許さない……許さないよ君。楽に死ねるとは思わないでね」


 クルトは右腕を斬り飛ばされた恨みもあってか、怒りを隠そうともせずレイヴェルのことを睨みつける。しかし当のレイヴェルはといえば、そんなクルトの様子など気にもせず、ただ右手に持った真っ赤な剣を見つめていた。


「あれ……私の剣じゃない」


 クロエはレイヴェルの手にした剣が自分のレプリカでないことに気づいた。血のように赤い長剣。見ているだけで鳥肌の立つような、そんな力を放っていた。


「惨たらしく殺してやるよ」

「魔剣は滅ぼす……全て……」

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