第141話 思い込みは危険を招く
突如として巻き起こった砂塵がレイヴェルを中心に周囲一帯を包み込む。
(なんだこいつ。急に砂を巻き上げやがって……そんな程度で姿が隠せるとでも……いや、違う!)
最初は追い詰められたレイヴェルの苦し紛れの行動かと思ったアレスだったが、すぐにその認識を改める。
(こいつっ!)
レイヴェルの狙いに気付いたアレスはすぐにその場から離れようとするが、その時にはもう遅かった。
「そこだっ!」
クルっと反転したレイヴェルが、見えていないはずのアレスに向けて真っすぐ突進してくる。
『インビジブル』が解けてアレスの姿が見えるようになったわけじゃない。レイヴェルの起こした砂塵が原因だ。
今のアレスは透明になっただけ。本当の意味で透けているわけじゃない。見えていないだけで触れることもできる。巻き上がった砂塵がアレスの体に触れたその瞬間に、その体の表面を流れるように動く。つまり、砂塵の動きが変化した場所にアレスがいるということになるのだ。
これがレイヴェルがライアに教えてもらった、レイヴェルでもできる簡単な方法。これであればたとえ姿が見えずとも対処できるのだ。
「くっ!」
不意を打たれる形となったアレスは咄嗟に防御しようとするが、僅かに間に合わず袈裟斬りを喰らってしまう。なんとかギリギリで回避したからこそ、深手を負うことは避けられたが、レイヴェルに傷をつけられたという事実そのものがアレスにとっては屈辱でしかなかった。
「逃がすかっ!」
「クソがぁっ!」
姿を消して逃れようとするアレスだが、掴んだ流れを離すまいとレイヴェルも必死に喰らいつく。砂塵で姿を探すというのも言ってしまえば奇襲のようなもの、対処しようと思えばいくらでも対処のしようはある。
「一気に仕留める!」
「はっ、テメェ程度にやられるほど落ちぶれちゃいねぇんだよ! ジャルク!」
「「任せろ!」」
「っ!」
砂塵を切り裂きながら迫って来るジャルク。当然のことながら、この場にいるのはアレスだけじゃない。ジャルクもいる。砂塵で多少目くらましになればと考えていたレイヴェルだったが、そんな甘い考えが通じるような相手ではなかった。
「「さぁ、どっちが本物の俺か見破れるか?」」
完璧にシンクロした二人のジャルクの動き。アレスの『インビジブル』と違いジャルクの使う『ダブル』はどちらも実体がある。砂塵でどちらが本物か見極めることはできなかった。
(くそ、面倒な……だがまだ砂塵の効果でもう一人の位置は把握できてる。この調子でいけば勝機を見出すことができるはずだ)
ジャルクの攻撃を避け、防ぎながらもアレスの位置はしっかり把握する。完全に不利になっているこの状況であってもレイヴェルは勝つことを決して諦めてはいなかった。
「はっ、テメェの考えてることは手に取るようにわかるぜ。まだ勝てるかもとか考えてんだろ。確かにさっきは一瞬ヒヤッとさせられたが……あそこで決めれなかった時点でテメェの負けだ」
「なにを——」
「クククっ、今に身をもって教えてやるよ」
常にレイヴェルの背後を取るように移動し続けているアレス。しかしその姿を砂塵によってレイヴェルはしっかりと捉えている。魔法の詠唱をしている様子もない。
ジャルクに攻められているこの状況であってもレイヴェルはアレスにしっかりと意識を割いていた。
「「あれをやる気か。本気だなアレスの奴。テメェ、もう終わったぜ」」
「何を言って——」
「こういうことだよ」
「なっ?!」
その声は、レイヴェルの真横から聞こえてきた。ジャルクの声ではない。それは、レイヴェルの後ろをとっているはずのアレスの声。
(なんでこいつが俺の横に。いつの間に……いや、そもそもまだ後ろにこいつはいるはずなのに!)
