閑話3 クロエとサイジ 後編

〈サイジ視点〉


「ミリカちゃーーん!!」


 山の中に入った俺達は、必死に名前を呼びながらミリカのことを探した。

 でも呼んでも呼んでも反応が無くて、いつもの秘密基地にもいなかった。俺とロドジィはもう山にはいないんじゃないかって思い始めてた。


「ねぇクロエさん。ミリカもう家に帰ったんじゃ……」

「そうだよ。こんだけ呼んでも出てこないんだし。きっともう帰ってるよ」

「……ううん。まだ山の中にいる」

「どうして?」

「まず山に入る時にミリカちゃんくらいの大きさの新しい足跡があった。だから山に入ったのは間違いないと思うの。ざっと歩いた感じ、歩けるように開かれた場所はこの道しかないし。山が危険だってことを知ってる君達がわざわざ危ない道に入ったりしないでしょ」

「それは……うん」

「だから、もしかしたらミリカちゃんは帰れない理由があるかもしれない。ないならそれでいいんだよ。もし無事に帰ってるならそれでいい。杞憂で終わるならそれが一番。でもそうじゃない可能性があるなら、私はそのために動きたい」

「クロエさん……」

「ごめんね。これは私のわがままだから。もう暗くなり始めてるし、君達は村に戻っていいよ」

「俺も行く!」

「俺も!」

「え、でも……うんそうだね、わかった。それじゃあついてきて。その代わり絶対に私の傍から離れないで」


 この時のクロエはきっと俺達だけで村に帰して二次遭難みたいなことになる可能性を考えてたんだろう。それだけじゃない。魔物もいる。もし魔物に遭遇した時に俺達二人だけじゃ確実に終わる。だからこそクロエは俺達がついていくことを認めたんだと思う。

 そうして歩き始めて少しして、クロエが険しい顔をして足を止めた。


「どうしたの?」

「しっ、少しだけ静かにして。ゆっくり後ろに下がって」

「え?」

「魔物がいる……」

「「っ!」」


 魔物、と聞いて俺達は顔を青くした。ガキだった俺達にとっては、どんな魔物だって脅威だ。ゴブリンだろうがコボルドだろうが、出会えばまず無事じゃすまない。


「音を立てないように後ろに下がって、木の所に隠れて」

「でも……」

「いいから早く」


 その時だった。俺達の所に声が響いてきたんだ。


「だ、誰か助けてっ!」


 それは紛れもなくミリカの声だった。

 その声に驚いた俺は、思わず足元にあった枝を踏んで大きな音を出してしまったんだ。

 もちろん、そんな音を立てたら魔物が……ゴブリンが気付かないはずもなく。ミリカを囲んでたゴブリンのうちの何体かが俺達の方に向かって走ってきた。


「っ! 目を閉じて!」

「え?」

「いいから早く!」


 俺とロドジィが言われるがままに目を閉じると、クロエは懐に忍ばせてた道具を地面に向けて投げた。あれはきっと閃光石なんだと思う。叩きつけた瞬間に光を発する石。目くらましに使う道具だ。

 それを投げると同時にクロエは俺達の手を掴んで走り出した。


「ミリカちゃん!!」

「お、お姉ちゃん?」

「ミリカちゃんも目を閉じて!」

「っ!」


 クロエはわざと大きな声を出して、ゴブリンの注意を自分に向けた。そして、ゴブリン達の目がクロエに向いた瞬間にさっきと同じように地面に閃光石を叩きつける。

 ミリカの前にいたゴブリンを、その細い脚からは想像もできないほどの威力で蹴り飛ばしたクロエは素早くミリカの様子を確認してた。


「立てる?」

「う、ううん……」

「わかった。それじゃあ私の背に乗って!」


 魔物の恐怖に腰を抜かしてしまったミリカは、一人の力では立つことすらできなくなっていた。無理もない。まだ七歳の少女だ。魔物に囲まれて怖くないはずがないのだから。


「サイジ君とロドジィ君は走れる?」

「う、うん。大丈夫」

「俺も……」

「それじゃあ走って、絶対に離れないで! ミリカちゃんもしっかり掴まってて!」


 手早くミリカを背負ったクロエの後を追って俺達は走り出す。

 でも場所は山の中だ。しかも時間は夜を迎えようとしている。

 状況は完全にゴブリンに有利で、俺達は時間が経てば経つほど追い詰められるだけだった。

 必死に走って走って、周囲が闇に包まれる頃。俺達は木の影に体を隠してた。


「はぁはぁ……みんな、大丈夫?」

「も、もう……」

「走れない……」

「…………」

 

 本当ならクロエは休まずに移動したかったんだろうが、ガキの俺達の体力が持たなかった。むしろあれだけ走れたのも奇跡に近い。

 そして、そんな俺達を見てミリカが小さく呟いた。


「ごめんなさい……私が、一人で……山の中に、入ったり……したから……」


 幼いながらも、今のこの状況が自分のせいだと自覚していたミリカは涙を流しながら俺達に謝った。


「ごめんなさい……ごめんなさぃ……」

「……大丈夫だよ」

「っ!」


 そんなミリカを、クロエは優しくそっと抱きしめた。落ち着けるように、安心させるように。それは全てを受け入れる母の優しさのようだった。


「確かにミリカちゃんは危ないことをしちゃったかもしれない。でもね、今こうして無事でいてくれてる。それが何よりも嬉しい。そして、私が絶対にミリカちゃんをお母さん達の所まで返してあげる。もちろん、サイジ君とロドジィ君もね」

「クロエさん……」


 そう言ってクロエはミリカを抱きしめる腕の中に俺とロドジィも巻き込んだ。

 魔物の恐怖。夜の恐怖。色んな恐怖に呑まれそうになってた俺達にとって、何よりも安らぐ温かさで、光そのものだった。


「私があなた達の傍にいるから」


 ミリカは泣き出し、ギュッと強くクロエに抱き着いた。俺もロドジィも、泣きはしなかったけど安心感を覚えたのはよく覚えてる。


「だから、後少し頑張ろうね」

「……うん」

「わかった」

「俺達、頑張るよ」

「いい子。大丈夫だよ。お姉ちゃんがなんとかしてあげるから」

「お姉ちゃんは……怖くないの?」

「んー、怖いかな」

「え?」

「でもね。世の中っていうのはなんでも急で、急に起こる出来事に対して私達は対応して生きていくしかないの。って、先輩の受け売りなんだけど。だから今回も同じ。私はこの出来事にも対応して、みんなを無事に連れて帰ってみせる。そう決めたから。帰ったら私の得意な料理をみんなに食べさせてあげる。って言っても、野菜炒めなんだけどね」

「……食べたい。お姉ちゃんの野菜炒め……私食べたい。だから、頑張る……」

「俺も」

「うん、頑張る」

「そっか。うん、お姉ちゃん張り切って作るからね!」


 クロエは俺達を立ち上がらせて、周囲の様子を探る。

 もう完全に夜だ。迂闊に動いたらあっという間に魔物の餌食になる。そう考えてのことだったんだろうが……狩りに関してはゴブリンの方が狡猾だった。


「っ! 気付かれた! みんな走って」

「「「っ!」」」


 この時ゴブリン達は、俺達を……獲物を見つけ出すために、他の魔物を利用したんだ。そう、鼻が利く魔狼を。どんな手段を使ったかなんてわからない。でも確かにゴブリンと魔狼は共闘して俺達を追ってきた。

 足場の悪い状況の中で相手はとんでもない速度で追って来る。追いつかれるのは時間の問題っていう所で、俺が木の根に引っかかって転んだ。


「っ、サイジ君!」

「「サイジ!」」

「あ……」


 俺に見えたのは、迫って来る魔狼の顎。強烈な死の予感。その中で動いたのはクロエだけだった。


「させるかぁっ!!」


 クロエは己の右腕を代わりにすることで、俺が噛まれることを防いだ。もちろんそんなことをすればただじゃすまない。魔狼はクロエの右腕を食いちぎろうとして噛む力をさらに強める。


「っぅ……」

「クロエさん!」

「だい……じょうぶ! これでも……くらいなさい!」


 クロエが左手に持ってた石を投げつけたら、そこから激しく炎が舞い上がり魔狼とゴブリンの体を焼く。

 それでなんとか解放されたクロエだったが、魔狼もゴブリンもどんどんその数を増していく。

 クロエの持っていた閃光石や爆音石、色んな道具を使ってその場その場を凌いでも、徐々に逃げ場がなくなって行く。

 それはまさしく狩りだった。獲物をいたぶるように、徐々に体力を削って行く。

 そうして気付けば俺達は開けた場所に追い込まれていた。

 周囲には木もなくて、隠れる場所もない。後ろは石の壁になっていて、登ることもできそうにない。


「お姉ちゃん……」

「大丈夫だよ。私が守るから」


 俺達を庇う様にゴブリンと魔狼達の前に出るクロエ。子供だった俺達の目から見ても明らかに多勢に無勢。どうしようもない状況にしか見えなかった。

 体もボロボロで傷だらけ。だというのに、月の光に照らされるクロエの姿は、何よりも神聖に見えた。


「こうやって開けた場所に追い込んで、追い詰めたつもりなのかもしれないけど……それが大きな間違いだってことを教えてあげる」


 そう言って小さく息吸うと、クロエは思いっきり地面に向けて閃光石を叩きつけた。


「私は……ここです!!」


 その次の瞬間だった。


「クロエーーーーーっっ!!」


 聞き覚えのある声と一緒に、竜が猛スピードで近づいて来る。

 そして俺達の真上まで来ると同時に、その背から二人飛び降りた。


「さがりなさいクロエ!」

「っ、みんな壁によって!」


 クロエが俺達のもとまで駆け寄ってきて、岩壁にその体を寄せるように言う。

 降りてきた人物は、クロエと一緒に村に来た女性と、そして黒い髪の女性だった。

 黒い髪の女性はゴブリンと魔狼の群れを見て、不敵な笑みを浮かべながら身の丈ほどもある大剣を掲げる。


「レイジの魔力借りるわよ!」


 大剣が眩い光を放つ。


「示せ、聖皇の刃! ——『天翔破斬』!!」


 一閃。それで全て終わりだった。

 とんでもない轟音と衝撃が後ろにいた俺達のことも襲う。


「ちっ、『アイスウォール』!!」


 俺達の前に立ったもう一人の女性……確かラミィだったか。この人が張ってくれた氷の壁のおかげで俺達はなんとか事なきを得た。でも、この時正面に広がってた光景を俺は今でも忘れてない。