レイヴェルの背後にいたアレス。そのアレスは未だにそこにいる。なら今レイヴェルの横にいるアレスはなんなのか。
目の前で勝利を確信したかのようにニヤニヤと笑うジャルクの姿を確認したその瞬間、閃光のようにレイヴェルの脳裏に一つの可能性が浮かんだ。
「まさか、『ダブル』を使って……!」
「クハハッ、正解だ! だが気付いたところでもうおせぇ!」
アレスの奥の手は『インビジブル』そしてジャルクの奥の手は『ダブル』。それぞれ一つだけだとレイヴェルは思い込んでしまっていた。それが最大のミスだった。
ジャルクの短剣を避けたばかりのレイヴェルの姿勢は崩れている。そこを狙ってアレスは手に持った短剣を突き出す。
「くっ!」
避けることはできないと思ったレイヴェルはとっさに《破壊》の力を使って自分の足元を無理やり破壊した。そして、その勢いを利用してアレスとジャルクから距離を取る。
だが、とっさのことで威力の調整もできずに反動をもろにくらってしまった。地面をゴロゴロと転がるレイヴェルはそのままの勢いで体を起こすが、その次の瞬間には視界がグラリと揺らぐような感覚に襲われた。
そしてその感覚は徐々に酷くなり、やがて立っていられなくなるほどに視界が揺らぎ始める。
「な、なんだこれ……」
「上手く避けたつもりだったんだろうが……完璧じゃなかったなぁ」
「っぅ……」
左腕を抑えるレイヴェル。直撃こそ避けたレイヴェルだったが、アレスの短剣はレイヴェルの左腕を掠ってしまっていた。
「まさか……毒……」
「正解だ」
「ここまで即効性があるとはな。思った以上にいい短剣じゃねぇか。なぁアレス」
「あぁ。ホントにここまで急激に回るとはな。ありがとよ小僧。お前のおかげでいい実験ができた。ブスリといってりゃ即死だったんだろうがな」
「くっ……」
剣を支えに体を立ち上がろうとするレイヴェルだが、まるで急に体の重さが何倍にもなってしまったかのように動きが鈍い。
そんなレイヴェルのことを嘲笑うかのようにアレスは立ち上がろうとしていたレイヴェルのことを蹴り飛ばす。
「どんな気分だ? なぁおい。意気揚々と挑んできて、無様に負ける気分はよぉ」
「がっ、ぐふっ……」
殺そうと思えば殺せるこの状況で、アレスはひたすらレイヴェルのことをいたぶり続ける。
怪我を負わされた恨みを晴らすかのように、何度も何度もレイヴェルの体に蹴りを叩き込んだ。
意識が遠のきそうになるなかで、レイヴェルはそれでも必死に耐え続けていた。
「おいアレス。そんなことしてる場合じゃねぇだろうが。男はさっさと殺して女の方に行こうぜ。いや、それともこいつを生かしたまま連れてって、こいつの目の前で楽しむのも悪くなさそうだな」
「確かに、それもありかもな。どうせ殺すんだ。だったらもっと絶望させてぇよなぁ」
下卑た笑みを浮かべながらこの後のことについて話すアレスとジャルク。二人の会話に怒りを覚えるレイヴェルだが、その体は全く動かない。
(クソ……クソクソ! なにやってんだ俺は……こんな様じゃ……)
アレスがゆっくりとレイヴェルへと近づく。
「もっと絶望させてやろうかとも思ったが、万が一ってことがあるからなぁ。テメェはここで殺すことにした。どうだ? 怖ぇか? 泣いてみろよ、叫んでみろよ。無様に命乞いすんの見たら気が変わるかもしれねぇぞ?」
短剣をひらひらと振りながらレイヴェルのことを挑発するアレス。
「ふざ……けんな……」
「ちっ、あーあ。最後のチャンスを棒に振りやがったな。つまんねぇ奴。ま、さっさと死にな。後でお仲間もそっちに送ってやるから安心しな」
レイヴェルに止めを刺そうとアレスが短剣を振りあげる。それが見えていながらレイヴェルは動くことができない。
できることといえばアレスを睨みつけることくらいだ。
「じゃあな」
そしてアレスはレイヴェルの心臓目掛けて短剣を振り下ろし——その右腕が消し飛んだ。否、正確には跡形もなく破壊された。
「…………は?」
素っ頓狂な声を上げるアレス。しかしそれも一瞬のこと。一拍置いて噴水のように溢れ出だした血が、それが現実であることをアレスに伝えてくる。
「あ……ぁああああああああああっっっ!!!」
突然の事態に驚き、目を見開くレイヴェル。しかしすぐに誰がやったことであるのかに気付いた。
「レイヴェルに……なにしてるの?」
そこに立っていたのは、怒りに体を震わせるクロエだった。
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