 抉れ上がった地面、根こそぎ持っていかれた木々。そして、影も形も残らなかった魔物達。

 そんな光景を生み出した張本人は。スッキリしたと言わんばかりの顔で背伸びしている。


「ちょっと先輩、危ないじゃないですか!」

「何よクロエ。助けてあげたんだからいいでしょ」

「もっと助けかたってものがあるじゃないですか! 見てください、この子達怖がってるじゃないですか!」

「情けないわね。それにクロエ、あんたも魔剣なんだからこの程度の魔物くらい一人で——」

「先輩っ!」

「あ……」

「魔剣?」

「えっと……えーと……とりあえず、あの人の言ったことは気にしなくていいから」

「私達……助かったの?」

「俺達、家に帰れるのか?」

「……うん、もう大丈夫だよ。帰ろう、村に」

「「「う……」」」

「う?」

「「「うあぁああああああああああっっ」」」

「うえぁっ!? ちょ、ちょっとみんな落ち着いて……先輩もラミィも笑ってないでなんとかしてくださいよ!」

「私知ーらない」

「私もパス」

「えぇ、だ、誰か私を助けてぇ!!」


 クロエの笑顔に、緊張の解けた俺達は安堵の感情と共に泣いて泣いて、クロエのことを困らせた。

 それから村に帰ったミリカはこっぴどく怒られて、なんでか俺達も一緒に怒られて。

 落ち込んでる俺達のクロエは約束通り野菜炒めを食わせてくれた。

 あの時の野菜炒めの味を俺は今でも覚えてる。

 そんで、これが俺の初恋だった。

 少しでもクロエに相応しくなるようにって、強くなろうとして。

 色んなことがあったけど、気付けば俺は上級冒険者になってた。その頃には初恋の思い出も薄れて……それでも料理の味だけはずっと覚えてた。






□■□■□■□■□■□■□■□■

 

 

なんて、つい昔のことを思い出してたけど……やっぱりこいつそうだよな。

目の前に座ってスープを飲む少女を前にして、俺は過去のことを思い出してた。

間違いなくクロエだ。

記憶違いなんかじゃない。

 でもなんでだ? なんで過去の姿と変わってないんだ?

 クロエと出会ったのは三十年前。あの時十代だって考えても、俺より年上だ。どんなに若作りしても少女のままなんてことはあり得ない。

 他種族の特徴は見えないしな。

 でも、確かあの時……。


「魔剣……」

「え?」

「あぁ、いや。なんでもねぇ」


 魔剣。そうだ。確かにクロエのことを魔剣って言ってたんだ。

 冒険者として生活するなかで、魔剣についての知識も多少はあるつもりだ。

 もしクロエが魔剣だって言うなら、姿が変わってないのも納得できる。


「……ふぅ、ありがとうございます。おかげで暖まりました」

「……いや、気にするな。それよりもなんだってあんなところで雨宿りしてたんだ」

「それは……色々とあって」


 その瞬間、クロエの表情が陰ったのを俺は見逃さなかった。

 今のクロエには笑顔がない。俺達の心を照らしてくれた、太陽のような笑顔が。

 だからつい口に出してた。


「もし行くあてがないんだったら、泊まってくか?」

「え?」

「あぁ、悪い。急に変なこと言ったな。忘れてくれ」

「いえ……あの、あなたはお店をやってるんですか?」

「あぁ、『黒剣亭』って言ってな。ま、そんな流行ってない店だ」

「……あの、不躾なお願いをしてもいいですか?」

「お願い?」

「人を探してるんです。だからその人を見つけるまで……働かせてくれませんか?」





 そして、俺はクロエのこの提案を承諾し、クロエを店で働かせることになった。

 それからの一年間は本当にあっという間だったし、色んなことがあった。

 息子のアルトがクロエに惚れたりな。子は親に似るってことなのかもしれないな。

 クロエを縛るつもりは無かった。だからこそ、クロエが出て行くことを決めた時も止めはしなかった。

 結局最後まで俺自身のことは言えなかったわけだが……。

 まぁそれでいい。過去のことだ。大事なのは今なんだ。

 それに今生の別れってわけでもない。生きていればまた会うこともある。

 その時はまた……そうだな、野菜炒めでも作ってやるとしよう。

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